ラベル 国立障害者リハビリテーションセンター の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 国立障害者リハビリテーションセンター の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年9月30日土曜日

退院して丸6年になりました。

本日9月30日で、国立障害者リハビリテーションセンター病院を退院して、丸6年になります。
2011年に脳出血を発症、所沢中央病院に緊急入院、国立障害者リハビリテーションセンター病院に転院、一時帰宅中に体調を崩して救急車で所沢中央病院に緊急搬送、国立障害者リハビリテーションセンター病院に再入院と、色々とありました。
早いもので、あれから6年の月日が経過しました。その間に、高校生だった長男は大学4年生。お陰様で就職も決まっています。中学生だった次男は、大学二年生。今年の夏は、北海道の農業インターンシップに参加。何か、得るものがあったようです。
脳出血の後遺症は、治ることはありません。今後も再発に注意しながらの通院が続きます。しかし、幼馴染や高校、大学時代の友人、新たに知り合った地域の皆さんや友人との交流で、現在に至ってます。皆さん、今後とも宜しくお願いします。


2016年9月30日金曜日

退院から丸5年が経過しました。

退院から丸5年が経過しました。

脳出血発症から退院までの経緯
早いもので、平成23930日に国立障害者リハビリテーションセンター(以後NRC)を退院してから丸5年になります。


NRCで、長い時間を暮らしたベッドです。


退院の朝、規則通りに6時に起床して血圧測定、洗顔、朝食、薬の服用、歯磨き、体重測定(これは決められたものでなく、個人的な習慣でした)等、通常の予定をこなしてから、退院準備を行いました。

退院準備は、ロッカーの私物と洗面用具、ジャージや下着、タオル、入院中に購入した書籍雑誌等などの整理と現金の確認で、最後に私服に着替えました。
その後、同じ病棟に入院していた患者さんの病室を訪れて退院の挨拶を行い、同じくナースステーションでお世話になった看護師さん、看護助手に皆さんに挨拶をして、迎えが来るのを待ちました。

突然、脳出血を発病して所沢中病院に担ぎ込まれたのが、2011522日の土曜日。数日間、血圧が下がるのを待ってCT定位的血腫除去術と急性期リハビリテーションの治療後、NRCへ転院し回復期リハビリテーションの開始、外泊許可を貰った週末に突然体調を崩し、救急車で搬送されて所沢中病院に再入院、NRCへ再々転院した後の930日の退院に至りました。
入院期間は132日間、4ヶ月と12日間に及びましたが、家族や親戚、友人、知人のお見舞いを受けたことは、今でも感謝しております。
NRCの同じ病棟で過ごした患者仲間とは現在も交流が続いており、年に一回の食事会を楽しみにしています。



国立障害者リハビリテーションセンター
NRCは、我国におけるリハビリテーションの基幹施設で、併設されている国立障害者リハビリテーションセンター病院、同研究所、同学院で構成されています。


NRCと同じ敷地内には、障害者職業能力開発校の一つである国立職業リハビリテーションもあり、自分が入院している時は、NRCのリハビリと職リハでの職業訓練が同時並行で行われていたと思います。思いますというのは、所沢中央病院に再入院することになり、職リハでの職業訓練を受けられなかったからです。



2020東京パラリンピックの誘致運動
所沢市は、2020東京パラリンピックの開催に向けて、キャンプ地の誘致活動を進めています。その構想の核となるのがNRCです。と言うか、NRCがあるから、誘致活動を始めたのかもしれません。万が一にでも、藤本所沢市長にお会いすることが出来たならば、お尋ねしたいと思います。

所沢市には、NRCの他にも所沢市民体育館、所沢市総合運動場、早稲田大学所沢キャンパス・スポーツ施設など、誘致に必要な施設面での条件は整っています。そこに、近隣自治体の施設も活用すれば、誘致することが可能かもしれません。残っているのは、市民の意志と熱意かもしれません。
身体障害者手帳を持つ者として、パラリンピック・キャンプ地の誘致が実現し、所沢市で調整を行った選手が、東京パラリンピックで躍動する姿を期待したいですね。

37回リハ並木祭
1022日、NRCで「第37回リハ並木祭」が行われます。元患者として、少しでも多くの方が見学して頂けることを希望しています。
関係者による模擬店の他、国立障害者リハビリテーションセンター研究所も公開され、研究の成果を垣間見ることができます。また、国立職業リハビリテーションでは、入所者ご自身の活動の成果も公開されます。
リハビリテーションに関心を持ち、理解を深めていただくためにも、「第37回リハ並木祭」に起こし下さい。


別な角度から。

本人です(笑)
痩せてます。この時に戻らないと(´;ω;`)

病室 

食堂兼談話室 

食事の時は、座席が決められていました。 

ナースステーション 

エレベーターは、フェンスで囲まれていました。最初は驚きましたが、後々に理由が分かりました。 

この廊下を朝食前と昼食後の20分、歩いてました。




2016年5月29日日曜日

国立障害者リハビリテーションセンターの元患者仲間と


今日は、日本ダービーこと東京優駿の開催日。だから言って、学生時代に先輩に馬券を買いに行かされた東京競馬場ではなく、国立昭和記念公園に行ってきました。
目的は、国立障害者リハビリテーションセンターで入院生活を共にした、元患者仲間との食事会。そこで、衝撃的な発表が・・・
最も若手の患者仲間が大分県に嫁ぐとのこと。まるで、娘を嫁に出す気分なりました。
彼女が入院して来た時は二十歳、それから5年が経過。目出度い報告を聞かせてもらいました。
12月に大分県に引っ越すとのことなので、それまでに患者仲間とお祝いの会をすることなりました。
〇〇ちゃん、おめでとう
末永くお幸せにね。
 元患者の仲間たちです。


国営昭和期園公園のはらっぱ広場では、ポピーが咲いていました。

子供たちが元気で遊んでました。いつの時代も子供たちの元気な姿は良いものです。

いつの間にやら、日に焼けていました。

2016年5月22日日曜日

脳出血から、まる五年が経過しました。

2016522日で、脳出血を発症し所沢中央病院に緊急に入院してから丸五年になりますが、早いものですね。五年の月日は、知らぬ間に過ぎ去ってしまったと思えます。


写真は、文字が書けなくなった時の使った練習したノートです。これでも、50音全部を書いたと思ってました。「ぬ」と「め」、「ね」を「わ」など、字体が似ていると間違えやすかったですね。実は、今も戸惑うことあります。


入院当初の記憶は錯綜しており、途中からは全く覚えていません。が、皆様のお陰を持ちまして生きております。
現在も2ヶ月の一回の通院、4種の薬の服用が欠かせません。この薬の服用、生涯続きます。

中学校時代の同級生が癌になりました。同級生が集まった席で、二人して癌と脳出血、どちらが質が悪いか、どちらが先に命が絶えるか、笑いながら話したことがあります。それを聞いた同級生から、縁起の悪いことは言ってはいけないと、お叱りを受けたこともあります。

癌は、5年生存率が問題になりますね。5年間、癌の再発が無ければ治癒と見做すという考えです(あくまで見做すであって、5年以上経過して再発する例もあります)。
脳出血、そうはいきません。脳出血は、脳の細胞を破壊します。そして、破壊されてた脳細胞は再生しないからです。

所沢中央病院に脳出血で入院、手術を受けて急性期リハビリテーションを受けました。その後、国立障害者リハビリテーションセンターに転院、回復期リハビリテーションが始まりました。
そこで、心療内科の主治医や担当の臨床心理士から宣告を受けたことがあります。発症前の状態を100としたら、現在は5060かと。そして、それをリハビリテーションで7080909192と回復させていく、しかし100に戻ることはないのだと。それを聞いても、最初は楽観的に考えていました。

転院当初、幾つかの検査を受けるのですが、段々分かってくるというか、思い知るわけです。それまでは、楽観的に考えていたのに、検査の結果は明らかなんです。それまで出来ていたことが出来ない。これ、けっこう辛いものです。

自分の場合、脳出血が発症した箇所は左側頭葉の血管です。これは、MRIの画像でも明らかなのですが、脳細胞が死滅した部分は白くなっており一目瞭然。その画像を見れば、どのような後遺症をもたらすかも判断可能です。

自分の脳出血の患部は、言語を司る部分でしたが、字が読めない、書けない症状がでるんです。これは、難儀しました。
「話す」も支障がでました。話していても、詰まるんですね。単語が直ぐに出てこない。頭の中では浮かんでいるのですが、発生できない。しょうがないので、別の単語で置き換える。疲れますね。

最も悩まされるのが眩暈(めまい)です。軽い眩暈は毎日のことですが、ときたま重いのに襲われます。重い眩暈は、冬場で朝方が多いのですが、その症状がでた場合は基本的には休暇を取得します。年間の有給休暇には、眩暈で休む分も見込んでおきます。

主だった後遺症は以上ですが、他にもあります。結局、脳出血という疾病は完治しないという事実を身に沁みるわけです。だらといって、諦めてもいません、今は。
正直にいうと、最初は投げやりになったことは否定しません。段々に、自分が出来る範囲のことをしようと思えるようになりましたが、そこまでに行くまでに時間がかかりました。

脳出血にせよ脳挫傷にせよ、脳の機能に損傷があり、何らかの機能障害があった場合は、高次脳機能障害と呼ばれます。勿論、自分は高次脳機能障害と診断されました。MRI画像からの、検査の結果から否定しようのない判断です。


高次脳機能障害、外見的には分からないのが、患者のとって辛いところです。高次脳機能障害患者は、多かれ少なかれ、これで苦労します。家族も友人も知人から、直って良かったねと言われることが度々です。しかし、記述したように発症前の状態には戻らないのです。直ったと言われるのが、一番辛く腹立たしい。これは、患者全員が経験することです。



亡くなった父親が、自分が19歳の時に頭部を強打して脳挫傷になりました。それで、開頭手術が必要になり、医師から手術への同意を求められ、署名ししました。脳挫傷になった箇所は、左側側頭部。奇しくも自分と同じです。
医師から、後遺症として計算、読み書きに支障がでる可能性があると宣告されました。自分も同じです(当時は、高次脳機能障害という概念がなかったのですが)

リハビリが終わって、父親が帰宅した時、我々家族も親族も直って良かったと言い合ったものです。しかし、直っていないことは、父親自身が最も理解していたのでしょうね。

自分も高次脳機能障害になって初めて理解しました。国立障害者リハビリテーションセンターから退院、自宅療養になったところ、家族兄弟親戚から直った直ったと言われた時、腹立たしいものありました、正直。同時に、父親に対する後悔の念が湧いてきて、これは今もあります。

年一回、国立障害者リハビリテーションセンターで同じ病棟に入院した患者仲間と食事会をて、色々なことを話します。高次脳機能障害への無理解から、周りの人が理解してくれないことへの不満がでますね。それで苦労した元患者もいますし。
今年も529日に昭和記念公園に集合する予定です。年齢は、50代から20代まで幅が広いですが、高次脳機能障害を互いに理解してくれる、貴重な集まりです。

発症から五年です。発症から、一〇年、一五年・・・・。五年というのは筋目ですが、自分は50歳で脳出血を患ったので、発症から計算すれば自分の年齢が簡単にわかります。便利です。


癌と脳出血、質の悪いどちらか。五年以上再発がない友人の勝利ですかね。まさか、逆転勝利を願う訳にもいきませんから(笑)

2015年9月30日水曜日

国立障害者リハビリテーションセンターから退院してから、丸4年が経過しました。

早いもので、本日で国立障害者リハビリテーションセンターを退院してから丸4年が経過しました。
その間、センターは完全に建て替えられて、かつての面影はなくなりました。しかし、元患者仲間とは年に一回か二回ほど集まり、思い出話をしています。

自分は、日本の社会保険制度に命を救われたと考えています。高額療養費制度により、医療費は一定額の負担ですみます。このような制度がなければ、自分の命はなかった思います。

その日本の社会保険制度は、国家が安定であればこそ、維持できると思います。確かに、社会保険制度、年金制度など社会保障制度全般は改革の必要があり、このままでは破綻の危機にあります。
しかし、その改革を実施することのできるのも、国が安定であればこそです。

では、国家の安定とはなんでしょうか。自分は、国の安全が保障されていることだと考えています。そして、国家の安全保障を担保しているの、現在のところは日米同盟であり、日米安全保障条約であり、陸海空自衛隊の精鋭達です。

憲法九条を完全に否定しません。しかし、それは理念であり、現実に対応する方法論になり得ていません。
自分が信条とするプラグラティズムの発想からは、今回の安全保障法制こそ、不完全ながらも国家の安定を保障する一歩となり得るものと確信しています。

退院してから丸三年です - リハビリテーションにご理解を

退院して二年が経ちました


10月10日に、国立障害者リハビリテーションセンターで、「2015 リハ並木祭」が開催されます。リハビリテーションをご理解戴くためにも、是非ご来場下さい。

「第36回 リハ並木祭」 開催案内


2015年5月22日金曜日

脳出血から、まる四年が経過しました。

脳出血から、まる四年が経過しました。

 平成27年(2015年)522日。本日で、脳出血を発症してから丸四年が経過しました。
四年前の平成23522()脳出血を発症し家族の手によって所沢中央病院に担ぎ込まれました。 

 前日から異常を感じていました。それは、文字が認識出来ないこと。記号としては理解できるのですが、文字や単語としては全く理解できない状態でした。21日は、事情があって酒席に連なっていたこともあり、飲み過ぎたと思い早目に就寝しました。
そして、問題の522日、早朝のことです。やはり、TVのパンフレットの文字は単語が理解できません。このことを、家族や親族を含め、多くの方に話しても分かって貰えません。それそのはずです。自分でも、どうやって説明して良いのか分からないのですから。
 
 脳神経外科、心療内科の主治医、産業医の診察では失語症と診断されています。つまり、言語の能力を毀損している。

 失語症をとは、言葉が話せない事だけでなく、文字の認識が出来ない、読めないことも含まれます。何か書かれているのは分かるのですが、文字なのか記号なのかが、全く理解できませんでした。だから、当然文章の理解など出来る筈もありません。
 失語症は、「聞く」「話す」「読む」「書く」失った高次脳機能障害の一つと定義されています。



 自分は、「読む」と「書く」の機能が損なわれていました。22日朝、文字を思い出そうとして悪戦苦闘、書こうとして四苦八苦でした。「話す」に関しても、まともな会話が成立していなかったようです(家族、親族の話)。

 これが、高次脳機能障害、失語症です。手術や投薬、リハビリテーションにより、発症直後に比べて、症状は改善しています。しかし、現在の医学では、高次脳機能障害を完治することはありません。これからも、後遺症や病状の再発に気をつけながらの日々が続きます。
 健康に留意しながら、健常者の皆さんと変わらない日々を送りたいと願っているこの頃です。







 白くなっている部分が患部です。脳出血により、脳細胞が死滅しています。脳内出血により、脳細胞が死滅してしまったことが、高次脳機能障害の原因です。