2016年1月16日土曜日

小野田寛郎陸軍少尉逝去から二年

1月16日は、小野田寛郎帝國陸軍少尉が逝去された日です。
二年前、小野田氏去の報が流れた時、少尉の戦後がようやく終わったのだと思いました。

小野田少尉にとって、比国治安部隊に軍刀を差し出した昭和49年3月9日までが、帝国陸軍将校としての戦闘中であったのだと思います。
少尉は救出されたのではなく、直属の上官から発せられた命令下達を得て戦闘を停止してフィリピン軍に投降したのであり、少尉の意識としては、あくまで降伏であったのだと筆者は確信しています。



  1. 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
  2. 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
  3. 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

    第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美


上記は、フィリピン軍に投降した際に上官から受けた命令書です。尚武集団作命甲第2003号は、大日本帝國陸軍の南方軍に所属していた第一四方面軍司令官山下奉文大将が、指揮下の部隊に発した命令です。小野田少尉は、この命令書が無ければ戦闘停止ができないとしたのです。
中には時代錯誤と言う方がいるかもしれません。しかし、筆者は小野田少尉による昭和49年までの戦いを了とします。
小野田少尉の凛とした、帝国陸軍最後の敬礼姿に敬意を評します



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