今日は、先帝陛下が御崩御せられてから二十八年です。
昭和六十四年(1989年)一月七日土曜日午前六時三十三分、先帝陛下がお隠れ遊ばされたニュースが、自動車のラジオから流れました。
当時、仕事の関係で千葉県市川市の行徳で一人暮らしをしておりましたが、崩御の日は自動車で首都高湾岸線を大井インター方向に走っていました。
臨時ニュースになり崩御の発表が行われましたが、以前から御不例であることは報道されており、ああ遂にこの時が来たかというのが感想でした。
勿論、大きな衝撃であったことは間違いなく、歴史の大きな筋目が変わったなという巨大な感慨に襲われたのを、今も鮮明に記憶しています。
その日は、アパートに帰らず、所沢の実家に自動車を走らせたところ、夫婦で都内に暮らしていた兄も来ていました。理由は自分と同様で、大きな歴史の転換点に感慨があったようでした。
政府・宮内庁から皇居に記帳所が開設されたとの発表が行なわれ、大病をしていた亡父に代わり、翌週の月曜日に記帳に赴きました。
思えば、先帝陛下は大元帥陛下から象徴天皇なり、占領軍の統治下で辛酸を嘗め、125代に渡る帝の中でも最も苦労をされたお一人だと思います。
我々日本国人は、今日この日を先帝陛下の遺徳を偲ぶ日として継承していく必要があると、硬く信じるものであります。
また、125代に渡り継承された皇室を未来永劫に護持していくことが、国民の義務と思います。
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