2016年5月22日日曜日

脳出血から、まる五年が経過しました。

2016522日で、脳出血を発症し所沢中央病院に緊急に入院してから丸五年になりますが、早いものですね。五年の月日は、知らぬ間に過ぎ去ってしまったと思えます。


写真は、文字が書けなくなった時の使った練習したノートです。これでも、50音全部を書いたと思ってました。「ぬ」と「め」、「ね」を「わ」など、字体が似ていると間違えやすかったですね。実は、今も戸惑うことあります。


入院当初の記憶は錯綜しており、途中からは全く覚えていません。が、皆様のお陰を持ちまして生きております。
現在も2ヶ月の一回の通院、4種の薬の服用が欠かせません。この薬の服用、生涯続きます。

中学校時代の同級生が癌になりました。同級生が集まった席で、二人して癌と脳出血、どちらが質が悪いか、どちらが先に命が絶えるか、笑いながら話したことがあります。それを聞いた同級生から、縁起の悪いことは言ってはいけないと、お叱りを受けたこともあります。

癌は、5年生存率が問題になりますね。5年間、癌の再発が無ければ治癒と見做すという考えです(あくまで見做すであって、5年以上経過して再発する例もあります)。
脳出血、そうはいきません。脳出血は、脳の細胞を破壊します。そして、破壊されてた脳細胞は再生しないからです。

所沢中央病院に脳出血で入院、手術を受けて急性期リハビリテーションを受けました。その後、国立障害者リハビリテーションセンターに転院、回復期リハビリテーションが始まりました。
そこで、心療内科の主治医や担当の臨床心理士から宣告を受けたことがあります。発症前の状態を100としたら、現在は5060かと。そして、それをリハビリテーションで7080909192と回復させていく、しかし100に戻ることはないのだと。それを聞いても、最初は楽観的に考えていました。

転院当初、幾つかの検査を受けるのですが、段々分かってくるというか、思い知るわけです。それまでは、楽観的に考えていたのに、検査の結果は明らかなんです。それまで出来ていたことが出来ない。これ、けっこう辛いものです。

自分の場合、脳出血が発症した箇所は左側頭葉の血管です。これは、MRIの画像でも明らかなのですが、脳細胞が死滅した部分は白くなっており一目瞭然。その画像を見れば、どのような後遺症をもたらすかも判断可能です。

自分の脳出血の患部は、言語を司る部分でしたが、字が読めない、書けない症状がでるんです。これは、難儀しました。
「話す」も支障がでました。話していても、詰まるんですね。単語が直ぐに出てこない。頭の中では浮かんでいるのですが、発生できない。しょうがないので、別の単語で置き換える。疲れますね。

最も悩まされるのが眩暈(めまい)です。軽い眩暈は毎日のことですが、ときたま重いのに襲われます。重い眩暈は、冬場で朝方が多いのですが、その症状がでた場合は基本的には休暇を取得します。年間の有給休暇には、眩暈で休む分も見込んでおきます。

主だった後遺症は以上ですが、他にもあります。結局、脳出血という疾病は完治しないという事実を身に沁みるわけです。だらといって、諦めてもいません、今は。
正直にいうと、最初は投げやりになったことは否定しません。段々に、自分が出来る範囲のことをしようと思えるようになりましたが、そこまでに行くまでに時間がかかりました。

脳出血にせよ脳挫傷にせよ、脳の機能に損傷があり、何らかの機能障害があった場合は、高次脳機能障害と呼ばれます。勿論、自分は高次脳機能障害と診断されました。MRI画像からの、検査の結果から否定しようのない判断です。


高次脳機能障害、外見的には分からないのが、患者のとって辛いところです。高次脳機能障害患者は、多かれ少なかれ、これで苦労します。家族も友人も知人から、直って良かったねと言われることが度々です。しかし、記述したように発症前の状態には戻らないのです。直ったと言われるのが、一番辛く腹立たしい。これは、患者全員が経験することです。



亡くなった父親が、自分が19歳の時に頭部を強打して脳挫傷になりました。それで、開頭手術が必要になり、医師から手術への同意を求められ、署名ししました。脳挫傷になった箇所は、左側側頭部。奇しくも自分と同じです。
医師から、後遺症として計算、読み書きに支障がでる可能性があると宣告されました。自分も同じです(当時は、高次脳機能障害という概念がなかったのですが)

リハビリが終わって、父親が帰宅した時、我々家族も親族も直って良かったと言い合ったものです。しかし、直っていないことは、父親自身が最も理解していたのでしょうね。

自分も高次脳機能障害になって初めて理解しました。国立障害者リハビリテーションセンターから退院、自宅療養になったところ、家族兄弟親戚から直った直ったと言われた時、腹立たしいものありました、正直。同時に、父親に対する後悔の念が湧いてきて、これは今もあります。

年一回、国立障害者リハビリテーションセンターで同じ病棟に入院した患者仲間と食事会をて、色々なことを話します。高次脳機能障害への無理解から、周りの人が理解してくれないことへの不満がでますね。それで苦労した元患者もいますし。
今年も529日に昭和記念公園に集合する予定です。年齢は、50代から20代まで幅が広いですが、高次脳機能障害を互いに理解してくれる、貴重な集まりです。

発症から五年です。発症から、一〇年、一五年・・・・。五年というのは筋目ですが、自分は50歳で脳出血を患ったので、発症から計算すれば自分の年齢が簡単にわかります。便利です。


癌と脳出血、質の悪いどちらか。五年以上再発がない友人の勝利ですかね。まさか、逆転勝利を願う訳にもいきませんから(笑)

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