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2016年8月27日土曜日

診察時間短縮の効果 - 所沢中央病院に行ってきました。

本日、所沢中央病院に行ってきました。二カ月に一回受診する、脳神経外科の主治医による診察を受けるのが目的でした。今日は、半年に一回のMRI検査もあり、12時頃まで時間が掛かることを覚悟していました。しかし、案に相違して極めて短い時間で、帰宅することができました。

雨の中、8時45分に家を出て、帰宅したのは10時20分。1時間35分で、受診を終えることが出来ました。これは、処方箋薬局で二か月分の薬を受け取った時間を含めたものです。従来と違って、かなりの時間短縮となりました。

その理由は、受付と会計時間が短縮されたことなのは明らかです。従来は、受付と会計で大半の時間を費やしていました。MRI検査が予約されていた場合、9時に病院に入り、検査を受け、主治医の診断と問診を受け、次回診断の予約を行い、会計をして、処方箋薬局に行き、二ヶ月分の薬を受け取り、自宅に帰るのが12時ごろでした。

この時間の短縮、滅茶苦茶に助かります。午前中にも予定を入れることも可能になりました。嬉しいですね。今までは、はっきりと言うと、憂鬱でしたね、診察日は。

前から考えていたのですが、半日も病院に時間を使ってしまうと、通院する意欲が無くなるだろうなと。過去に自分も経験があります。

5年前、脳出血を患いましたが、人間ドックで高血圧を指摘されていました。しかし、診察時間の長さを考え、ついつい先延ばしをしている間に発症してしました。診察時間の短縮は、患者にも医療機関にもメリットがありますね。

所沢中央病院では、受診券の受付、会計、支払いの手順の大半が自動化、半自動化されました。
この効果は絶大です。患者にとっても、多いに助かるもですね。

(写真は、前回受診時の写真です)



受付機

総合受付

自動支払い機

2016年5月22日日曜日

脳出血から、まる五年が経過しました。

2016522日で、脳出血を発症し所沢中央病院に緊急に入院してから丸五年になりますが、早いものですね。五年の月日は、知らぬ間に過ぎ去ってしまったと思えます。


写真は、文字が書けなくなった時の使った練習したノートです。これでも、50音全部を書いたと思ってました。「ぬ」と「め」、「ね」を「わ」など、字体が似ていると間違えやすかったですね。実は、今も戸惑うことあります。


入院当初の記憶は錯綜しており、途中からは全く覚えていません。が、皆様のお陰を持ちまして生きております。
現在も2ヶ月の一回の通院、4種の薬の服用が欠かせません。この薬の服用、生涯続きます。

中学校時代の同級生が癌になりました。同級生が集まった席で、二人して癌と脳出血、どちらが質が悪いか、どちらが先に命が絶えるか、笑いながら話したことがあります。それを聞いた同級生から、縁起の悪いことは言ってはいけないと、お叱りを受けたこともあります。

癌は、5年生存率が問題になりますね。5年間、癌の再発が無ければ治癒と見做すという考えです(あくまで見做すであって、5年以上経過して再発する例もあります)。
脳出血、そうはいきません。脳出血は、脳の細胞を破壊します。そして、破壊されてた脳細胞は再生しないからです。

所沢中央病院に脳出血で入院、手術を受けて急性期リハビリテーションを受けました。その後、国立障害者リハビリテーションセンターに転院、回復期リハビリテーションが始まりました。
そこで、心療内科の主治医や担当の臨床心理士から宣告を受けたことがあります。発症前の状態を100としたら、現在は5060かと。そして、それをリハビリテーションで7080909192と回復させていく、しかし100に戻ることはないのだと。それを聞いても、最初は楽観的に考えていました。

転院当初、幾つかの検査を受けるのですが、段々分かってくるというか、思い知るわけです。それまでは、楽観的に考えていたのに、検査の結果は明らかなんです。それまで出来ていたことが出来ない。これ、けっこう辛いものです。

自分の場合、脳出血が発症した箇所は左側頭葉の血管です。これは、MRIの画像でも明らかなのですが、脳細胞が死滅した部分は白くなっており一目瞭然。その画像を見れば、どのような後遺症をもたらすかも判断可能です。

自分の脳出血の患部は、言語を司る部分でしたが、字が読めない、書けない症状がでるんです。これは、難儀しました。
「話す」も支障がでました。話していても、詰まるんですね。単語が直ぐに出てこない。頭の中では浮かんでいるのですが、発生できない。しょうがないので、別の単語で置き換える。疲れますね。

最も悩まされるのが眩暈(めまい)です。軽い眩暈は毎日のことですが、ときたま重いのに襲われます。重い眩暈は、冬場で朝方が多いのですが、その症状がでた場合は基本的には休暇を取得します。年間の有給休暇には、眩暈で休む分も見込んでおきます。

主だった後遺症は以上ですが、他にもあります。結局、脳出血という疾病は完治しないという事実を身に沁みるわけです。だらといって、諦めてもいません、今は。
正直にいうと、最初は投げやりになったことは否定しません。段々に、自分が出来る範囲のことをしようと思えるようになりましたが、そこまでに行くまでに時間がかかりました。

脳出血にせよ脳挫傷にせよ、脳の機能に損傷があり、何らかの機能障害があった場合は、高次脳機能障害と呼ばれます。勿論、自分は高次脳機能障害と診断されました。MRI画像からの、検査の結果から否定しようのない判断です。


高次脳機能障害、外見的には分からないのが、患者のとって辛いところです。高次脳機能障害患者は、多かれ少なかれ、これで苦労します。家族も友人も知人から、直って良かったねと言われることが度々です。しかし、記述したように発症前の状態には戻らないのです。直ったと言われるのが、一番辛く腹立たしい。これは、患者全員が経験することです。



亡くなった父親が、自分が19歳の時に頭部を強打して脳挫傷になりました。それで、開頭手術が必要になり、医師から手術への同意を求められ、署名ししました。脳挫傷になった箇所は、左側側頭部。奇しくも自分と同じです。
医師から、後遺症として計算、読み書きに支障がでる可能性があると宣告されました。自分も同じです(当時は、高次脳機能障害という概念がなかったのですが)

リハビリが終わって、父親が帰宅した時、我々家族も親族も直って良かったと言い合ったものです。しかし、直っていないことは、父親自身が最も理解していたのでしょうね。

自分も高次脳機能障害になって初めて理解しました。国立障害者リハビリテーションセンターから退院、自宅療養になったところ、家族兄弟親戚から直った直ったと言われた時、腹立たしいものありました、正直。同時に、父親に対する後悔の念が湧いてきて、これは今もあります。

年一回、国立障害者リハビリテーションセンターで同じ病棟に入院した患者仲間と食事会をて、色々なことを話します。高次脳機能障害への無理解から、周りの人が理解してくれないことへの不満がでますね。それで苦労した元患者もいますし。
今年も529日に昭和記念公園に集合する予定です。年齢は、50代から20代まで幅が広いですが、高次脳機能障害を互いに理解してくれる、貴重な集まりです。

発症から五年です。発症から、一〇年、一五年・・・・。五年というのは筋目ですが、自分は50歳で脳出血を患ったので、発症から計算すれば自分の年齢が簡単にわかります。便利です。


癌と脳出血、質の悪いどちらか。五年以上再発がない友人の勝利ですかね。まさか、逆転勝利を願う訳にもいきませんから(笑)

2016年1月1日金曜日

新年明けまして、おめでとう御座います。

新年明けまして、おめでとう御座います。昨年は、当Blogを閲覧して頂き、感謝致します。
本年も、様々は話題を取り上げて、当Blogに掲載していきますので、引き続き宜しくお願いします。



2015年12月31日木曜日

大晦日、5年ぶりに早朝の買い出しを行いました。

今年の大晦日。5年ぶりに早朝の買い出しに行ってまいりました。
場所は、所沢市北中二丁目の「ヤオフジ」と「角上魚類」。老母の買い出しの付き添いです。

脳出血を発症したのは、2011年5月。それまで大晦日早朝に買い出し、毎年の恒例行事でした。今回は、5年ぶりに母親の早朝買い出しに付き添ってみました。

驚いたのは、「角上魚類」の来場客の多さ。カートの使用が禁止されていました。足が悪い老母にとって、少々堪えたようです。しかし、あの来場客の多さでは、致したないと思います。

大晦日に「角上魚類」で買い出しをするのは開店以来の恒例でしたが、最初の頃Hは混雑してはいましたがカートは使えましたし、もう少し落ち着いて買い物ができました。あの時の雰囲気が懐かしいです。

この買い出しで、正月準備はほぼ完了。その他に、大晦日は布団を干して、シーツと枕カバーを洗濯するのが、年の決まりです。幸い、夕方までは日が出ているようなので、布団を干し、シーツを枕カバーを洗濯して、紅白歌合戦に備えます。

紅白歌合戦は、自宅から歩いて10分ほどの実家で視聴します。長男と次男、特の長男が「絶対に笑ってはいけない☓☓☓☓☓24時」を、毎年欠かさず視聴するので、自分は老母と叔母と実家で紅白を楽しみのが恒例です。
紅白の後は、菩提寺の長久寺で年越し。除夜の鐘を鳴らして、家内安全無病息災を祈願します。

今年も、本日で最後。当Blogを閲覧して頂いた皆様に、。心より御礼申し上げます。良いお年を迎えられるよう、お祈り申し上げます。



 「角上魚類」全景です。



「角上魚類」店内の様子です。大混雑でした。

「角上魚類」店頭の様子です。


「角上魚類」隣の「ヤオフジ」です

2015年12月30日水曜日

年末の恒例行事 ― 日本の年末年始、何気ない行事が大事ですね。

年末年始休暇に入ったので、昨日から大掃除そのた年末の用事を片付けました。
因みに我が家では、大掃除は夫婦二人の仕事です。子供二人が中学生までは、手伝ってくれたのですが、今は駄目です。その清掃も、二人の仕事関係で、別々に行います。暗黙の了解事項があって、分担が決まってます。

12月29日

  • 朝から、自宅一階、二階の拭き。窓用洗剤を使って丁寧に(と自分では、思ってます)
  • 窓拭き後、自宅一階と二階の一部の床掃除
  • 夕方、所沢駅のプロペ通の眼鏡店で、紛失した老眼鏡について相談。在庫がるので、度に変更がなければ、一日以内に引き渡し可能のこと。30日発注をお願い
  • 年賀状の印刷

12月
  • 朝から、清掃再開。二階の夫婦の寝室に使っている和室の掃除。畳の拭き掃除、箪笥の拭き掃除。
  • 10時に中断。コナミスポーツクラブで、今年の運動納め。一年間、お世話になりました。料金改正があるので、4月以降の更新は未定です。
  • コナミスポーツクラブから、見澤食品へ。年越し蕎麦の買い出しです。偶然、O川ご夫妻にお会いしました。可愛く愛らしいお嬢様をお連れでした。
  • 見澤食品から北野天神社へ。次男の合格祈願です。来年1月16日、17日はセンター試験なので。



    • 清掃再開、玄関の清掃と自動車の清掃。
    • 眼鏡店へ。新しい眼鏡の品定めをして、購入。

    とりあえず、今日の予定は終了しました。明日は、午前4時半に起床して、角上魚類で買い物です。
    脳出血を患う前は、大晦日の恒例行事だったのですが、今回は5年ぶり。楽しみにしています。




        

    2015年12月25日金曜日

    Merry Christmas.

    Merry Christmas.
    拙Blogをご訪問頂いた皆様。クリスマスをの佳き日を楽しくお過ごし下さい。




    2015年12月24日木曜日

    日本橋 「玉ひで」の親子丼

    本日は、年間の慰労会を兼ねた所属部署の昼食会でした。場所は、日本橋の「玉ひで」。親子丼で有名なお店です。

    筆者が所属する部署は、子育て中の方も居られるので、忘年会などは退社後ではなく昼食会という形式をとることが少なくありません。一時間という短い時間ですが、美味しい料理をいただきながらの昼食会、慣れると中々に良いものです。

    玉ひでは、会社から歩いて3分程度、極めて近いのですが訪れたことはありませんでした。昼食の時間帯、店の前を通ると行列が作られているので何となく敬遠していたのと、いつか来られると考えいたので、一度も訪れることのないままでした。
    今回は、所属部署の部門長が、玉ひでの親子丼を食べいたいとの希望で、実現しました。


    玉ひで

    玉ひで/食べログ

    玉子はふわっと仕上がられて、ご飯も程よい硬さ、鳥肉の適度な歯応えがあり、美味しゅうございました。

    撮影を忘れましたが、食後のデザートは甘みを抑えたシロップがかけられた、いちご。やはり、美味しく頂きました。






    2015年12月23日水曜日

    コンサートに行ってきます。其の名も『福山☆冬の大感謝祭 其の十五 野郎夜!! THE SECOND』

    本日は、天皇陛下の82歳の誕生日。朝6時半に起床、宮城遥拝。皇室の弥栄をお祈り申し上げました。



    皇弥栄




    ところで、本日はとある理由でとあるコンサートを見に行ってきます。其の名も【福山☆冬の大感謝祭 其の十五 野郎夜!! THE SECOND】。場所は、横浜アリーナです。
    横浜アリーナは、所沢駅からだと副都心線を経由して桜木町まで直通、以前なら躊躇したかもしれませんが、交通の発達により便利になりました。

    このコンサートは、女人禁制なのだそうです。男だけが集まるコンサートとは・・・・・
    そっち系の人に誘われないように、十分の注意しようと思います。

    福山雅治さんと言えば、福山ロス。しかし、すっかり過去のものになりましたね。流行語の移り変わりは、移り気なものですね。

    実は、こうしたコンサートに行くのは人生初めてのことです。芝居や歌舞伎、クラシックのコンサートなどは何度か行ったことがあります。

    今回は、勤務先のお取引先から、チケットのお譲りいただくことができました。場所はパシフィコ横浜なので、帰りが遅くなりそうです。兄弟が横浜に居住しているので、コンサート終了後は泊めて貰うことにしました。
    朝は、そのまま出社します。一宿一飯の恩義が出来るわけなので、兄弟夫婦と姪に麦酒とジュースを買って行きます。




    追記
    横浜に行くのは、久振りです。脳出血を発症して以来、内勤になったので自宅と勤務先の日本橋との往復で、その他の地域に行くことが稀になりました。その意味でも楽しみです。


    丁度20年前まで、神奈川県横浜市日吉に6年ほど住んでました。その期間に結婚し、長男が生まれました。中古のマンションを購入して暮らしていましたが、慶応大学の野球部、ラグビー部のグランドが近くでした。
    日吉駅前の飲み屋に行くと、野球とラグビーの慶早戦のポスターが貼ってありました。そう、日吉では早慶戦ではなく、慶早戦。間違ってはいけません。

    その関係で、現在も本籍は神奈川県横浜市です。元々の生まれ故郷である所沢に戻そうと思ってい内に現在至ってます。将来、マイナンバー制度が軌道に乗り拡充すれば、戸籍謄本や妙本などを入手も簡易になるので、このままにしておこうと思います。


    2015年12月21日月曜日

    若かりし頃の写真 - こんな時代もありました。

    アルバムの中にあった写真の一葉です。母校である、埼玉県立所沢北高二年生の頃に、写真部に所属していた同級生が撮影してくれたものと記憶しています。

    懐かしかったので、アルバムから出そうと思っていたのですが、思いの外粘着力が強く、少々損傷してしまいました。

    損傷した際には、諦めてしまったのですが、たまたまプリンターを買い換えたばかりなので、性能を試す意味で、修復に挑戦してみました。

    まずは、プリンターでアルバムに貼られていた写真をキャプチャーしました。キャプチャーした写真を、画像修正用のフリーソフトで、トリミングなど編集加工してJPEG形式で保存しました。そのファイルをL版で写真用の光沢紙に2部印字しました。

    一部に皺が寄ってしまったこと、アルバムの保存用フィルム越しのキャプチャーであり、完全に元の写真のようにはなりませんでしたが、そこそこ満足すべき状態に修復できました。

    元の写真が白黒なのが幸いしました。当時は、白黒写真も現役でしたからね。現在の北高はどうなっているか知りませんが、当時は校内に暗室があったと記憶しています。


    損傷したアルバムの写真は、そのままにしておき、修復再生した写真も並べて保存します。もう一枚は、再生の苦労を忘れないために、引き出しに仕舞っておきます。



    若かりし頃の我が身の写真。
    埼玉県立所沢北高等学校の二年生の時。



    追記
    デジカメではありませんから、写真一枚一枚が簡単に複写できるものではありませんでした。自分がネガを持っていれば別ですが、頂いた写真は大概一枚だけ。損傷してしまうと、諦めざるを得ませんでした。
    今は、素人でも創意工夫で写真の修復再生ができます。

    デジカメ、簡単に撮影できます。しかし、撮影した写真の整理はどうしているのでしょうか。小生は、整理に困ってます。



    2015年12月15日火曜日

    ネットワーク・セキュリティセミナーと増上寺と秋田屋

    昨日は、直行直帰で電波協力会・一般社団法人情報通信振興会主催の「ネットワークセキュリティセミナー」に参加してきました。
    開催場所は、港区の増上寺近くだったので、昼休みに見学してきました。
    虎ノ門近くの会社に勤務していた時代、増上寺は昼休みに何回も散歩に出かけたので、懐かしかったです。
    増上寺は、徳川家の菩提寺、徳川将軍家15代の内、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂の6人が葬られています。
     
    帰宅途上、浜松町で有名な焼き鳥屋、秋田屋さの何とも言えない匂いに逆らうことができず、ビール一本と焼鳥二本、頂きました。

    瓶麦酒を注文したのですが、麒麟ラガービールだったのが素晴らしかったです。なにせ、アサヒスーパードライが嫌いなので。
    スーパードライをのむくらいなら、水を選びます(笑)




























    秋田屋