退院から丸5年が経過しました。
脳出血発症から退院までの経緯
退院の朝、規則通りに6時に起床して血圧測定、洗顔、朝食、薬の服用、歯磨き、体重測定(これは決められたものでなく、個人的な習慣でした)等、通常の予定をこなしてから、退院準備を行いました。
退院準備は、ロッカーの私物と洗面用具、ジャージや下着、タオル、入院中に購入した書籍雑誌等などの整理と現金の確認で、最後に私服に着替えました。
その後、同じ病棟に入院していた患者さんの病室を訪れて退院の挨拶を行い、同じくナースステーションでお世話になった看護師さん、看護助手に皆さんに挨拶をして、迎えが来るのを待ちました。
突然、脳出血を発病して所沢中病院に担ぎ込まれたのが、2011年5月22日の土曜日。数日間、血圧が下がるのを待ってCT定位的血腫除去術と急性期リハビリテーションの治療後、NRCへ転院し回復期リハビリテーションの開始、外泊許可を貰った週末に突然体調を崩し、救急車で搬送されて所沢中病院に再入院、NRCへ再々転院した後の9月30日の退院に至りました。
入院期間は132日間、4ヶ月と12日間に及びましたが、家族や親戚、友人、知人のお見舞いを受けたことは、今でも感謝しております。
NRCの同じ病棟で過ごした患者仲間とは現在も交流が続いており、年に一回の食事会を楽しみにしています。
国立障害者リハビリテーションセンター
NRCは、我国におけるリハビリテーションの基幹施設で、併設されている国立障害者リハビリテーションセンター病院、同研究所、同学院で構成されています。
NRCと同じ敷地内には、障害者職業能力開発校の一つである国立職業リハビリテーションもあり、自分が入院している時は、NRCのリハビリと職リハでの職業訓練が同時並行で行われていたと思います。思いますというのは、所沢中央病院に再入院することになり、職リハでの職業訓練を受けられなかったからです。
2020東京パラリンピックの誘致運動
所沢市は、2020東京パラリンピックの開催に向けて、キャンプ地の誘致活動を進めています。その構想の核となるのがNRCです。と言うか、NRCがあるから、誘致活動を始めたのかもしれません。万が一にでも、藤本所沢市長にお会いすることが出来たならば、お尋ねしたいと思います。
所沢市には、NRCの他にも所沢市民体育館、所沢市総合運動場、早稲田大学所沢キャンパス・スポーツ施設など、誘致に必要な施設面での条件は整っています。そこに、近隣自治体の施設も活用すれば、誘致することが可能かもしれません。残っているのは、市民の意志と熱意かもしれません。
身体障害者手帳を持つ者として、パラリンピック・キャンプ地の誘致が実現し、所沢市で調整を行った選手が、東京パラリンピックで躍動する姿を期待したいですね。
第37回リハ並木祭
10月22日、NRCで「第37回リハ並木祭」が行われます。元患者として、少しでも多くの方が見学して頂けることを希望しています。
関係者による模擬店の他、国立障害者リハビリテーションセンター研究所も公開され、研究の成果を垣間見ることができます。また、国立職業リハビリテーションでは、入所者ご自身の活動の成果も公開されます。
リハビリテーションに関心を持ち、理解を深めていただくためにも、「第37回リハ並木祭」に起こし下さい。
別な角度から。
本人です(笑)
痩せてます。この時に戻らないと(´;ω;`)
病室
食堂兼談話室
食事の時は、座席が決められていました。
ナースステーション
エレベーターは、フェンスで囲まれていました。最初は驚きましたが、後々に理由が分かりました。
この廊下を朝食前と昼食後の20分、歩いてました。
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