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2016年8月14日日曜日

宮城事件 - 日本の一番長い日

昭和二十年八月一四日深夜から早朝にかけて、陸軍省と近衛師団の一部若手将校が、昭和天皇陛下の「大東亜戦争終結ノ詔書」が録音されたレコード盤の奪取を企てました。

昭和二十年八月十日、宮中で行われた最高戦争指導会議において、昭和天皇陛下の御聖断が下り、ポツダム宣言の受諾が決定しました。

その詔書は、昭和天皇陛下が御自ら録音遊ばされ、レコード盤が製作されました。製作にあたったのは、日本放送協会の技術者で、原本と副本たあったとされています。

戦争継続を主張する件の若手将校は、ポツダム宣言受諾を妨害するため、宮城の守護にあたる近衛師団長を斬殺、偽命令をもってレコード盤の奪取を図りました。

この計画は、東部軍司令官である田中静一大将が鎮圧、八月一五日に玉音放送に漕ぎ着けることができました。

この事件は、「宮城事件」と呼ばれますが、半藤一利氏のノンフィクション、「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版」に詳しいので、ご一読されることをお勧めします。

日本の一番長い日

日本のいちばん長い日 決定版

近衛師団司令部跡地 



 旧近衛師団/現在の東京国立近代美術館工芸館

2016年2月19日金曜日

浅間山荘事件から44年

浅間山荘事件

昨年は、SEALDsなる不逞の輩が跋扈し、それに民主党や社民党、共産党などが附和雷同していましたが、その事に関して思うことがります。

あのどんちゃん騒ぎをニュースで目にして、1972年12月19日に発生し日本全国を驚愕の渦に巻き込んだ「浅間山荘事件」の事を思い出しました。

あさま山荘事件

「浅間山荘事件」は、我が国において共産主義革命が可能だとする妄想が招いた、新左翼過激派の暴力革命遊びでした。その結果、二名の警視庁機動隊退院の生命が奪われ、人質が長時間拘束されました。その中継映像は、日本全国津々浦々に放映され、筆者も小学校の教室で興奮しながら見入っていました。

(当時の担任教師が、この事件は歴史残ることだということで、授業を中止して中継映像を見せてくれました。現在だと、そんなことをしたら授業の邪魔だと、モンペや教育ママパパから総スカンを食らったでしょうね。当時の教員は、良くも悪くも歴史意識を大事する人が少なくなく、特段珍しいことだとは認識しませんでした)

浅間山荘事件は、12月19日に発生し28に犯人5人の検挙、人質1名の救出という結果になりましたが、それは「連合赤軍事件」という陰惨な内ゲバを世間に暴きだす契機となりました。

「連合赤軍事件」の構図が、「山岳ベース事件」と「浅間山荘事件」の二段階となっています。最初は、「浅間山荘事件」が発生し、その捜査の過程で「山岳アジト事件」が明らかになりました。「連合赤軍事件」は、その二つの事件の総称です。

山岳アジト事件は、実に陰惨な事件でありました。革命の同志であったはずの12名の仲間を、リンチという方法で殺害、それを革命という名で覆い隠した欺瞞に満ちた事件です。
昨年の夏に発生した集団ヒステリーですが、その中に全共闘世代を思しき初老の集団が散見されました。彼ら彼女らは、かつての革命幻想に浸っているのでしょうか。現実認識の薄さ、幻想に酔っている姿がSEALDsなる集団に被ります。

ただ、1960年や1970年代の新左翼過激派は、未熟とは言えでも理論がありました。SEALDsは、ノリで騒いでいるだけで哲学や理論が希薄と思えます。

福岡の大学生が曰わったという、「もし本当に中国や韓国が攻めてくるというのなら、僕が九州の玄関口で、とことん話して、酒を飲んで、遊んで、食い止めます。それが本当の抑止力でしょう?」の文言、本気とは思えません。

現実認識と理想とのバランスが取れていませんね。

2016年1月21日木曜日

零式艦上戦闘、母国の空を飛ぶ

産経新聞の記事によりますと、帝國海軍の零式艦上戦闘機が我が国の空を飛ぶそうです。
以下は、産経新聞記事の抜粋です。

零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、おもいをはせるきっかけにしてほしい」と語った。
戦後初 零戦、再び日本の空を舞う 「先人が築いた技術をみよ」 1月27日、鹿児島県鹿屋市 
零戦、日本の空に復活なるか 国内での動態保存に向け初飛行まもなく

2012年11月、我が故郷で埼玉県所沢市にある航空発祥記念館に、オリジナルエンジンを搭載した世界で唯一飛行可能な零式艦上戦闘機が到来、数カ月間展示されました。当然、期間中の見学に行きました。


所沢航空発祥記念で展示された零式艦上戦闘機五十二型





特徴は何といっても、発動機が栄二十一型。世界で唯一現存しているオリジナルのエンジンであることでした。
今回は、エンジンは換装されているようです。おそらくはP&W製である可能性が高いです。

小学生の頃、入間航空祭で帝国陸軍の四式戦闘機疾風の飛行を見に行ったことがあります。帝國陸海軍の戦闘機が、我が国の空を舞う貴重な機会でした。
その疾風、所有者の米国人から日本人の手に渡りましたが、その後の保守作業がいい加減で、残念ながら現在は不可能とのことです。

疾風の現存機

発動機がオリジナルでないにしても、零式艦上戦闘機が日本の空で舞う姿を想像するだけでワクワクします。そして、願わくば疾風が入間基地上空で舞ったように、零戦も同じように故郷の空を飛び回って欲しいです。

疾風は残念な結果になり飛行不可能ですが、今回の零戦は、飛行可能な状態を維持して欲しいですね。また、一般社団法人日本機械学会も、機械遺産として認定することを望みます。

機械遺産




2015年12月8日火曜日

帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり - 外交から考える

74年前の12月8日未明、帝國海軍の海上戦力の主力、第一航空艦隊が開戦劈頭、米合衆国太平洋艦隊主力を布哇真珠湾において奇襲攻撃、戦艦部隊に大打撃を与えました。



海軍の聯合艦隊だけでなく、陸軍の南方軍も東南亜細亜方面への作戦計画を発動、米英両国との戦闘状態になった日です。

大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。

最近、SEALDsなる礼儀を弁えない無法の輩が脚光を浴びています。そして、その無法の輩に媚を振る情けない民主、日共などの野党。
もう一年の終わりも間近ですが、大東亜戦争 とは何だったのか、今少し真剣に総括すべきと思います。
しかし、現実認識に著しく欠けた野党があれじゃ、期待薄です。特に、岡田代表、枝野幹事長、辻元清美、R4辺りが、相も変わらず民主党を牛耳っているので、一強多弱は体制はしばらく変わらないでしょうね。

時の大日本帝國が、何故あのような無謀といえる多国間戦争に突入したか。それに関しては、数々の議論がり、その要因を一つに言い切ることが不可能でしょう。しかし、一つの、そして重要な要因に外交的孤立があるでしょう。

1902年の日英同盟は、その後の日本の国際関係の基軸でした。日英同盟を背景にして、日露戦争を戦い、辛うじての勝利を勝ち取りました。そして、1923年の同盟失効を期にして、外交的経済的に孤立していきます。

現在は、日米同盟を基軸として国家の安全保障を保っています。日本の近代史を省みるに、外交的経済的な孤立は断じて避けなければなりません。

その際、外交の基軸となり友好国は支那でしょうか。露西亜でしょうか。南北朝鮮でしょうか。これら国家は、地政学に言って大陸国家です。日本は、これらの国家と違って海洋国家です。我が国は、日英同盟、日米同盟のように海洋国家として、歩んで行くべきです。
その意味で、国力が落ちてきた米国を補完する限定的集団自衛権とTPPは、外交的経済的に必要な政策転換だと確信します。




2015年12月2日水曜日

三笠宮崇仁親王殿下 - 百寿を迎えられました

本日12月2日は、先帝陛下の大四皇子であらせられる三笠宮崇仁親王殿下の100歳、百寿の御生誕日です。

【三笠宮さま100歳】運動ご日課 健康維持

大殿下は、今上天皇陛下の御叔父にあたられ、称号は澄宮、お印は若杉、最長老の皇族であれせられます。

大殿下は、皇族方の中で唯一の軍務経験であらせられます。昭和十一年に陸軍士官学校第四十八期を騎兵科として御卒業、その後は陸軍騎兵学校、陸軍大学校第五十五期を卒業し、軍務に御精励あらせられました。

大殿下は、支那派遣軍総司令部に若杉参謀と言う秘匿名でして勤務されましたが、そのことは総司令部内でも極秘とされ、総司令官以下極小数の関係者のみが知ることでした。
それは、大殿下の安全確保が目的でしたが、あくまで一軍人として待遇を求めたれた大殿下の御希望でもあったと言われています。

戦後は、歴史学を研究され、中でも古代オリエント史に造詣が深くあらせられ、幾つかの大学で教鞭をとられました。

皇室は、慶事が続いています。11月28日に常陸宮正仁親王殿下が傘寿の御誕生日、11月30日に秋篠宮文仁親王殿下、12月1日は敬宮愛子内親王殿下と御誕生日が続いています。
皇室は、我が国伝統文化の根源であります。その皇室最長老の三笠宮崇仁親王殿下が百寿を迎えられたことをお祝う申し上げます。

皇弥栄

三笠宮崇仁親王殿下


 三笠宮殿下ご夫妻


左より先帝陛下、今上陛下、故高松宮殿下、三笠宮殿下

2015年11月26日木曜日

昭和の大女優、原節子さんが死去、号外が発行されました。

永遠の処女と言われた昭和の大女優、原節子さんが死去されていたことが分かり、一部の新聞で号外が発行されました。
筆者は、原さんが引退された後に生まれたので、残念ながら現役で活躍されていた時代を知りません。しかし、昭和の芸能史を考えると、日本映画の全盛時代に忽然として引退、その後も一切姿を表さなかったことが、まさに伝説となったと言えると思います。

原さんは、「永遠の処女」と言われました。あの美貌と清楚な雰囲気が、そう言わせたのでしょうね。今の若手にアイドル(怠惰な者達)には、全く似合わない表現ですねw

昭和遠くなりにけり、と昭和生まれの筆者は感慨に耽っております。

原節子さんのご冥福をお祈り、合掌

m(__)m