八国山と焼団子と山田うどんと埼玉西武ライオンズ。 この4つは、自分にとって郷土の象徴です。子供時代の遊び場にしてトトロの舞台と呼ばれている八国山。焼団子と山田うどんは、所沢市民のソウルフード。地元に本境地をおく埼玉西武ライオンズ。 私は、所沢生まれの元情報システムエンジニア。郷土を愛するエンジニアのBlogです。
2014年9月30日火曜日
退院してから丸三年です - リハビリテーションにご理解を
退院後、12月一杯は自宅での療養と通院でした。通院はセンターでのリハビリテーションと心療内科受診、脳出血の治療を受けた病院での脳神経外科での受診と、二本立てでした。
センターから、生活のリズムを壊さないようにとの助言があり、相談した結果、自宅で洗濯と掃除を一手に引き受けていました。とは言え、男がやること、満足すべきものでなかったことは、言うまでもないでしょうね。
ところで、10月の第三土曜日は、「リハ並木祭」が開催されます。これは、国立障害者リハビリテーションセンターと国立職業リハビリテーションセンター協同で開催する行事で、センターが一般開放されます。センターに併設された研究所なども公開されるので、多くの方に見学にきていただきたいと思います。
リハビリテーションに関する理解は、まだまだ十分でないと認識しています。自分もセンターに入院するまでは、不確実な知識でリハビリテーションを考えていました。リハビリテーションの良し悪しで、患者のその後の生活や予後が決まると言っても過言ではありません。
この「リハ並木祭」に足を運んでいただき、リハビリテーションというものにご理解をいただければ、幸いです。
国立障害者リハビリテーションセンター
国立職業リハビリテーションセンター
「第35回 リハ並木祭 開催案内」
2014年9月26日金曜日
「CISA AUDIT NOTIFICATION - 二回目だ」 の続々報
9月24日、ISACA国際本部からの郵便が勤務先に届きました。今回のCISA AUDITの結果が正式に通知されました。
原文の英語を、翻訳ソフトの助けを借りながら日本に訳してみました。
Dear Mr. Seiichi Masuda, CISA,CISM,CGEIT
We are pleased to inform you that you have fulfilled the requirements of the audit 2013 continuing professional
education hours and are in compliance with the CISA Continuing Professional Education Policy.
敬具
我々は、貴方が2013年の継続教育時間監査の要求事項を充足し、またCISA継続教育方針を遵守したとことをお知らせいたします。
As a CISA, you must continue to maintain an adequate level knowledge in the field of information systems audit,
control and security. On behalf of the CISA Certification Board, we acknowledge your efforts to uphold the high quality
standard for the CISA Certification program and applaud your continuing professional education efforts.
貴方は、CISAとしてシステム監査、コントロールおよびセキュリティの分野で十分な水準の知識を維持し続けなければなりません。CISA認定委員会を代表して、我々は、貴方のCISA継続教育プログラムを高い基準で維持した貴方の努力、並びに貴方の継続した専門教育の努力を賞賛します。
We urge you to continue to retain all evidence of completion of educational activities and their supporting
documentation for a minimum of eighteen (18) months following the end of each fixed three-year certification
cycle.
我々は、三年の認定周期に続く、貴方の教育活動の完全な全ての証跡、並びにそれらの最低三年間の説明文書を保持し続けること要求します。
Thank you for your cooperation during 2013 audit.
Sincerely,
2013年監査への協力を感謝致します
敬具
兎にも角にも、CISA AUDIT、無事に審査が通過しました。CISA AUDITが二回、CISM AUDITが一回と計三回の
��PE Auditを経験しましたが、前二回より審査が格段に厳しくなっています。
前二回では、CPEの証跡として対象となりISACA東京支部の月例会の参加証、他団体の主催行事に参加証などに添えて、英文の一覧表を提出しました。参加証は、日本語のままでした。証跡を確認したとのメールが来て、一週間以内に審査合格の連絡がきましたが、今回はそういきませんでした。
まず、東京支部月例会以外の英文の証跡は、英訳した概要も要求されました。また、証跡の一覧も、所定の様式の従うことも指示されました。
一応、東京支部の月例会の概要も英訳し、全ての書類をPDFにして、提出しました。その結果、ようやくにして審査を通過しましたが、最も労力が掛かったのが、証跡概要の英訳であったことは、言うまでもありません。
公認情報システム監査人(Certified Information Systems Auditor,CISA)は、自分にとって飯の種ですから、そのための経費も労力も惜しみませんが、土日を英訳を使い、結構苦労しました。
4回目は、もう勘弁して欲しいのが本音です。しかし、何で3回なんだろう。2回は聞きますがね。
次回は、公認ITガバナンス専門家(CGEIT)が対象かな。それは、避けたいです。
ISACA東京支部
ISACA国際本部
ISACA - Wikipedia
2014年9月24日水曜日
スコットランドの独立否決 - イギリスという国名呼称に思う Ⅱ
旧来、我が国では「大英帝国」という呼称が一般的でした。「大英博物館」、「大英博物館図書室」、「大英図書館」など「大英」を関した単語があります。こうした単語が明治期に造語された当時、英国は日の没することなき帝国として、まさに世界帝国でありました。
Pax Britannica、パクス・ブリタニカ。強大な海軍力(Royal Navy)を背景とした、イギリスによる世界支配の現実を目の当たりにした明治人達が、文明の象徴として、造語した単語に「大」の文字を当てたのは、無理からぬことと思います。そして、その国名に翻訳する際に、Englandをもって、その代表としたことに、明治人達は何の違和感もなかったのだと思います。なぜなら、England、Scotland、Wales、Irelandの違いが認識されていなかったと思われるからです。
大英図書館 → British Library
大英博物館 → British Museum
大英博物館図書室 → British Museum Reading Room
しかし、実際の正式に名称には「Great」という単語は使用されていないのですね。しかし、当時の明治人達の西洋文明、就中大英帝国に対する憧憬を理解してあげる必要があります。
当時の国際情勢から言って、世界帝国であるイギリスは、まさに大なる帝国、大英帝国であったと思います。従って、「大英帝国」という呼称に、なんら違和感はなかったのだと思います。
Scotlandの独立は、否定されました。しかし、保守党、労働党、自由民主党の三政党が、自治権の更なる拡大を約束しました。そうなると、WalesやNorthern Irelandも同様な要求を掲げてくるのは必須でしょう。そうなると、現在使用されている「イギリス」に関する呼称も、そのままで良いのでしょうか。
個人的な意見として、既に慣用的に使用されている単語に新たな訳語を造語する必要な無いと思います。しかし、地域の独自性が拡大することが必須と思われるのであれば、そのことに敬意を払う必要はあろうかと思います。
現在、ウェストミンスター議会が連合王国全体の議会ですが、Englandは独自の議会を持ちません。もしかしたら、独自議会開設の要求が高まる可能性とあります。そうなると、ますます地域分権の傾向が強まっていくのでしょうね
連合王国としての統一性、England、Scotland、Wales、Northern Irelandの地域性、多様性を、どうやって折り合を付けて行くか。「連合王国」の今後の、大きな課題を思います。
��折しも、ニュージーランドも国旗変更の国民投票が、議論されているとのことです。っ国や地域のアイデンティを如何に尊重していくか、注目されますね)
2014年9月21日日曜日
スコットランドの独立否決 - イギリスという国名呼称に思う
2014年9月19日、スコットランドの歴史的な住民投票は、独立派の敗北という結果になりました。イギリス政府のみならず、米国や欧州諸国、英連邦加盟国、英海外領土、王室領、日本、そして世界経済的とっても一安心でしょう。
本件に関しては、様々な論評が出ていますが、私は日本で使用されている「イギリス」という国名呼称について、考えてみたいと思います。
元々、日本国内で使用されているイギリスと国名呼称は、England(イングランド)から来ていますね。しかし、外務省により発表されている正式な国名は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )」です。
自分が外資系のIT企業に在籍していた時、社内で回覧される文書等では、Englandという名称は使われていませんでした。基本的なは、UK(連合王国)で、ときたまBritainが使用されていました。ただ、Britainだと、北部アイルランドが含まれない可能性があるので、原則UK、United Kingdomです。
スコットランド人に、’Are you English?’と問いかけても、’I am a Scottish’と言われます。連合王国の皆さんは、England、Scotland、Wales、Ireland(北部アイルランド)という違いに敏感です。
従って、連合王国なのかそうでないかの違いが極めて重要なんだなと、当時から感じていました。
サッカーやラグビーでは、England、Scotland、Wales、Ireland(北部アイルランド)が個別に代表チームを編成し、ワールドカップなどの代表チームを送っていますね。
��サッカーは、アイルランドと北部アイルランドは個別に、ラグビーは一体のチームでアイルランド代表を編成)
ホーム・ネーションズ
この違いに無頓着だと、サッカーやラグビーのワールドカップで、イングランド代表はイギリス代表ではないのかという、勘違いな質問がでるのだろうと思います。ロンドン五輪では、イングランド代表がイギリス(連合王国)代表として参加することで英国4協会で妥協が成立しましたが、最終的にな名目的な統一チーム結成に漕ぎ着けました。
オリンピックサッカーグレートブリテン代表
自分は、イギリス = 連合王国でなく、連合王国とEngland、Scotland、Wales、Ireland(北部アイルランド)は、違う(地域呼称として)のだと考えた方が良いと思ってます。
今回の、スコットランド独立運動経緯から考えて、今後も英国の4地域の自治権、地域性は大きくなることはあっても、小さいくなることは無いでしょう。
そこで、提案です。慣例的に使用されているイギリスという国名呼称は、連合王国に統一しようではないか。元々、外務省で定める公式な国名は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)です。そして、略称として連合王国もしくはUK。
英国の4地域の特徴、歴史、そして連合王国としての歴史を踏まえて、統一名称と個別の名称とに敬意を払うべきではないか、そのような思うを、この雑文に込めてみました。
2014年9月19日金曜日
CISA AUDIT速報
9月11日、ISACA国際本部からメールが届きました。
Hello,
Your audit has been passed. We do not require additional documentation from you
at this time. Please let me know if you have additional questions.
CISA Audit、無事にパスしました。前回のCISA Audit、CISM Auditより、審査が厳しくなっていました。Evidenceの最初の提出では、東京支部の月例会の受講票以外は、英文での要約提出なりました。前回は、英訳した一覧表で問題なかったのですが。
まあ、最も維持したかったCISAのAuditを通過したので、一安心です。CISMやCGEITだったら、正直なところ放棄もあったかもしれません(笑)
あぁ~、よかった!
CISA AUDIT NOTIFICATION - 二回目だ
2014年8月15日金曜日
8月15日に思うこと - 父親の命日と終戦記念日
8月15日は、父親の命日です。母親と兄一家が住む実家に、自分と弟、従兄弟一家などが集まり、亡父の菩提を忍びます。また、送り盆でもあるので、親父を送ります。
父親は、自分が19歳大学生の時に脳挫傷を負い、脳内の血腫を除去する開頭手術を受けました。その父親は、20数年前に肝臓癌を患いました。そして、癌発覚後わずか二週間で亡くなりました。しかし、親父にとって最も大変だったのは、脳挫傷の後遺症だったのだろうと、確信しています。それは、自分自身が三年前に脳出血を発症、高次脳機能障害になったからです。
父親が脳挫傷になった時、その時の事情で19歳の大学生だった自分が、血腫を除去する開頭手術を承諾する署名を行いました。手術の成功確率は50%、命の危険も在るということで、今だ未成年だった自分にとって、生易しい決断ではなかったことを、今でも覚えています。
その自分が、脳出血で生涯完治することのない高次脳機能障害者となりました。
高次脳機能障害は、十数年前から認知され始めた神経心理学的症状です。当然、父親が脳挫傷になった時と亡くなった時には、まだ無かった概念ですが、高次脳機能障害であったことは間違いありません。
自分は、父親にとっては、病名も告知されなかった癌よりも、脳挫傷の後遺症、つまり高次脳機能障害の方が、辛かっただろうと確信をもって言えます。
父親が亡くなった時は、高次脳機能障害という概念は無かったので致し方ないのですが、父親の症状を理解できなかったことが悔やまれてなりません。
今年の5月23日、母親と兄が24回忌を行い、親戚や知人にも集まって貰い、菩提を弔いました。
父親が息を引き取った二十数年前の8月15日は、とても暑い日でした。毎年、8月15日は猛暑ですね。今日も暑くなりそうです。
終戦記念日
8月15日、終戦記念日です。天皇皇后両陛下も列席され、政府主催で全国戦没者追悼式が挙行されます。また、靖国神社など、全国の神社でも戦没した英霊に感謝する祈りが捧げられます。
自分は、この「終戦記念日」という言葉は、虚構だと思います。終戦ではなく、ボツダム宣言を受け入れた、明らかな降伏の日です。この事実は、誤魔化してはならないと思います。
しかし、だからと言って、戦没した英霊に御霊を蔑ろして良いということにはなりません。最近、8月15日の靖國神社で、特定の不愉快なイデオロギーを、持った市民団体と称する集団によって、英霊に御霊をを蔑ろにする行動が報道され、目に余るものがあります。
英霊を汚す罵詈雑言、国外の政治勢力と結びついた反靖國神社、反政府行動、いい加減にしろと。
政治的主張そのもを否定する気は、全くありません。我が国は、社民党が無条件に支持、追随する支那共産党や、とても法治国家とは思えない南北朝鮮と異なり、言論の自由が保障されています。
しかし、8月15日は決して少なく無い国民が、英霊の御霊に感謝を捧げる日です。この日は、政治的主張を脇に置いて、静かに英霊の御霊に感謝を捧げさせて貰いたいたい。
自分は、「終戦記念日」という言い方は、疑問があります。しかし、内閣総理大臣式辞、衆参両院議長、最高裁判所長官、遺族代表の追悼の辞があり、そして何よりも天皇陛下の御言葉がある、この日を大事にすべきと考えています。
その神聖で大切な日は、特定の政治的偏向を持った集団には、さっさと退散を願いたい。
安倍総理は、靖國神社参拝を見合わせるようです。自分は、そのことを批判する気はりません。支那共産党と南北朝鮮の動向から考えて、致し方ないでしょうね。しかし、英霊の御霊に感謝する気持さえ忘れなければ良いと思います。
8月15日に考えた、雑文です。
2014年8月3日日曜日
「安倍政権まかせられない」 by 日本共産党
今回HPを読む限り、安倍政権をファシズムと罵ってます(と言うより、何でも反対政党の典型の日本共産党の面目躍如です)。しかし、かつての日本共産党は、全体主義そのものではなかったのではないでしょうか。何を言わんやです。自分は、民主集中制なる制度もファシズムそのものと認識しています。
一月ほど前、日本共産党の街頭宣伝がありました。集団自衛権行使容認を激しく非難していました。その文言の中に容認出来ない表現ありました。「国民の大多数が反対する集団的自衛権云々」。集団的自衛権に関しては、報道機関の調査の文言で、賛成反対が左右しているのが現状ではないでしょうか。
街宣をしている党員の皆さんの前に行き、一言申し上げました。「自分は、集団的自衛権行使に賛成です」と。恐らく、自党への賛成意見を期待していたのでしょうね。吃驚されておられました。
これからも、チャンスがあれば日本共産党に対して自由な意見表明をさせていただこうと思います。
「安倍政権まかせられない」
集団的自衛権の行使容認「閣議決定」を強行した、安倍政権の打倒をかかげて「ファシズム潰(つぶ)せ!怒りのブルドーザーデモ」が2日、東京・渋谷、原宿の繁華街で行われました。
実物のブルドーザーが、民衆の大きな力を象徴するものとしてデモを先導。参加者は「安倍はやめろ」「憲法壊すな」「生活守れ」「増税するな」とコールし、「秘密保護法廃止せよ」「安倍まじ無理」などのプラカードを掲げてアピールしました。
参加者は、沿道から飛び入り参加して、のべ3000人(主催者発表)に膨れあがりました。道行く人からはピースサインが送られ、デモに近寄り参加者と握りこぶしをグッと交わしあう姿もありました。
大学のサークルの仲間と3人で参加した、八木泉樹さん(19)は「安倍政権は何もいいことをしていない。解釈改憲もおかしいし、安倍首相には国をまかせられません」と話します。
普段は韓国で暮らしているという、東京・練馬区から来た松川美紀さん(44)は「安倍政権はとんでもないことをやっています。フェイスブックなどでこのデモを広げたい」と話しました。
デモの主催は、昨年末に強行された秘密保護法や、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」に反対する運動をしてきた東京デモクラシーネットワークです。「東京デモクラシークルー」「怒りのドラムデモ」「SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)」などによって構成されています。
注
自分は、反共産主義者、反日本共産党であり、集団的自衛権容認、憲法改正賛成論者です。
2014年7月26日土曜日
CISA AUDIT NOTIFICATION - 二回目だ
CISA AUDIT NOTIFICATION
えええええええええええっ
CPEの監査だと。
In accordance with the CISA Continuing Professional Education (CPE) Policy, each year an audit of individual compliance is performed. You have been randomly selected for this audit. Attached you will find a detailed listing of the CPE hours you reported for the 2013 calendar year. This listing provides the CPE details which you are required to provide support documentation on prior to 29 August 2014 in order to be in compliance with this audit.
はいはい。決まりですから、証跡を準備して報告致しますよ。しかし、なんでまた自分が。
CISAのCPE監査、二度目です。CISMのCPE監査も受けたことがあるので、三度目になります。一回も当たらない人がいる(その方が圧倒的です)。なのに、自分は三度目です。不公平感を感じてしまいますね。
(:_;)
2014年7月25日金曜日
全国、全世界のシステム管理者諸君、総決起せよ!
ところで諸君、システム管理者とは、何ぞや。社内、組織内のシステムの管理を司り、運用を滞り無く遂行することが使命である。しかしならが、情報システムというものは、我儘極まりないこと際限なく、ユーザーも決して協力的と言えず、通常運用で当たり前、多少でも障害が発生すれば非難轟々、それでいて敬意を払われることもなく、評価も高いとは言えず、報われることもないのである。
休日、夜間の出勤当たり前、たまの休暇も貸与された携帯電話の音に怯え、急な呼び出しに備え晩酌もままならず、
その身の上、悲惨極まりないでは無いか。
その上、近年は重要情報の漏えいの責任まで負わされる、そんなシステム管理者諸君、決起せよ。
抑圧された耐え忍んできた、システム管理者諸君。現役、経験者、関係なくシステム管理で煮え湯を飲まされた我々は、今こそ結束し、総決起すべき時がきた。諸君、日頃の煮えたぎる怒りをもって総決起せよ。
システム管理者の日
2014年7月15日火曜日
九条の会に物申す - 貴会のみが、日本人の代表ではない。
特に気になったのは、記事中の下線にした「日本という国は、戦争ができる国になりました。日本人を代表して謝罪します-」という部分です(他にもあるのですが)。
いつ、誰が「九条の会」なる団体を日本人の代表としたのでしょうか。貴会が集団的自衛権のみならず、個別自衛権や自衛隊の存在すら認めないことは、承知しています。しかし、小生のように集団的自衛権に賛成する意見もあり、ま限定的容認、議論が足りない、個別的自衛権なら賛成等々、様々な意見があります。
しかしながら、貴会は日本人を代表して謝罪するという。貴会は、多様な意見の存在を認めず、自己の意見を日本人の代表とするのでしょうか。
大陸の某国や朝鮮半島北部とことなり、我が国は、多様な言論や表現の自由を認めています。誠に良い国です。そう考えていないのは、商社出身で、民主党が政治的任命した、前駐中国大使ぐらいしょう。
しかし、事実に則している必要はあろう。従って、貴会のみが日本人を代表しているような言辞は容認できない。撤回を求めたい。
護憲派知識人が「日本人代表し謝罪」
安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した翌日の今月2日正午過ぎ、挺対協が開いた「水曜示威(デモ)」会場となっている日本大使館前に、赤いキャップをかぶった男性が立った。男性はマイクを渡されると、日本の護憲派知識人らでつくる「九条の会」の関係者であると自己紹介し、こう話した。
「日本という国は、戦争ができる国になりました。日本人を代表して謝罪します-」
男性はノーベル賞作家の大江健三郎氏の名前を出しながら韓国語を交えて謝罪とあいさつを続け、集まった人々から拍手喝采を浴びて韓国メディアからも取材を受けていた。
��月21日には大阪市の女性グループが訪問。28日には「平和な未来を子供らに-新日本婦人の会」という横断幕を掲げた女性約10人、また6月4日には「新日本婦人の会 福岡県本部」の幕を広げた女性ら約20人が現れ、日本政府に「日本軍慰安婦被害者への謝罪と補償を」などと訴えていた。
日本からの参加者は多くの場合、慰安婦問題で日本政府を追及するシュプレヒコールに参加し、記念写真を撮って帰ってゆく。挺対協側からは「(参加者のような)日本の良心的な人々との連帯を一層強め、ともに日本政府を圧迫していかなければならない」といった具合に“日本政府包囲網構築”に利用されている。
卵を投げ入れ落書き
「集団的自衛権の行使容認反対」をテーマに、日本大使館前デモを定例化しようとする団体「平和と統一を開く人々」も出てきた。
この団体は、「在韓米軍の韓国撤収や日米韓の合同軍事訓練、軍事・防衛に関する情報共有促進のための覚書取り交わしなどに反対を唱える親北朝鮮、反保守(朴槿恵)政権の運動体」(韓国治安関係者)という。大使館の敷地内に生卵や靴を投げ入れ、慰安婦像前の路上に着色スプレーで「集団的自衛権行使容認反対」と落書きをするなど、やりたい放題だ。
あるときには参加者によって大使館前の道路が通行不能になり、公務から戻った別所浩郎大使が車両での通行を諦めて大使館敷地まで歩いて戻るなど、警護上も問題が大きい。
大使館前はデモが規制されているのだが、挺対協が「記者会見」と称して抜け道を作った。その言い分を警察が「やむを得ない」と放置した結果、水曜デモがある種の市民権を得て定着したのだ。韓国の治安筋は「日本大使館前は、韓国メディアの注目度が高く、アピール効果が大きい。慰安婦の像が設置されてから、特定の主張をする勢力にとっては定例デモの一等地となっている」と指摘する。
「外国公館の静粛の保持」(ウィーン条約)が取り戻せる日は遠いようだ。
2014年7月11日金曜日
ベネッセの顧客データ漏洩事件
基本的な構造としては、ベネッセの関連会社から悪意の第三者が個人データを名簿業者に販売、そこから複数の業者を通じて、ジャストシステムが入手、DMに利用したようです。
第一の問題は、ベネッセから悪意の第三者に個人データが渡ってしまった経緯です。警視庁は、不正競争防止法を視野にいれて捜査を行っているようなので、営業秘密侵害罪が適用される可能性が高いですね。
第二の問題が、ジャストシステムです。ジャストシステムは、何故名簿業者からデータを購入したのでしょうか。
ジャストシステムは、「ベネッセコーポレーションから流出した情報と認識したうえで利用した事実はない」コメントを発表しています。つまり、自分は善意の第三者であり、、問題だあるのは名簿業者で犯罪行為には無関係だと言いたいのだと思います。
しかし、それが通るでしょうか。2014年7月10日の株式市場では、ベネッセだけでなくジャストシステムの株式も値下がりしました。しかも、ジャストシステムは、ストップ安です。史上は、ジャストシステムのより厳しい評価をしたと言うことでしょう。
リンクと張ったblogにありますが、関連する名簿業者の中には警察に検挙された経歴がある業者もあるようです。
経済産業省は、ベネッセに個人情報保護法に基づき報告を求めていますが、ジャストシステムには要求していないようです。それは、善意の第三者と言われてると、報告を求める根拠が無いためだと思われます。
しかし、自分はジャストシステムの道義的責任は免れないと思います。ベネッセに管理責任があるのは確かですが、ジャストシステムは、余りにも安易に名簿業者を頼った姿勢は、上場企業として如何なものかと思います。
産経westより
今年1月には流出か ジャスト社は約200万件購入">今年1月には流出か ジャスト社は約200万件購入
今年1月には流出か ジャスト社は約200万件購入
2014.7.10 23:53
通信教育大手「ベネッセコーポレーション」の顧客情報が大量に流出した問題で、名簿業者が遅くとも今年1月ごろには流出情報を入手していた疑いがあることが10日、分かった。IT大手のジャストシステムはこの業者の約200万件分の名簿を購入。警視庁も同様の情報を把握しており、流出時期や経路の特定につながる可能性があるとみて裏付けを進める。
東京都福生市の名簿業者「文献社」によると、1月ごろ、武蔵野市の名簿業者「パン・ワールド」から「子供の名簿が大量に入った」と連絡があった。
同時期にジャスト社から「小中学生の名簿が欲しい」と注文が入り、2~3月に自社の名簿約160万件分を販売。さらに、5月にパン社から約200万件分の名簿を購入し、ジャスト社に転売したという。
ベネッセはパン社の名簿に流出情報が含まれる疑いがあるとして、販売中止を要請。文献社とパン社はともにベネッセの顧客情報との認識がなかったといい、パン社は「他の業者から買った」と説明している。
ベネッセは7月に名簿業者から約822万件分の名簿を独自に入手。大半が流出情報だったという。
とても参考になりました。
piyokangoブログ
2014年7月1日火曜日
集団的自衛権 - 自分は大賛成です。
自分は、今回の決定は大賛成です。右翼反動軍国主義者と言われようが、気にもしません。それどころか、現実を認識しないお花畑の皆さんの頭の中を疑ってます。
集団的自衛権に賛成の国民がいることを示したい!浅草デモ①前編2014.6.29集団的自衛権の解釈変更に賛成デモ#4
26.6.30 集団的自衛権に反対する大規模デモin首相官邸前
朝日新聞系列、毎日新聞系列の報道機関は集団的自衛権反対の報道一色です。まるで、全国民が反対のように感じられます。しかし、上の動画にあるように賛成の世論もあるんです。
各新聞社の世論調査の結果は、賛成と反対に分かれます。それは、設問の方法と内容が異なるからです。これは、毎日新聞自身が認めていて、集団的自衛権賛成が多いから設問の方法を変えて、反対多数になった数字を使用するようにしたと。
朝日、毎日、東京/中日、北海道新聞、信濃毎日、沖縄新報、琉球タイムスは反対なのは目に見えてます。産経は積極的賛成、読売が賛成、日経が日和見になんですね。
自分は、本来は憲法改正が本筋だと思います。しかし、現実的には無理でしょう。だから、次善の策として解釈改憲した方法はないと考えています。
本日の朝、共産党の演説がありました。当然、解釈反対の論調でした。自分は、論者に大声で集団的自衛権賛成と言い放しました。三人程度の党員が予想外のことで、唖然としていました。
左翼系の報道機関、政党は自分のみが正しいと勘違いし、世論が割れていることを隠しています。自分は、集団的自衛権反対の意見が多いことを認識しています。しかし、賛成の意見を同様にあることも事実であり、このことを忘れてはいけません。
集団的自衛権は、絶対的に必要です。
2014年6月24日火曜日
『映画「はだしのゲン」所沢上映委員会』への危惧
このような手順を踏む理由を説明します。Facebookは、投稿を後から検索するのが面倒ですが、Blogであれば検索機能で、追跡が容易だからです。自分は、BlogとFacebookの投稿を、恒久性と追跡可能性で使い分けています。
そもそもの発端は、『映画「はだしのゲン」所沢上映委員会』主催とする映画を推奨する投稿が、ある方からFacebookの投稿に上がったことです。
ご存知のように、「はだしのゲン」は、2013年8月に松江市教育委員会が市内小中学校に閲覧制限を要請したことで、賛否両論が巻き起こりました。
私は、この「はだしのゲン」は、連載途上から極めて政治性に高い作品に変質したと認識しています。同様な認識は少なくなく、閲覧制限の是非とは別に、作品や作者、支援団体の政治性に危惧を抱かざるをえません。少なくとも私は。
その政治性の証が、『映画「はだしのゲン」所沢上映委員会』に連なっている後援団体に明確に現れています。当該団体は否定するでしょうが、日本共産党系かもしくは影響力が強い団体ばかりです。
団体名
所沢地区労働組合協議会 埼玉県労働組合連合会 共産党系
所沢市教職員組合 埼玉県教職員組合 共産党系
埼玉県高等学校教職員組合所沢支部 埼玉県高等学校教職員組合一橋派
新日本婦人の会所沢支部 新日本婦人の会 共産党系
所沢歴教協 一般社団法人・歴史教育者協議会
年金者組合所沢支部 全日本年金者組合 共産党系
自治労連所沢市職員組合所沢支部 日本自治体労働組合総連合 共産党系
埼玉土建所沢支部
民主商工会 全国民主商工団体連合会 共産党系
国民救援会所 日本国民救援会 共産党系
所沢平和委員会 日本平和委員会
所沢革新懇 平和・民主・革新の日本をめざす全国の会 共産党系
マスコミ・文化九条の会
Facebookに投稿された方は、この党派性の強さを認識されたのでしょうか。それとも自分の危惧は筋近いなのでしょうか。
自分は、これらの後援団体名を見ただけで、自分の子供が観覧することを許す気にならない団体ばかりです。
それは、自分が十代の時が丁度1970年代と重なり、浅間山荘事件や山岳アジト事件、新左翼過激派による血で血を洗う内ゲバ事件などにリアルタイムで接し、党派性の強い団体に対する嫌悪感が拭い切れないからだと思います。
��自分の長男と次男は、大学一年生と高校二年生なので、今さら親の言うことを正面から聞くこともないでしょうが)
投稿された方は、無邪気なのか、確信的なのかは分かりませんが、「夏休みのご家族でのご参加」と推奨されています。しかし、後援団体の党派性に関しては、如何に考えているのか疑問です。恐らく、その方からは回答は得られないものと思いますが、地域の話題が中心のFBグループの投稿としては、如何なものかと思います。
ある党派、そして政党の批判と取られても致し方ないでしょうね。まあ、如何に批判されようが、考えを変える気は更々ありませんが。
2014年6月21日土曜日
政府が河野談話の検証結果を公表
歴史に対する負の歴史では、鳩山元衆議議員と双璧をなしますね。まあ、二人共国益に反し、大陸の某国に対しての媚びた発言を繰り返している点も似てますが。
河野氏は、談話に関して自己の見解を表明する必要がありますし、国会は参考人質疑を求めるべきでしょう。
河野談話の検証結果が明らかになりました。報道された通りのあったは言え、河野氏の歴史に対する責任は、重にして大なるものがります。
恐らく、社民党や共産党、福島瑞穂氏、田嶋陽子氏、田中優子氏、上野千鶴子氏などのエキセントリックで、事実でなく観念が大事、ご都合主義、大陸と朝鮮半島に対して大事主義の皆様にとっては許し難い検証結果でしょうが、政府は決して怯むこと無く、事実の公表をという今回の検証を貫いて欲しいと希望します。
河野氏の独断が災いの種蒔く
河野氏の独断が災いの種蒔く
河野談話を検証する有識者チームの報告書により、20年以上も国民の目から隠されてきた談話の実態が白日の下にさらされた意義は大きい。産経新聞が繰り返し報じてきたとおり、談話は歴史の厳密な事実関係よりも、強制性の認定を求める韓国側への政治的配慮に基づき、日韓両国がすり合わせて合作していた。また、当時の河野洋平官房長官が政府の共通認識を踏み外し、独断的に「強制連行」を認めてしまったことも改めて確認された。
報告書は、政府が実施した関係省庁や米国立公文書館の文書調査、旧軍関係者や元慰安所経営者からの聞き取り、韓国の元慰安婦支援団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」の慰安婦証言集の分析などを通じ、こう結論付けている。
「(政府の)一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというもの」
その上で報告書は、平成5年8月4日の談話発表時の河野氏による記者会見について、1つの章を設けてこう特記している。
「(河野氏は)強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べている」
これについて、現在の政府高官は「それまで政府は強制連行は証拠がないという一線を守っていた。それなのに、河野氏の発言で強制連行説が独り歩きすることになった。完全な失敗だ」と指摘する。実際、河野談話には「強制連行」という文言は出てこない。
歴史認識に関する発言があった河野洋平官房長官(当時)の会見=平成5年8月4日
歴史認識に関する発言があった河野洋平官房長官(当時)の会見=平成5年8月4日
地位ある政治家の単なる失言か確信犯的な放言か。いずれにせよ、不用意な発言で後世に災いの種をまいた瞬間だったといえよう。
また報告書は、今年2月に国会で河野談話について証言して談話検証のきっかけとなった当時官房副長官の石原信雄氏が、慰安婦全体への強制性認定を求める韓国側に対し、こう拒否したことも記している。
「慰安婦全体について『強制性』があったとは絶対に言えない」
ところが、報告書によると河野談話は日韓間のすり合わせの結果、最終的に「募集、移送、管理等も甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた」という表記に落ち着いた。
この「全体」とも「おおむね」ともどちらとも解釈できる「総じて」という玉虫色の言葉は、当然のことながら韓国側では「全体」と受けとめられることになった。この間の事情も、趙(チョ)世暎(セヨン)・元韓国外務省東北アジア局長の産経新聞に対する次の証言と符合する。
「韓国側から『こうした表現ならば大丈夫ではないか』と意思表示した」(17日付紙面で既報)
韓国側は、日本側が河野談話の一部修正に応じなければ「韓国政府としてはポジティブに評価できない」とも通告しており、韓国ペースで最終調整が行われていたことも分かる。
また、こうしたすり合わせについて、日本側から韓国側に「マスコミに一切出さないようにすべきであろう」と申し入れ、韓国が了解したというエピソードも重要だ。河野氏をはじめ政府はその後、すり合わせの事実を繰り返し否定し、国民を欺いていたからだ。
ただ、報告書は個々の事例や事実関係への評価は避けており、物足りなさも否めない。チームのメンバーの一人は「報告書の作成過程で、情報を提供する側の外務省は一貫して『穏便に、穏健に』という意向だった」と振り返る。
政府の公式見解ではなく、民間の有識者チームの検証結果報告という形をとってもなお、なるべく波風を立てたくないとの配慮が働いている。日本外交の宿痾(しゅくあ)だろう。
2014年6月11日水曜日
憲法九条の会 - 設立10周年だそうです
私は、もとより憲法改正主義者です。現在の憲法は、九条に限らず改正すべき点が少なく無いと考えてます。
まず、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」からして、空理空論です。自分は、朝鮮半島北部や大陸の一党独裁国家が、平和を愛し公正で信頼できる国家だとは、到底思えません。
どう考えても集団的自衛権を容認し、抑止力を強化するしかないと確信しています。いままで、国政選挙では安全保障を第一に考えて、投票行動を行なってきました。従って、ようやく集団的自衛権が容認に向かってきたことを、誠に喜ばしいとと認識しています。
ただ、本来は憲法改正が本筋だと思うのですが、困難でしょう。次善の策として、憲法解釈で集団的自衛権を容認することは、現在の安全保障環境から考えて最低限の施策でしょう。従って、安倍晋三総理大臣を支持致します。
作家の大江健三郎氏は、「安倍という人は、自分の言ったことが市民や専門家に受け入れられなくても平気だ」と言われたそうです。自分は、総理、元総理は敬称をもって遇するべきと考えいています。菅元総理や野田元総理であってもです。
大江氏が、安部首相と政治的見解が異なっても、総理に対して呼び捨てなどという非礼は、どうかしています。この方の品位が疑われますね。まあ、2002年に、朝鮮半島北部による日本人の拉致事件が明らかになった際、それまでに拉致否定の態度を、だんまりを決め込むことで逃げた方ですから、もともと品位とは無縁な方なのかもしれません。
東大名誉教授の奥平氏は「集団的自衛権は憲法9条を否定する概念で、これはつぶさなければいけない」という意見とのことです。だから、まずは解釈の変更を行い、然る後に憲法の改正を行うべきでしょう。しかし、氏の空想的憲法九条論とは、決して交わることはないでしょうが。
作家の澤地久枝は、「憲法9条のどこに、集団的自衛権を認めるよう解釈できる余地があるのか。平和を求める市民の心を踏みにじっているのが安倍さんだ」なのだそうです。しかし、集団的自衛権を必要と考えている、自分のような人間もいますよ。澤地氏からみれば、自分は許し難き右翼反動軍国主義者なのでしょう。氏がそう思うのであれば、それで結構です。
集団的自衛権容認、一刻も早く決まって貰いたいです。
2014年6月8日日曜日
桂宮宜仁親王殿下薨去
2014年6月3日火曜日
原子力政策と防衛 ー 原子力技術の廃棄は根本的な誤りである
大陸、半島に日本に向けた敵対的勢力の核兵器が配備されていることは、紛れもない事実であり、憲法九条を掲げれば諸国平和になるという、お花畠的発想は持ちません。
敵性勢力に対しては、それに対応する準備を行うことが必要と考えは、絶対に曲げる積もりはありません。
核兵器を保持せよとまでは考えてません。北大西洋条約機構諸国のように、核シャアリングで十分だと思います。しかし、日本自らの原子力技術を保持するオプションは離すべきないと確信しています。
この判決は、その考えから愚の骨頂としか思えますん。関電を応援します。
「大飯原発判決」これだけの誤り
2014年6月1日日曜日
ISACA東京支部設立30周年記念とAsia-Pacific CACS/ISRM 2014
29日のISACA東京支部設立30周年記念から連続して開催され、3日の委員として獅子奮迅に活躍(多分)、なりながらも達成のある疲労感です。
29日は達成記念のパーティとして、日本セキュリティ監査などの友好団体、海外ゲストの挨拶があります。30日は、Asia-Pacific CACS/ISRM 2014の記念パーティが開催されました。なんだ、お前ら連日のパーティ(笑)かと言われれば、仰る通りで返すことがありません。
しかし、ISACA会員や業界関係者により良い情報を提供できたのではないかと思います。また、個人的には大阪支部、名古屋支部メンバー支部との再会、紹介などもあり、有意義な時間を享受できました。
6月1日は、最後にワークショップが予定されています。自分はというと、西武ドームで対ドラゴンズ戦に仲間と参戦予定です。委員の皆さん、すみませんでした。
m(__)m
2014年5月29日木曜日
ISACA東京支部30周年記念講演会
30周年記念講演会の実行委員として、参加してきます。
自分は、20週年と25周年に引き続き、実行委員としての参加することになりました。
本日は、東京支部の会員100数十名と来賓を迎え、有識者の講演が開催されます。
ISACA東京支部30周年記念講演会
ISACA東京支部ホームページ
ISACA東京支部Facebook
ISACA国際本部
2014年5月27日火曜日
海軍記念日 「日本海海戦」から109年
第一艦隊兼聯合艦隊司令長官東郷平八郎海軍大将座乗の旗艦三笠以下、聯合艦隊の精鋭はロシア艦隊を対馬沖で迎え撃ち、日本海(決して東海などいう名称ではない)で壊滅させた、世界史上稀な大海戦でした。
日本海海戦後、世界列強の海軍将校達は、我こそが東郷大将の後継者たらんとしたという伝説が生まれています。それだけ、世界史においても重要な戦いであったということでしょう。
フランス皇帝ナポレオンとウエリントン公爵が戦ったワーテルローの戦い、共和制ローマ時代にスキピオ・アフリカヌスとハンニバルが矛を交えたザマの戦い、ユーラシアを疾駆した成吉思汗の戦いなどの世界史上の戦いに匹敵したと言っても過言でないでしょう。
自分は、戦いを無条件に称える気はありません。しかし、日本海海戦が日本や世界の近代史に及ぼした影響について、日本人自身が考えてみるべきだと確信しています。
戦争を考えるだけで拒否感を覚えて、思考することら否定する。また、闇雲に自国の歴史、つまり日本の歴史を否定的に捉えることには反対です。
日本海海戦が戦われた日は、長く帝国海軍の記念日とされていしたが、昭和二十年を持って廃止されました。海軍記念日を復活させろと考えている訳ではありません。しかし、大きな歴史の転換点となった日として考察してみるのも大事だと思います。
海軍記念日
ちなみに陸軍記念日は、帝国陸軍の満州軍が奉天を占領、入場を果たした三月十日です。
陸軍記念日
2014年5月22日木曜日
脳出血から丸三年が経過しました。
2011年5月22日の日曜日、自分自身をまとも制御できなくなり、家族により所沢中央病院に担ぎ込まれました。最初は、あるていど意識があったのですが、途中から意識が混濁し、途切れ途切れの記憶した残らなくなりました。
後日聞いたところでは、かなり激しく暴れたそうで、看護婦さん看護師さん、リハビリにスタッフの皆さんが無理やり抑えつけ、ようやく拘束したようです。
意識が戻ってからも、暫くは消灯時に手足を拘束され、その苦しさと屈辱に悩んだものです。
しかし、あれから三年が経過しましたが、正に光陰矢の如し、月日の早さを感じます。
あれから一年
脳出血から二年が経過しました。
脳出血から二年が経過しました。 パート2
これからも二ヶ月に一回の定期的診察、年二回程度のMRI検査、必要に応じての脳波検査、血液検査が欠かせません。何とか、生き永らえるためには、致し方ありません(笑)。
5月18日、国営昭和記念公園で、国立障害者リハビリテーションセンターの三階の病棟で、ともに過ごした仲間と食事会をしてきました。皆、高次脳機能障害と診断されています。当然、自分が最年長、最年少の青年とは2倍以上の年齢差がある、男と云えない不思議な集まりでした。
自分の含めて5人が集い、旧交を温めました。残念ながら、二名が所用で参加できず、次の機会に会いたいものです。
2014年5月18日日曜日
河野洋平に物申す - この無責任なる元官房長官
河野洋平氏は、無責任極まりない集団的自衛権を否定する前に、河野談話について明確に説明すべきだろう。
この談話に事務方の責任者だった石原元官房副長官は、その欺瞞性を国会で証言した。
河野氏は、河野談話は間違っていないと言うなら、自信をもって説明できるのだろう。それが、談話に関しては黙りを決め込む。氏は、はっきり言って、卑怯者である。
しかし、サンデーモーニング、益々酷くなるね。出演者も札付きのリベラル、親中派ばかり。尖閣諸島中国漁船衝突事件の時、田中優子氏は海上保安庁の対応に問題があったのではと言い放った。ようは、中国漁船は無罪だという。
毎日新聞、TBS、関口宏の偏向的体質なんだろうな。
2014年5月16日金曜日
安倍内閣総理大臣が記者会見、集団的自衛権容認へ
安倍内閣総理大臣が記者会見を行い、集団的自衛権を容認へ一歩を歩み出しました。
まず、私は安倍首相の決断を断固支持します。
私は、骨の髄からの憲法改正主義者です。第九条だけではありません。天皇陛下は国家元首であことを明記すべきだし、衆参両院の役割を再考すべきとも考えています。
しかし、現実問題として憲法改正は難しいと認識しています。そこで、次善の策として憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認が必要と確信しています。
覇権主義を拡大し近隣諸国の脅威となっている中国共産党、北朝鮮、頼りにならないどころか脅威になりかねない韓国、第二次世界大戦後初めて自国領土を拡大したロシアに備えるために、憲法解釈の変更が近々に必要かと思います。
自分は、本来は憲法を改正するのが本筋だと思います。しかし、現時点の国際情勢は我が国の憲法改正を待つことはできません。場合によっては、公明党との連立解消、維新やみんなの党との積極的連携を含め、集団的自衛権行使容認を、首相は進めて頂きたいと思います。
安倍晋三内閣総理大臣記者会見
2014年5月5日月曜日
米国の韓国系団体の新たな反日攻勢
断固阻止に向けて、日本政府、外務省関係部局、在米大使館、官邸の奮起を望みます。民間有志を本件に関心を持ち、政府を応援する必要があると思われます。
以下は、産経新聞からの引用です。憤りを感じる記事です。
ワシントン首都圏に「慰安婦」碑設置計画、ミシガン州では像 韓国系団体、極度に警戒
ワシントン首都圏に「慰安婦」碑設置計画、ミシガン州では像 韓国系団体、極度に警戒
2014.5.5
米国で韓国系団体などが、新たにワシントン首都圏に「慰安婦」碑を、ミシガン州に「慰安婦」像を設置する計画であることが3日、関係者の話で明らかになった。日韓両政府は、米国の仲介により関係改善を模索しているが、米国を舞台にした韓国側の攻勢が抑制される気配はまったくない。
ワシントン首都圏の設置場所としては、バージニア州北部フェアファクス郡が有力視されている。関係者は、資金調達などの準備が整い、碑の石材も購入済みで、「起工式は5月にも行われる」と話している。
バージニア州議会では3月、公立学校の教科書に、「日本海」に加え「東海」を併記することを義務づける「東海」併記法が成立した。これを受け関係者は、「次は慰安婦碑を建立する」と明らかにしていた。
コロンビア特別区に設置する構想もある。仮に、政治の中心地である首都に設置されれば、慰安婦をめぐる韓国側の歴史認識と、人権侵害との主張を具現化する政治的な象徴として、他の都市に設置される以上に大きな意味をもつ。
それだけに、米政府の日韓関係に対する配慮も働けば、当局から許可を得ることは容易ではなく、在米韓国大使館の敷地内にでも設置しない限り難しい、という観測もある。
韓国系団体などはこうした計画を、日本側の妨害を極度に警戒し、水面下で進めている。
一方、ミシガン州では、デトロイト郊外サウスフィールドにある「ミシガン韓人文化会館」の前に、慰安婦像が設置され、8月に除幕式が行われる予定だ。
慰安婦像は、カリフォルニア州グレンデール市や、韓国ソウルの日本大使館前などの像を制作した彫刻家の手によるものだという。
米国では慰安婦像はグレンデールに1体、慰安婦碑はニュージャージー州のハッケンサックとパリセイズパーク、ニューヨーク州ウエストバリーに計4基が設置されている。“設置ラッシュ"をいかに阻止するか、日本の対応が改めて問われている。
子供の日と端午の節句
昨日、日の丸の表示を忘れてしまいました。いけません。以後は気をつけます。
本日は、子供の日です。未来を担う子供達の祝うこと大事ですね。
端午の節句ということで、各地で鯉のぼりが泳いでいることでしょう。
��月3日のひな祭りが休日でないことが女性蔑視、というフェミニストの方のご意見があります。
正直、自分も気になってました。端午の節句を否定する考えがあり、極端な向きには廃止しろと言う人達がいます。
そこで考え方を変えて、こどもの日と端午の節句は別なものと捉えれば良いのではないかと思います。
端午の節句はは日本の伝統的行事です。極端な意見に引っ張られて、廃止などをしてはいけません。
日本の子供達、伝統を大切にして元気にな
2014年5月3日土曜日
憲法記念日と憲法改正と集団的自衛権
今日は憲法記念日です。各地で、護憲派と改憲派の集会が催されて、活発に議論されていることと思います。
私が中学校、高校を過ごしたので1970年代でした。その時代は、今から考えれが信じ難いこととに、憲法について考えること自体が憚れる雰囲気がありますた。
どういう事かと言うと、社会党や共産党などの左翼の勢いが強く、護憲でなければ口汚く罵られ、発言の自由を半ば封じられていたからです。
ソ連や中国、社会党、共産党などの左翼思想が絶対善で、保守思想は絶対悪、アメリカ合衆国や自民党は悪魔とも呼べる存在でした。
そうした時代ですから、憲法を考えましょうと言われても、それは護憲思想を無条件に受け入れる、そう言うことでしかありませんでした。
最近になり、ようやく憲法を考えることが可能な時代なったと感慨深いものがあります。それは、社会党(現社会民主党)や共産党、左翼思想の凋落と機を同じくするものがあります。
さて、憲法ですが、護憲と改憲、様々な考えがあります。そうして、自由に議論することこそ健全であると、自分は思います。以前のように、議論自体封殺することは、絶対あってはりません。
現在、憲法に関しては改憲ということが議論されることがあります。自分の立場を明確にすると、改憲派です。よく護憲派のお歴々は、改憲派は憲法を読んでないに違いにない、自分たちは憲法を読んでいる、そうすると護憲派ならないはずがない、というような論法なったりしますね。例えば、社民党の福島氏とか共産党の小池氏などです。そこには、改憲派は憲法も知らない、なんてお馬鹿な人達なんだろうという侮蔑感が満ち満ちていますね。
自分は、これでも憲法は何度となく読みました。そして、自分が出した結論は、改憲が必要であるということです。幾つもの理由がありますが、安全保障と国会が最も重要と考えています。
特に安全保障ですが、我が国が安全にあるためには、集団的自衛権を含む自衛権を憲法に定めておくことが必要と思うからです。
国の安全のため、必要な事項と限界を明記し、自衛権の行使を国家の安全とと国際社会への貢献に絞っておく規定があるべきではかいか、それが自分の考えです。
米国の力の衰えがはっきりしています。それに比例して、中国共産党の軍事力への傾注と強化は由々しき状況にまでなっています。
憲法で米軍を国内から撤退させたフィリッピンがどうなったか。中国共産党の強引な方法ににより、南沙諸島を失うことになりました。中共は、ベトナムとも領土紛争を抱えています。
東アジアは、強引な中共の脅威に晒されていると言っても過言でないでしょう。
中共の軍事的脅威に対抗していくためには、米軍のアジアでのプレゼンスとともに、多国間での防衛協力が欠かせないのではないか。
そうなると、いずれは多国間の安全保障機構に参加することが必要になると言うのが、自分の考えです。
しかし、実際にところ改憲は、ほぼ不可能ではないかと考えています。日本国憲法の改憲規定は、本当に敷居が高いですね。ハードルが高過ぎる。
ではどうすればいいのか。手をこまねいていて良いのか。ダメですね。ならば、憲法の解釈を変えるしかないじゃないか。
blogos
前衆議院議員 緒方林太郎氏
「訓詁学はもう止めよう」
自分は、緒方氏の意見にほぼ同意します。
自分は、大学で社会学を専攻していました。大学の先生方の一部に、観念論や理想論に凝り固まったしか思えない講義があり、辟易したことがあります。
現在の護憲派も同じですね。社民党や共産党、大江健三郎氏、福島瑞穂氏、辻元清美氏、弁護士の狩野氏などの護憲論を聞いていると、この人達は中共や北朝鮮、ロシアをあそこまで、よく信用できるなと思います。ある意味、感心しています。
自分は、骨の髄まで改憲派、集団的自衛権容認派です。高校生時代、憲法改正が必要を言ったら、同級生から右翼反動軍国主義者と言われました。その同級生は、愚かなる者が馬鹿なことを言っていると考えたのでしょうね。
その場で言い返しました。そうだよと。
昔は、安全保障を語ると左翼のお歴々から、右翼反動軍国主義者とレッテルを貼られるの日常茶飯事なので慣れてしまい、今も変わりません。
このblog、そんなに大した読者がいる訳でもないのですが、この右翼反動軍国主義者をお考え方も居られるでしょうね。お答えします。その通りなので、全く気にしてません。
憲法記念日の佳き日に、憲法改正、集団的自衛権が必要と主張させて頂きました。
2014年4月29日火曜日
昭和の日
本日は昭和の日、その前は緑に日、更にその前は天皇誕生日、その更に前は紀元節と呼称されていました。
本来は玄関に国旗を掲揚べきなのですが、お恥ずかしながら自宅にないので、Blogで代用致します。
一部に日の丸を毛嫌いする方々がおられますね。その方々は、日の丸を見ると気分を害され、場合によっては裁判に訴えられるようです。しかし、自分は国旗である日の丸に敬意を払うことに何ら躊躇はありませんし、これからもそうです。
埼玉西武ライオンズを応援しているので、ときたま球場に観戦に行きます。その際、試合開始直前に君が代斉唱があります。選手は、君が代を斉唱するとともに日の丸に視線を向け、場内アナウンスも観客に起立を求めます。
そのアナウンスに従い、起立して国旗である日の丸を視線を向ける人々に反して、着席したままの観客もいます。
まあ、人の考えは多種多様ですから、そのことを嘆いてもしょうがないと思ってますが、一度だけ腹立たしかったことがありました。
長男だったか次男だった忘れましたが、市の小学生の腕白相撲に付き添いで行ったことがあります。主催は、日本青年会議所、JCでした。冒頭に国旗掲揚を日の丸斉唱があったのですが、案の定着席したままの夫婦がいました。
そのままなら考えに違い、敎育方針の違いと無視するのですが、その夫婦が呟いたことが無性に腹がたちました。
曰く、「歴史を知らない、人達ね」。恐らく、日の丸と君が代反対派なんでしょうね。
それだけでなく、表現が難しいのですが、君が代の真実を知らない愚民どもがという、侮蔑的な態度が垣間見えて、殴ってやろうかと思いました。
オリンピックや国際大会で、日本の選手達が日の丸と君が代を目標に頑張り、好成績を挙げて感動、感激している様子をみて、反対派のお歴々は、如何に考えているのでしょうかね。
福島瑞穂氏、大江健三郎氏、志位和夫氏、日本教職員組合の皆さん。選手たちを全否定ですか。聞いてみたいものです。
2014年4月3日木曜日
脳神経外科を受診しました。
コレステロール値などは、平均値だったので一安心でしたが・・・・・・・
目眩が出た日があったので予想はしていたのですが、貧血の傾向があるとのこと。心配する数値ではないとのことでしたが、場合によっては減薬も期待していたのですが、現在の投薬を継続することになりました。
まあ、異常な数値でなかったことで良しとしなければいけませんかね。次回は6月14日土曜日、MRI撮影をして脳の状況を判断することになりました。
健常者の皆さん。何度も申し上げますが、治療より予防です。月並みですが、これ尽きますよ。
2014年4月1日火曜日
消費税の増税
消費税増税は、一部野党からは反対が今でも多いが、私は時期の問題であり、何れは必要だと思っていた。10%までの増税も決まっており、あとは負の影響を如何に排除していくしか、現在も深刻な財政危機を切り抜ける術はないだろうと。
このような観点から、野田前首相の決断を評価しています。
2014年3月19日水曜日
ロシアがクリミアを併合
これで、ロシアがG8から事実上追放されるでしょう。また、欧米の経済制裁が発動されました。日本も追随することは間違いありませんし、そうあるべきです。
考えてみれば、第二次世界大戦で領土を拡張したのは、ソ連邦だけでした。ロシア帝国時代から領土拡張主義を隠したことのない国家であり、無碍なるかなと思います。
欧米や日本と違い、民主的な価値観のない政体の国家でした。そして、同様な国家が、中共ですね。この非民主主義的な二カ国が、常任理事国として安保理に席を占めている訳ですから、国連中心を唱える人が居ますが、非現実的としか思えません。
その中共に擦り寄ってきたのが、朝鮮半島南部の某国です。中共も朝鮮半島南部も事大主義に国なので、体質は似通っているのも当然かもしれません。
沖縄県の太田元知事は、TVで中共はそんなに危険な国なのか疑問を呈していますた。自分から言わせれば、なんで危険じゃないか疑問を持たないかが疑問でした。沖縄県民、中共やロシアは危険です。しっかりしてくれよと、言いたい。
NHKの報道によりますと、政府は日本企業がロシアに進出していることを理由に、経済制裁を躊躇う意見があるようです。このような時期に、日和見はダメです。エネルギーの供給で欧州の方が犠牲は大きい。それでも制裁に踏み切りました。
日本外交の、そして首相の断固立つ決断が求められます。
取り急ぎ、朝のニュースを見て、大きな憤りをもって
2014年3月18日火曜日
重力波の発見 - これは、大発見です。
昨年(2013年)、ピーター・ヒッグスエジンバラ大学名誉教授にノーベル賞が授与されました。教授の功績は、ヒッグス機構の解明です。そして、ヒッグス機構の解明とは、質量の存在を確認することでした。
ヒッグス粒子の存在が証明されたことが教授のノーベル賞受賞理由でしたが、その質量に関しては重力波の存在を確認することも、物理学における重要な課題でした。
重力波は、アルバート・アインシュタイン博士が、一般相対性理論の導かれた重量理論でした。時空の歪みが波動として
空間を光速で伝播する現象です。しかし、重力波が極めて小さな振動であるため、観測が困難でした。
従来は、大規模質量星間の相互作用による間接的な観測が報告されてきました。直接的な観測も、欧米や日本でも試みられていました。しかし、その重量波が発見されたということは、今後の宇宙物理学にとって時代を画す成果と言えるでしょう。
重力波の存在が確認され、それが最終的に追試されれば、人類は宇宙の成り立ちについて重要な手がかりを掴むこととになったと言っても過言ではありません。
今回の成果は、ワクワクさせるものです。来月の科学系の雑誌は、この重力波発見の記事に埋め尽くされることでしょうね。
宇宙誕生時の重力波観測 米チーム、南極の望遠鏡
宇宙誕生時の重力波観測 米チーム、南極の望遠鏡
2014.3.18 01:07
138億年前の宇宙の誕生直後に発生した「重力波」の証拠とされる現象を、世界で初めて観測したと米カリフォルニア工科大などのチームが17日、発表した。生まれたばかりの宇宙の姿を探る重要な手掛かりとなる。
誕生時に非常に小さかった宇宙が急激に膨張したとする佐藤勝彦自然科学研究機構長らの「インフレーション理論」を、観測面から強く裏付ける成果だ。
重力波は、物体が動いた時に波のように広がっていく時間や空間の揺れ。アインシュタインが存在を予言したが、直接観測されたことはない。
チームは、宇宙が生まれた38万年後に放たれた光の名残である「宇宙背景放射」と呼ばれる電波を、南極に設置したBICEP2望遠鏡で詳しく観測し分析した。その結果、宇宙初期の急膨張によって出た重力波が、光の振動する方向に影響を与え、方向が特定のパターンを描いていることを初めて発見。間接的に重力波の存在を確認したとしている。
2014年3月11日火曜日
東日本大震災から丸3年
あの日は、勤務先(中央区日本橋付近)でも、今まで感じたことのない大きな地震、揺れがあり、会社近くの小学校に避難しました。近隣の住民の皆さんだけでなく、我々のような勤め人も非難していました。
付近の幹線道路は大渋滞、鉄道も緊急停止しており、会社から帰宅支持がデましたが、多くの社員は徒歩での帰宅を選択していました。
私は、徒歩帰宅できる距離でないので、最初から経緯を見守ることとしました。インターネットで、津波の映像が送られて来る度に、その規模の大なることに衝撃を受けました。また、原子力発電所に何か発生したらしいとの情報もあり、何とも言えない不安感をに襲われたのを記憶しています。
自宅に携帯電話、会社の固定電話で連絡を試みたですが繋がりません。辛うじて、自宅に一回だけ繋がったでのですが、電話にでた長男が、途中で受話器を置いてしまい、その後は何度かけ直しても通話できません。この時点で、自宅への連絡も諦めました。
勤務先近くの食料品は全て売り切れ、飲料水も同様で、水道水が無事だったのが救いでした。これでも、災害の直撃を行けた皆さんに比べれば、なんの事なないと考えていたのですが、やはり家族に連絡が取れないのが、最も困ったことですね。
その内、東京メロとや西武線、東武線、東急線など私鉄各路線が徐々に運行再開、夜中3時頃になりましたが、帰宅できました。帰宅難民に近い状態であったと思います。
時分のような埼玉県から東京に通勤している者にとって、災害時の通勤経路の確保が物凄く重要だと認識しました。また、地震後に脳出血を患ったことあり、服用しなければならない薬もあり、鞄に2日分を入れてあります。家族の携帯電話の番号、氏名、既往症、服用薬を書いたメモ、薬務手帳も入れてあります。
この準備が無駄に終ることが良いのですが、東京直下型地震の可能性が報じられている現在、この程度の準備は、時分のような病気持ちにはかかせません。
東日本大地震では、未だ多くの方々が避難生活を余儀なくされています。原発事故が重なったこともあり、帰還の望みが事実上、絶たれた地域もあります。月並みですが、あの地震の被害を直接に受けなかった我々も、地震を風化させることをしないように、心していかないといけませんね。
2014年3月10日月曜日
2014年2月26日水曜日
二二六事件
襲撃部隊を指揮したのは、第一旅団副官香田清貞歩兵大尉、歩兵大三連隊の野中四郎歩兵大尉、同安藤輝三歩兵大尉、村中孝次元大尉、磯部浅一元一等主計、所沢陸軍飛行学校操縦科学生河野寿航空兵大尉などの大尉から少尉までの若手将校でした。
襲撃の経緯
昭和11年2月25日夜半から未明にかけて、歩兵第一師団第一聯隊、同第三聯隊を中心とした下士官兵に対して非常呼集下命、実弾を配布。
一部の上級下士官を、決起を知らされており、軍法会議で罪に問われることになります。
岡田啓介総 理大臣公邸襲撃
栗原安秀中尉率いる部隊が、首相官邸を襲撃。警備に当たっていた警視庁警察官4名が拳銃で反撃、殉職
。岡田啓介首相(退役海軍大将)に間違えられて、義弟で総理秘書官の松尾伝蔵陸軍予備役大佐が殺害されました(総理の命を守るため、覚悟の上で自ら囮になったという説もあります)。
岡田首相は、憲兵の機転で生還します。
斎藤實内大臣(退役海軍大将)襲撃
部隊が内大臣私邸を襲撃、四十発の弾丸を身に受けて即死します。
鈴木貫太郎侍従長(予備役海軍大将)
安藤輝三歩兵大尉麾下の部隊が、侍従長公邸を襲撃します。安藤大尉は、鈴木大将に止めを刺そうとしますが、鈴木夫人の懇願により、敬礼をもって立ち去ります。大将は、重症を負いながらも助かりま す。昭和二十年、鈴木大将に内閣総理大臣の大命降下、ボツダム宣言受託の大仕事をやり遂げることになります。
斎藤内大臣、鈴木侍従長、岡田首相は海軍大将でした。三人が海軍大将が的に取られたことは、事件における海軍の行動に少なからずの影響を与えた可能があったと、自分は考えています。
渡辺錠太郎陸軍大将
襲撃部隊は、教育総監の渡辺錠太郎大将私邸を急襲、大将は即死します。
警視庁襲撃
野中四郎大尉指揮下の500名の部隊が警視庁を襲撃します。警視庁は、帝都の治安維持のため、特別警備隊を編成していましたが、陸軍の武装に抗すべくもなく制圧されてしまいます。部隊は、警視庁正面に重機関銃を据えて本格的抵抗を封じてしまいます。
現在の警視庁は、特別襲撃 部隊、銃器対策レンジャー部隊など当時の警視庁特別警備隊以上に武装していなすが、やはり自衛隊の重火器にはかないません。軍事組織は、警察力を凌駕することは出来ないという教訓ですね。
※ 私は、自衛隊肯定論です。
陸軍大臣告示
これが、現在なっても議論を読んでいる、不可解な文書です。陸軍は、事態に収拾に関して二つ割れ、青年将校の主張に融和的な勢力と、石原莞爾少将のように断固懲罰を主張する勢力に割れます。この陸軍大臣告示は、、決起将校の行動を追認しているような、したいないような意味不明の文書で、現在いたるまで226事件を語る際に問題になります。
海軍の動き
午後8時40分、戒厳令が施行され、東京警備司令部に戒厳司令部が設置されます。海軍は演習中であった第 二艦隊を大阪湾に、第一艦隊を東京湾に急派します。また、横須賀特別海軍陸戦隊の一部を芝浦に派遣し、海軍の施設の警備に当たらせます。
海軍も青年将校に同情的な勢力(加藤寛治大将)もありましたが、三大将を標的にされたことで、海軍省は反乱部隊に対して徹底抗戦を決定します。これは、海軍の陸軍に対する敵対意識があった、と言ったら言いすぎでしょうか。
と、このような経緯で、帝都を揺がした日本最大のクーデータ事件が幕を開けたわけですね。二二六事件が、陸軍大事告示など、今に至っても不可思議な事が多すぎます。専門家のにならず、在野の歴史家や研究家など尽きることがない話題を提起してくれて、且つ誠に大事は歴史上の大事件だと思います。
2014年2月25日火曜日
高次脳機能障害セミナーと身体障害者手帳
自分にとっては、誠に為になる有意義な時間でした。来月3月4日、11日も休暇に許可を頂いたので、出席する予定です。
複数のグループに分かれてのワークショップ形式でしたが、自分のグループは7人の班でした。その内、自分を含め二人が実際の障害者経験者、その他の5人の方達がボランティアの皆さんでした。皆さんの話を聞き、有意義な時間を過ごすことができました。
来週と再来週のセミナーも、誠に楽しみです。
セミナーの後、所沢市庁の障害福祉課に出頭してきました。これは、身体障害者手帳の交付を受けるのが目的でした。
実は、昨年の12月に心療内科の主治医と長らく相談し、身体障害者四級の認定を申請しておきました。身体に麻痺が無いので、認定が降りる可能性は半分以下と考えていましたが思いもかけず、身体者障害者手帳の交付を受けることが出来ました。
交付を受けることが出来ましたが、現在も複雑な気持ちです。自分は、脳波検査や複数回のMRI検査などを経由して、今回の認定に辿り着きました。ただ、それでも自分が身体障害者に該当するのか、複雑な気持ちです。身体障害を盾にして不正を行う輩がいるからです。
不正を行う輩は、実数としては数%程度ですが、数億の収入を得ながら生活保護を受給していた在日韓国人などの悪質な事例が後を絶たず、厳しい姿勢で臨むのは致し方無いと思います。
自分は四級なので、障害者手当が付くとか直接的なメリットが有る訳ではないのですが、それども少なからずの優遇処置があります。それも納税者、有権者の皆さんのお陰であることは間違いありません。
身体障害者四級であっても、不正感を抱かえないように気をつけないと思う、今日此の頃です。
2014年1月17日金曜日
小野田寛郎元陸軍少尉逝去す
小野田寛郎さん死去、終戦知らずルバング島30年間任務続行 91歳 自然塾で育成に尽力
2014.1.17 09:38
戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間任務を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で死去したことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。
遺族らによると、体調を崩して6日から入院していたという。
大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。
50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年には小野田自然塾を開設し、ルバング島での経験を基にキャンプ生活を通した野外活動などでボランティアの育成などに尽力した。近年は都内で生活し、国内各地で講演を行っていた。
小野田寛郎元日本陸軍少尉が、ご逝去されていたことが明らかになりました。小野田元少尉は、歩兵六十一聯隊に入営、甲種幹部候補生に志願して合格、久留米第一陸軍予備士官学校に入校しました。
その後、陸軍中野学校二俣分校に入校しましたが、このことが小野田少尉の一生を左右する一大事となりました。
中野学校二俣分校は、本校が諜報・謀略・防諜戦などを教育されたのに対して、ゲリラ戦術(遊撃戦術)、破壊工作教育を受けて、敵後方の破壊活動などが主任務となりました。
中野学校二俣分校での教育後、見習士官を経て陸軍予備少尉に任官し、第十四方面軍に配属され、歩兵第八師団付を命じられています。
歩兵第八師団は、隷下の歩兵第八聯隊をレイテ島に派遣しましたが、ほぼ全滅しています。師団主力はルソン島南部に展開、米軍や現地ゲリラと死闘を繰り返し、やはり壊滅打撃を被っています。小野田少尉は、形式的には同師団の参謀部所属でした。
小野田少尉は、ルバング島に赴任、部下の下士官兵三名と共に八月一五日を過ぎた後も戦い続けることになります。
戦闘中、部下一名は投降し日本に帰還します。昭和二十九年、元伍長がフィリピン警察軍に射殺(戦死)され、同四十七年十月に元上等兵が戦死します。元上等兵は、正に最後の戦死者と言えます。
昭和四十九年(1974年)2月、運命の出会いが訪れます。日本の冒険家、鈴木紀夫氏と小野田少尉が奇跡の邂逅を果たします。小野田少尉は、熱意を以って帰国を促す鈴木氏の説得を受け入れ、もし命令解除が出されるのであれば投降することを了承します。
鈴木氏の連絡を受け、日本政府は救出チームを派遣、同年三月九日に上官である元陸軍少佐から第十四方面軍司令官山下奉文陸軍大将名の作戦命令書「尚武集団作戦命令」と口頭による命令により、任務解除を受け入れます。
小野田少尉は、その際に軍刀をフィリピン警察軍の将校に手渡します。これは、小野田少尉は救出されたという認識は全くなく、降伏と捉えていたからです。軍刀を敵側に手渡すのは、古来より洋の東西で確立していることで、小野田少尉も慣習に従ったものと推測されます。
小野田少尉は、両政治関係者とマニラに移動しますが、自分は処刑されるものと覚悟していたと云われています。それは、終戦後もフィリピン軍・米軍と戦闘行動を行い、また現地住民に対しても殺傷行為を行っていたからです。これは、当時のフィリピンのマルコス大統領の恩赦が与えられたことで、解決します。
処刑を覚悟した小野田少尉ですが、ぼろぼろの軍服姿だったにも関わらず、フィリピン軍の栄誉礼を以って、この勇者を称えたと言います。その後、背広姿で日本に帰国しますが、羽田空港に降り立った瞬間が、小野田寛郎’帝国陸軍少尉’が、’元少尉’になったと言えるのではないでしょうか。
小野田元少尉に不屈の精神に敬意を表し、謹んでお悔やみを申し上げます。
合掌
小野田寛郎少尉の動画
2014年1月7日火曜日
国立障害者リハビリテーションセンターと2020年のパラリンピック
これは、私の知人の発想なのですが、国立障害者リハビリテーションセンター(以下NRC)の設備をパラリンピックで活用できないか、ということです。
NRCは、所沢市にある日本国内で最も先進的なリハビリテーションサービスが提供可能な施設です。NRCには、リハビリテーション専門の病棟、訓練施設、プール、体育館があります。また、研究所も併設されており、義手や義足、車椅子の開発や研究も行われています。従って、パラリンピックの選手達に競技用の車椅子や義手、義足などを提供することが可能ではないかと思います。
本番の競技は東京都内で実施することになりますが、NRCの施設と所沢市内や近隣の自治体の施設を活用して、練習やトレーニングに役立てることは可能だと思われます。
川越市の霞ヶ関カントリークラブが、ゴルフの実施会場に決まりました。所沢市が、パラリンピック選手のトレーニング会場に立候補することを可能と思います。
私自身が、NRCでのリハビリテーションによって職場復帰することができました。そんなことあって、NRCには思い入れがあります。自分が居住する所沢市で、世話になったNRCがパラリンピックに貢献する、そんな夢が実現しないかと、強く強く念願しています。