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2016年9月4日日曜日

埼玉県立所沢北高等学校の文化祭 - 北高祭に行って参りました。

昨日、ちょっと厳しく美しい同級生と美人な後輩と一緒に、母校である埼玉県立所沢北高等学校の文化祭に行ってきました。

8月半ばからの天候不順、引き続く台風が心配だったのですが、幸い雨も降ることなく楽しむことが出来ました。

午前中は、健康維持のために続けているスポーツジム(アスリエ)に通い、午後に同級生と後輩と合流。まず、昼食のために山田うどんに行ってきました。

自分の高校時代は、学校に食堂がなかったです。昼食は、弁当か昼休にみ販売されるパン。🍞
問題は、パンなんです。売り切れることがあるんですね。仕方なく、近所の飲食店で済ませるのですが、よく利用したのが山田うどんでした。
昼食を外で食べる事は禁止されてましたが、食欲旺盛な高校生が我慢できる訳はありません。何度怒られても、止めませんでした。

それは、親父の後押しと言うか怒りがあったのが理由です。我が家は自営業でした。母親が弁当用意してくれましたが、家業が忙しい時はそうもいきません。必然的にパン食になるのですが、既述のように売り切れる事がありました。頭に来て、教師に怒られようとも、校外で昼飯を食べると親父に告げたところ、構わない、大いにやれ、責任は取ってやるとの有り難い御言葉でありました。

何故かと言うと、親父なりの考えありました。自営業であれば、母親も仕事で弁当を用意できないこともある、他の高校のように食堂がない、業者のパンも売り切れ、ならば校外で食べるのは致し方ないじゃないか。
それなのに、生徒には我慢させ、教師は昼食を食べてるとは何事か(はい。教師が、校外で食べている姿を何度もみました)。

今にして思います。遺伝なんだな。似たもの親子。短気、共産主義が嫌い、周りが右を向けば逆を見る。親子して高次脳機能障害になり、家族に迷惑をかける。変わりませんね(笑)

ところで、文化祭ですが演劇を拝見しました。感想ですが、難しいえ題材に果敢に挑んいましたね。
感心しました。ただ、あの題材は高校生にはどうかなと。人生経験の無い高校生には、理解できないかもしれません。

高校時代(記憶では2年生の時)、8ミリフィルムで映画制作に挑んだことがあります。クラスのみんなで考えたショートショートのシナリオを繋げたものですが、現在と異なりビデオの無い時代、編集には苦労しました。
撮影して、現像しないと結果が分からないのが大変でした。しかし、高校時代の懐かしい思い出です。
映画を制作した時間は、高校時代で最も充実していたのかもしれません。

高校二年時の生徒手帳

文化祭の看板

飾り付けられた校舎

2016年9月2日金曜日

埼玉県立所沢北高等学校の文化祭 - 北高祭

9月3日と4日は、我が母校である埼玉県立所沢北高等学校の文化祭です。同級生、後輩と顔を出す予定にしています。

埼玉県立所沢北高等学校 北高祭




この時期、高校の文化祭が同日に開催されますね。

埼玉県立所沢高等学校    所高祭   9月3日、4日
埼玉県立所沢西高等学校   西華祭    9月10日、11日
埼玉県立所沢中央高等学校 文化祭   9月10日、11日
埼玉県立所沢商業高等学校 所商祭   9月下旬か10月上旬
埼玉県立芸術総合高等学校 四つ葉祭 9月24日、25日

昔は、北高と所高の文化祭は被ってなかったですね。学生服で、所高の文化祭に行った記憶があります。そこで、堅苦しい制服なんか着てと揶揄されて、俺達は学ランが好きなんだと啖呵を切った覚えがあります(笑)

今、ふと思いました。北高なのか、所北なのか。最近は、所北という言い方が多いようです。北高卒業の長男も、所北と言ってます。二歳年長の兄も北高出身ですが、北高派です。
自分の時代は、校内で所北という言い方は記憶がありません。自分は、これからも北高で貫こうと思います。論より証拠、文化祭の名称は「北高祭」ではないですか(笑)

追伸
兄、自分、長男と北高一家なんです。珍しいかもしれませんね。


2016年5月3日火曜日

埼玉県立所沢北高等学校とスカイブルー

我が母校、埼玉県立所沢北高等学校では、校章とバッチを制服に付けることが決まりでした。
校章は全学年共通ですが、バッチは「北」の文字を飛行機の形にデザインしたもので、えんじ色と黄緑、スカイブルーが使われていました。

元々、我が母校は帝國陸軍所沢飛行場が米軍に接収され、その跡地に建設された学校です。近くには、航空記念公園や航空発祥記念館もあり、飛行機に縁の深い学校です。それが、バッチのデザインに表れています。

自分が入学した時のバッチは、スカイブルー。正直、当たりだと思いました。飛行に縁の深い高校で、そのバッチの色がスカイブルー、鼻高々でした。

高校生の時、急に見ず知らずの人に声をかけられて、どこの学校ですか聞かれたことがあり、そのスカイブルーのバッチが格好いいと言われたことがあります。

スカイブルーバッチは、その年度に入学した生徒でないと付けることはできません。埼玉県立所沢北高等学校のスカイブルーのバッチ、自分でも誇りにしています。

県立所沢北高を卒業から、長い年月が経過しました。そこで、何とか同級生との連絡を回復するため、Facebookのグループを立ち上げました。その名は、「埼玉県立所沢北高等学校第4期生の会」。グループのカバー写真には、当然スカイブルーを使用しました。

「埼玉県立所沢北高等学校第4期生の会」



一学年約360名の生徒が在籍していたので、連絡が出来るのは二桁程度だと思いますが、何れは同学年の同窓会を開催したいと念願しています。
このBlogみた同級生諸氏、もし連絡を頂ければ幸いです。

2016年4月26日火曜日

我が母校、埼玉県立所沢北高等学校と所沢陸軍飛行場

所沢航空記念公園は、かつての帝國陸軍所沢飛行場跡地に建設されました。所沢陸軍飛行場は、戦後直ぐに米軍に接収され、講和条約締結後も施設の提供が継続されていましたが、所沢市による官民を挙げての運動が実を結び、一部が返還されました。

所澤陸軍飛行場

所沢通信基地

所沢航空記念公園

その返還後の跡地には、防衛医科大学校、同付属病院、所沢航空記念公園、所沢航空発祥記念館、国立障害者リハビリテーションセンター、国立職業リハビリテーションセンターなどが建設されました。

(国立障害者リハビリテーションセンター、世話になりましたね。通算、三ヶ月も入院したのですから)

その基地跡地に建設された施設の一つが、埼玉県立所沢北高等学校、我が母校です。
北高は、所沢市におけるに三校目、普通科としては二校目の高校で、自分が入学した時代には半分近くが市内の中学校からの進学者であったと記憶しています。

自分は、幼い時から柔道を学び、高校でも継続したかったのですが、柔道部の先輩と衝突、啖呵を切って退部してしまい、そのまま高校時代は何をするのでない時間を過ごしてしまいました。そして、そのことが後々まで尾を引き、高校時代の同級生とは縁遠い状態になってしまいました。

高校時代は、別の高校の進学した中学校時代の友人と趣味の登山に行っており、自宅に引きこもって過ごすということでもなく、16歳から18歳までの思い出はそれなりにあるのですが、多少の寂しさはあります。

(何人かの後輩とは共にゴミ拾いの活動をしたり、埼玉西武ライオンズの試合を見たり、飲みに行ったりとはしているのですが・・・・・・・)

大学時代は、そのことを後悔したのと山登りを継続しようと思いがあり、体育会ワンダーフォーゲル部入部、アルバイトで資金を稼ぎながら、登山とスキーに明け暮れて始めました。また、一年生の時一月、四年生の先輩にと体育会本に連れていかれて、突然「今日から、ここ」と言われて面喰らいました。その時から、WV部と体育会本部の二足の草鞋を履く身となりましたが、それで良かったと思ってます。そうした、大学時代の仲間とは今でも交流がありますので、大事にしています。
閑話休題

ところで、写真は2012年9月に撮影した高校の様子です。外観は、卒業当時のままで懐かしいですね。

埼玉県立所沢北高等学校は、兄弟と親子で世話になりました。二歳年上の兄と自分、長男の3人が北高OBです。

2016年11月、高校の同窓会が行われるそうです。偶然、連絡が取れるようになった同級生に誘われたのでしが、今のところ参加する予定です。
縁遠くなってしまった高校時代の同級生、折角の機会なので再会して昔の思い出話をしてみたくなりました。同窓会、今から楽しみです。


正門です。

校舎の全面風景です。わが校は、一教室を除き、二階建てあったのが特徴でした。2階建ての理由は、通信基地の電波障害をさけるため。校舎の作りの独特でした。今は電波障害の問題の無くなったので、もし建て替えられることになったら、3階建て4階建てとなるのでしょうか。


我々が母校に寄贈した卒業記念です。 「飛翔」は、北高生が未来飛び立つ姿を表していると、最近知りました(笑)

母校に寄贈した卒業記念、「飛翔の像」です。「飛翔の像」、今は北高校のシンボルとなっているようですね。寄贈当時は、そこまで期待してはいませんでした。

同じく、母校に寄贈した「飛翔の像の」遠景です。

2015年12月21日月曜日

若かりし頃の写真 - こんな時代もありました。

アルバムの中にあった写真の一葉です。母校である、埼玉県立所沢北高二年生の頃に、写真部に所属していた同級生が撮影してくれたものと記憶しています。

懐かしかったので、アルバムから出そうと思っていたのですが、思いの外粘着力が強く、少々損傷してしまいました。

損傷した際には、諦めてしまったのですが、たまたまプリンターを買い換えたばかりなので、性能を試す意味で、修復に挑戦してみました。

まずは、プリンターでアルバムに貼られていた写真をキャプチャーしました。キャプチャーした写真を、画像修正用のフリーソフトで、トリミングなど編集加工してJPEG形式で保存しました。そのファイルをL版で写真用の光沢紙に2部印字しました。

一部に皺が寄ってしまったこと、アルバムの保存用フィルム越しのキャプチャーであり、完全に元の写真のようにはなりませんでしたが、そこそこ満足すべき状態に修復できました。

元の写真が白黒なのが幸いしました。当時は、白黒写真も現役でしたからね。現在の北高はどうなっているか知りませんが、当時は校内に暗室があったと記憶しています。


損傷したアルバムの写真は、そのままにしておき、修復再生した写真も並べて保存します。もう一枚は、再生の苦労を忘れないために、引き出しに仕舞っておきます。



若かりし頃の我が身の写真。
埼玉県立所沢北高等学校の二年生の時。



追記
デジカメではありませんから、写真一枚一枚が簡単に複写できるものではありませんでした。自分がネガを持っていれば別ですが、頂いた写真は大概一枚だけ。損傷してしまうと、諦めざるを得ませんでした。
今は、素人でも創意工夫で写真の修復再生ができます。

デジカメ、簡単に撮影できます。しかし、撮影した写真の整理はどうしているのでしょうか。小生は、整理に困ってます。