2014年5月3日土曜日

憲法記念日と憲法改正と集団的自衛権

日の丸2
今日は憲法記念日です。各地で、護憲派と改憲派の集会が催されて、活発に議論されていることと思います。

私が中学校、高校を過ごしたので1970年代でした。その時代は、今から考えれが信じ難いこととに、憲法について考えること自体が憚れる雰囲気がありますた。
どういう事かと言うと、社会党や共産党などの左翼の勢いが強く、護憲でなければ口汚く罵られ、発言の自由を半ば封じられていたからです。
ソ連や中国、社会党、共産党などの左翼思想が絶対善で、保守思想は絶対悪、アメリカ合衆国や自民党は悪魔とも呼べる存在でした。

そうした時代ですから、憲法を考えましょうと言われても、それは護憲思想を無条件に受け入れる、そう言うことでしかありませんでした。
最近になり、ようやく憲法を考えることが可能な時代なったと感慨深いものがあります。それは、社会党(現社会民主党)や共産党、左翼思想の凋落と機を同じくするものがあります。

さて、憲法ですが、護憲と改憲、様々な考えがあります。そうして、自由に議論することこそ健全であると、自分は思います。以前のように、議論自体封殺することは、絶対あってはりません。

現在、憲法に関しては改憲ということが議論されることがあります。自分の立場を明確にすると、改憲派です。よく護憲派のお歴々は、改憲派は憲法を読んでないに違いにない、自分たちは憲法を読んでいる、そうすると護憲派ならないはずがない、というような論法なったりしますね。例えば、社民党の福島氏とか共産党の小池氏などです。そこには、改憲派は憲法も知らない、なんてお馬鹿な人達なんだろうという侮蔑感が満ち満ちていますね。

自分は、これでも憲法は何度となく読みました。そして、自分が出した結論は、改憲が必要であるということです。幾つもの理由がありますが、安全保障と国会が最も重要と考えています。

特に安全保障ですが、我が国が安全にあるためには、集団的自衛権を含む自衛権を憲法に定めておくことが必要と思うからです。
国の安全のため、必要な事項と限界を明記し、自衛権の行使を国家の安全とと国際社会への貢献に絞っておく規定があるべきではかいか、それが自分の考えです。

米国の力の衰えがはっきりしています。それに比例して、中国共産党の軍事力への傾注と強化は由々しき状況にまでなっています。
憲法で米軍を国内から撤退させたフィリッピンがどうなったか。中国共産党の強引な方法ににより、南沙諸島を失うことになりました。中共は、ベトナムとも領土紛争を抱えています。
東アジアは、強引な中共の脅威に晒されていると言っても過言でないでしょう。
中共の軍事的脅威に対抗していくためには、米軍のアジアでのプレゼンスとともに、多国間での防衛協力が欠かせないのではないか。
そうなると、いずれは多国間の安全保障機構に参加することが必要になると言うのが、自分の考えです。


しかし、実際にところ改憲は、ほぼ不可能ではないかと考えています。日本国憲法の改憲規定は、本当に敷居が高いですね。ハードルが高過ぎる。
ではどうすればいいのか。手をこまねいていて良いのか。ダメですね。ならば、憲法の解釈を変えるしかないじゃないか。

blogos
前衆議院議員 緒方林太郎氏
「訓詁学はもう止めよう」

自分は、緒方氏の意見にほぼ同意します。

自分は、大学で社会学を専攻していました。大学の先生方の一部に、観念論や理想論に凝り固まったしか思えない講義があり、辟易したことがあります。
現在の護憲派も同じですね。社民党や共産党、大江健三郎氏、福島瑞穂氏、辻元清美氏、弁護士の狩野氏などの護憲論を聞いていると、この人達は中共や北朝鮮、ロシアをあそこまで、よく信用できるなと思います。ある意味、感心しています。

自分は、骨の髄まで改憲派、集団的自衛権容認派です。高校生時代、憲法改正が必要を言ったら、同級生から右翼反動軍国主義者と言われました。その同級生は、愚かなる者が馬鹿なことを言っていると考えたのでしょうね。
その場で言い返しました。そうだよと。
昔は、安全保障を語ると左翼のお歴々から、右翼反動軍国主義者とレッテルを貼られるの日常茶飯事なので慣れてしまい、今も変わりません。

このblog、そんなに大した読者がいる訳でもないのですが、この右翼反動軍国主義者をお考え方も居られるでしょうね。お答えします。その通りなので、全く気にしてません。

憲法記念日の佳き日に、憲法改正、集団的自衛権が必要と主張させて頂きました。

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