2016年2月19日金曜日

浅間山荘事件から44年

浅間山荘事件

昨年は、SEALDsなる不逞の輩が跋扈し、それに民主党や社民党、共産党などが附和雷同していましたが、その事に関して思うことがります。

あのどんちゃん騒ぎをニュースで目にして、1972年12月19日に発生し日本全国を驚愕の渦に巻き込んだ「浅間山荘事件」の事を思い出しました。

あさま山荘事件

「浅間山荘事件」は、我が国において共産主義革命が可能だとする妄想が招いた、新左翼過激派の暴力革命遊びでした。その結果、二名の警視庁機動隊退院の生命が奪われ、人質が長時間拘束されました。その中継映像は、日本全国津々浦々に放映され、筆者も小学校の教室で興奮しながら見入っていました。

(当時の担任教師が、この事件は歴史残ることだということで、授業を中止して中継映像を見せてくれました。現在だと、そんなことをしたら授業の邪魔だと、モンペや教育ママパパから総スカンを食らったでしょうね。当時の教員は、良くも悪くも歴史意識を大事する人が少なくなく、特段珍しいことだとは認識しませんでした)

浅間山荘事件は、12月19日に発生し28に犯人5人の検挙、人質1名の救出という結果になりましたが、それは「連合赤軍事件」という陰惨な内ゲバを世間に暴きだす契機となりました。

「連合赤軍事件」の構図が、「山岳ベース事件」と「浅間山荘事件」の二段階となっています。最初は、「浅間山荘事件」が発生し、その捜査の過程で「山岳アジト事件」が明らかになりました。「連合赤軍事件」は、その二つの事件の総称です。

山岳アジト事件は、実に陰惨な事件でありました。革命の同志であったはずの12名の仲間を、リンチという方法で殺害、それを革命という名で覆い隠した欺瞞に満ちた事件です。
昨年の夏に発生した集団ヒステリーですが、その中に全共闘世代を思しき初老の集団が散見されました。彼ら彼女らは、かつての革命幻想に浸っているのでしょうか。現実認識の薄さ、幻想に酔っている姿がSEALDsなる集団に被ります。

ただ、1960年や1970年代の新左翼過激派は、未熟とは言えでも理論がありました。SEALDsは、ノリで騒いでいるだけで哲学や理論が希薄と思えます。

福岡の大学生が曰わったという、「もし本当に中国や韓国が攻めてくるというのなら、僕が九州の玄関口で、とことん話して、酒を飲んで、遊んで、食い止めます。それが本当の抑止力でしょう?」の文言、本気とは思えません。

現実認識と理想とのバランスが取れていませんね。

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