2016年1月24日日曜日

大学時代の同窓生との新年会でした。

1月23日は、大学時代の同窓生との新年会でした。場所は、さんざん飲んだ府中。青春時代の思い出の地です。

参加者は6名。本来は7名の予定でしたが、1名が急きょ欠席。理由は、土木関係の会社に勤務しており、雪の予報のために待機要請があったとのこと。ご苦労様です。

幸いに心配していた雪も降らず、楽しく過ごしてきました。

一人だけ後輩(女性)が参加していたのですが、なんと孫が・・・・・・とのこと。我々もそんな年代になってきました。

参加者6名の内三名が、かつて一世を風靡した女子大生、JDです。しかし、最近の女性は若いですな。今回参加した三人の元JD、十分に現役で通ります(笑)

それに比べて、自分も含めたオヤジたちは、髪の毛も薄くなり、その老け具合は目を覆うばかりでありました(´;ω;`)

若き時代の友人は、何度会っても良いものです。たまに集まって、若き時代を語り合い、大いに楽しんてきました。

息子たちに言いたいことが一つ。若き時代に、人生の友を作れと。決して多くなくとも良い。友が人生を豊かにしてくれることは間違いない。




2016年1月21日木曜日

零式艦上戦闘、母国の空を飛ぶ

産経新聞の記事によりますと、帝國海軍の零式艦上戦闘機が我が国の空を飛ぶそうです。
以下は、産経新聞記事の抜粋です。

零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、おもいをはせるきっかけにしてほしい」と語った。
戦後初 零戦、再び日本の空を舞う 「先人が築いた技術をみよ」 1月27日、鹿児島県鹿屋市 
零戦、日本の空に復活なるか 国内での動態保存に向け初飛行まもなく

2012年11月、我が故郷で埼玉県所沢市にある航空発祥記念館に、オリジナルエンジンを搭載した世界で唯一飛行可能な零式艦上戦闘機が到来、数カ月間展示されました。当然、期間中の見学に行きました。


所沢航空発祥記念で展示された零式艦上戦闘機五十二型





特徴は何といっても、発動機が栄二十一型。世界で唯一現存しているオリジナルのエンジンであることでした。
今回は、エンジンは換装されているようです。おそらくはP&W製である可能性が高いです。

小学生の頃、入間航空祭で帝国陸軍の四式戦闘機疾風の飛行を見に行ったことがあります。帝國陸海軍の戦闘機が、我が国の空を舞う貴重な機会でした。
その疾風、所有者の米国人から日本人の手に渡りましたが、その後の保守作業がいい加減で、残念ながら現在は不可能とのことです。

疾風の現存機

発動機がオリジナルでないにしても、零式艦上戦闘機が日本の空で舞う姿を想像するだけでワクワクします。そして、願わくば疾風が入間基地上空で舞ったように、零戦も同じように故郷の空を飛び回って欲しいです。

疾風は残念な結果になり飛行不可能ですが、今回の零戦は、飛行可能な状態を維持して欲しいですね。また、一般社団法人日本機械学会も、機械遺産として認定することを望みます。

機械遺産




2016年1月20日水曜日

公認情報セキュリティマネージャ(CISM)の認定証です。

勤務先に、Information System Audit and Control Association(ISACA) 認定のCertfied Information Security Manager(公認情報セキュリティマネージャ、CISM)の認定証が届きました。



CISMの認定を受けたのが、2003年12月、もう12年が経過しましたことになります。
認定を受けた当時は、外資系の記憶装置製造会社に勤務していました。その会社で、メインフレームの記憶装置を制御するソフトウェアとセキュリティの担当でした。

CISMの認定を得ている事が、その後の転職活動でも有効でありました。我々のように、複数の企業に就業経験のあるものは、何らかの資格か認定を得ていることが珍しくありません。

ISACAは、米国の獅篭(シカゴ)に本部が所在しています。日本国内では、東から順に東京、名古屋、大阪、福岡に支部が設置されています。

国内四支部は、それぞれ対等の立場でシカゴの国際本部に所属していますが、同時に「ISACA 日本支部協同推進機構」を組織、会員のために協同活動を行っています。

認定は、三年に一回更新され、新たに認定証が発行されます。写真は、その認定証です。

認定の更新にあたっては、能力維持にため、年最低20ポイント、3年間で120ポイントのCPE呼ばれる能力維持活動が義務付けられています。

国際本部は、無作為に監査対象を抽出、CPEの証明の提出を求めることがあります。筆者は、公認情報システム監査人(Certified Information Systems Auditor、CISA)の認定を得ていますが、それぞれの監査対象になるという光栄を有しています。

CISAとCISMの他に、公認ITガバナンス専門家(Certified in the Governance of Enterprise IT、CGEIT)の認定を受けていますが、監査対象になれば目出度く三冠達成ですが、御免被りたいです。

CISA、CISM、CGEITで、年間$330払い込む必要があります。幸い会社が負担してくれているので助かってますが、大学二年生高校三年生と二人の息子を抱えるので自腹だとすると、軽い負担でありません。

三年に一度送られてくる認定証。こうした認定者が社員にいることが、官庁の入札条件になっていることがあります。会社にとっても、自分にとても飯の種であることが間違いないので、こうした認定、認定証を大事にしています。

ISACA東京支部

ISACA


2016年1月16日土曜日

小野田寛郎陸軍少尉逝去から二年

1月16日は、小野田寛郎帝國陸軍少尉が逝去された日です。
二年前、小野田氏去の報が流れた時、少尉の戦後がようやく終わったのだと思いました。

小野田少尉にとって、比国治安部隊に軍刀を差し出した昭和49年3月9日までが、帝国陸軍将校としての戦闘中であったのだと思います。
少尉は救出されたのではなく、直属の上官から発せられた命令下達を得て戦闘を停止してフィリピン軍に投降したのであり、少尉の意識としては、あくまで降伏であったのだと筆者は確信しています。



  1. 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
  2. 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
  3. 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

    第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美


上記は、フィリピン軍に投降した際に上官から受けた命令書です。尚武集団作命甲第2003号は、大日本帝國陸軍の南方軍に所属していた第一四方面軍司令官山下奉文大将が、指揮下の部隊に発した命令です。小野田少尉は、この命令書が無ければ戦闘停止ができないとしたのです。
中には時代錯誤と言う方がいるかもしれません。しかし、筆者は小野田少尉による昭和49年までの戦いを了とします。
小野田少尉の凛とした、帝国陸軍最後の敬礼姿に敬意を評します



2016年1月11日月曜日

成人の日 - 息子よ。成人の日、おめでとう

本日は、成人の日。多くの新成人が、晴れ着やスーツを身に纏って地方自治体主催の行事に出席することでしょう。
我が家も長男が、成人の日を迎えることができました。平成7年10月3日、札幌出張中に生まれた体重3300グラムの男児が、気が付いたら成人となっていました。
長男への一言。
息子へ成人式おめでとう。 人生の荒波は、これからだが、頑張れ。






かつては、成人の日は1月15日の固定されていました。国立競技場では社会人代表と学生代表によるラグビー日本選手権が開催され、晴れ着をお召しになったお嬢様方がスタントを埋めるのが季節の風物詩でしたね。

小生は、所沢市の吾妻地区主催の成人式に出席しました。当時の吾妻公民館は、現在の南陵中学校のテニスコートがある場所でした。とても狭く、押し合い圧し合い、難儀したものです。
それでも中学校卒業以来、久しぶりに会い同級生もあり、懐かしさもあって大いに語り合ったものです。

式典終了後、希望者で二次会。場所は忘れましたが、男たちはスーツのまま、女性は着替えてきたと記憶しています。はやり、晴れ着だと思い切り楽しめないのでしょうね(笑)

2016年1月7日木曜日

昭和天皇陛下御崩御から二十八年


今日は、先帝陛下が御崩御せられてから二十八年です。
昭和六十四年(1989年)一月七日土曜日午前六時三十三分、先帝陛下がお隠れ遊ばされたニュースが、自動車のラジオから流れました。
当時、仕事の関係で千葉県市川市の行徳で一人暮らしをしておりましたが、崩御の日は自動車で首都高湾岸線を大井インター方向に走っていました。
臨時ニュースになり崩御の発表が行われましたが、以前から御不例であることは報道されており、ああ遂にこの時が来たかというのが感想でした。
勿論、大きな衝撃であったことは間違いなく、歴史の大きな筋目が変わったなという巨大な感慨に襲われたのを、今も鮮明に記憶しています。
その日は、アパートに帰らず、所沢の実家に自動車を走らせたところ、夫婦で都内に暮らしていた兄も来ていました。理由は自分と同様で、大きな歴史の転換点に感慨があったようでした。
政府・宮内庁から皇居に記帳所が開設されたとの発表が行なわれ、大病をしていた亡父に代わり、翌週の月曜日に記帳に赴きました。


思えば、先帝陛下は大元帥陛下から象徴天皇なり、占領軍の統治下で辛酸を嘗め、125代に渡る帝の中でも最も苦労をされたお一人だと思います。

我々日本国人は、今日この日を先帝陛下の遺徳を偲ぶ日として継承していく必要があると、硬く信じるものであります。
また、125代に渡り継承された皇室を未来永劫に護持していくことが、国民の義務と思います。










2016年1月6日水曜日

北朝鮮の水爆実験強行と中東情勢

北朝鮮が、水爆実験を強行した発表した。我が国政府や米国、韓国、支那も事実関係の確認に追われていることと思われます。

今回の水爆実験は、世界各国に冷水を浴びせ掛ける事態になりました。北朝鮮の核実験は、我が国への直接的な脅威の顕在化に他なりません。





北朝鮮、4回目の核実験「初の水爆実験」と発表

安倍首相発言詳細「日本の安全に対する重大な脅威、強く非難する」

初の「水爆実験」、米国の譲歩引き出し狙う さらなる軍事挑発も

加えて、沙地亜剌比亜と伊蘭との国交断裂は、日本のエネルギー供給路への大いなる脅威です。ホルムズ海峡の封鎖という悪夢が現実感を伴ってたと思われます。

ホラズム海峡に最も影響を受ける先進国は、我が国です。米合衆国は、シェールガス革命により、ホラズム海峡ルートへの依存度が下がっています。豪州は、元々資源大国。つまり、アジア大洋州諸国の先進国で、エネルギーの供給面で最も脆弱なのは、我が日本と言うことになります。だから、ホラズム海峡への自衛隊派遣が課題になったのですね。

核兵器に関しては、米ソ(露)間では、新戦略兵器削減条約など核弾頭の削減が進んでいます。しかし、支那共産党や北朝鮮などでは新型弾道弾や核弾頭の配備や開発が進み、我が国周辺の脅威は増すばかりです。

昨年は、安倍政権が推し進めた安全保障法制制定に動きに対して、一部の現実的な勢力を除いた野党各党、官公労、日教組、SEALDsなどが、近視眼的で観念的な主張を繰り広げた一年でした。

我が国は、支那に追い抜かれたと言っても、世界第3位の経済大国です。国家に対する直接間接の脅威や経済的リスクなどに、迅速に対応していかなければなりません。そうでないと、一億以上の人口を抱える国家の安全と継続性が脅かされます。

しかし、残念がら我が国単独で日本国の安全と保つことは困難です。そこで、必要になったのが限定的な集団自衛権容認と安全保障法制と理解しています。

この度の国際的事件は、日本の安全に必要なことが何かということを改めて考える、絶好に機会であり、国会議員諸氏には重箱の隅を突くような不毛な議論は避けて頂きたいと熱望するものであります。

安倍政権打倒を声高に叫んだ、一部を除く野党各党関係者、山口二郎、大江健三郎、関口宏、古舘一郎、佐高信、田中優子、福島瑞穂、辻元清美、田嶋陽子、石田純一、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、茂木健一郎、森永卓郎、落合恵子、寺島実郎、河野洋平、小林節、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人、古賀誠、野田聖子などの諸姉諸兄、SEALDsなる烏合の衆、プロ市民諸君。
この事態を如何に考察するか、貴兄らのご意見を承りたい。

加えて、日本共産党委員長の言によると、日本周辺にリアルな危機はないそうです。その現実感がなく、空想としか思えない発想にも驚かされます。
この方達が、連合政権など構築したら、まさに脅威です。

共産・志位委員長「中国、北朝鮮にリアルな危険ない」

我が国は、今年から任期2年の国連安全保障理事会非常任理事国でした。この機会に非常任理事国であったことは、外交上安全保障上、極めて好都合でありました。
政府には、その機会を十分に活用し、我が国も安全に寄与していただきたい。


2016年1月1日金曜日

新年明けまして、おめでとう御座います。

新年明けまして、おめでとう御座います。昨年は、当Blogを閲覧して頂き、感謝致します。
本年も、様々は話題を取り上げて、当Blogに掲載していきますので、引き続き宜しくお願いします。