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2016年2月27日土曜日

株式会社芳林堂書店が自己破産

株式会社芳林堂書店が自己破産したそうです。

都内駅周辺や埼玉、神奈川などに店舗を展開、「芳林堂書店」(東京都豊島区)が破産

芳林堂は、中学生ときから利用していただけにショックです。出版不況の中、芳林堂と言えども経営が厳しかったんですね。

所沢駅の芳林堂を株式会社書泉(神田神保町にあり、何度か利用したことがあります)が引き継いでくれることを期待します。

株式会社書泉

2016年1月11日月曜日

成人の日 - 息子よ。成人の日、おめでとう

本日は、成人の日。多くの新成人が、晴れ着やスーツを身に纏って地方自治体主催の行事に出席することでしょう。
我が家も長男が、成人の日を迎えることができました。平成7年10月3日、札幌出張中に生まれた体重3300グラムの男児が、気が付いたら成人となっていました。
長男への一言。
息子へ成人式おめでとう。 人生の荒波は、これからだが、頑張れ。






かつては、成人の日は1月15日の固定されていました。国立競技場では社会人代表と学生代表によるラグビー日本選手権が開催され、晴れ着をお召しになったお嬢様方がスタントを埋めるのが季節の風物詩でしたね。

小生は、所沢市の吾妻地区主催の成人式に出席しました。当時の吾妻公民館は、現在の南陵中学校のテニスコートがある場所でした。とても狭く、押し合い圧し合い、難儀したものです。
それでも中学校卒業以来、久しぶりに会い同級生もあり、懐かしさもあって大いに語り合ったものです。

式典終了後、希望者で二次会。場所は忘れましたが、男たちはスーツのまま、女性は着替えてきたと記憶しています。はやり、晴れ着だと思い切り楽しめないのでしょうね(笑)

2015年12月2日水曜日

三笠宮崇仁親王殿下 - 百寿を迎えられました

本日12月2日は、先帝陛下の大四皇子であらせられる三笠宮崇仁親王殿下の100歳、百寿の御生誕日です。

【三笠宮さま100歳】運動ご日課 健康維持

大殿下は、今上天皇陛下の御叔父にあたられ、称号は澄宮、お印は若杉、最長老の皇族であれせられます。

大殿下は、皇族方の中で唯一の軍務経験であらせられます。昭和十一年に陸軍士官学校第四十八期を騎兵科として御卒業、その後は陸軍騎兵学校、陸軍大学校第五十五期を卒業し、軍務に御精励あらせられました。

大殿下は、支那派遣軍総司令部に若杉参謀と言う秘匿名でして勤務されましたが、そのことは総司令部内でも極秘とされ、総司令官以下極小数の関係者のみが知ることでした。
それは、大殿下の安全確保が目的でしたが、あくまで一軍人として待遇を求めたれた大殿下の御希望でもあったと言われています。

戦後は、歴史学を研究され、中でも古代オリエント史に造詣が深くあらせられ、幾つかの大学で教鞭をとられました。

皇室は、慶事が続いています。11月28日に常陸宮正仁親王殿下が傘寿の御誕生日、11月30日に秋篠宮文仁親王殿下、12月1日は敬宮愛子内親王殿下と御誕生日が続いています。
皇室は、我が国伝統文化の根源であります。その皇室最長老の三笠宮崇仁親王殿下が百寿を迎えられたことをお祝う申し上げます。

皇弥栄

三笠宮崇仁親王殿下


 三笠宮殿下ご夫妻


左より先帝陛下、今上陛下、故高松宮殿下、三笠宮殿下

2015年11月30日月曜日

水木しげる氏死去 - 頭部強打で入院中に 

漫画家の水木しげる氏が、心筋梗塞で死去されました。93歳だったそうです。

「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが死去 93歳

スポーツニッポンの報道によると、水木氏は、11月11日に自宅で転倒、頭部を強打して入院したいたとのことです。
頭部を強打したことが、心筋梗塞の遠因になったのでしょうか。筆者は、脳出血の経験者で、頭部への強打は避けるように注意を受けているので、頭部へ強打と心筋梗塞の因果関係が気になります。

高齢者の怪我は命取り、ましてや頭部を強打したのは、その影響が皆無だったとは思えませんね。自分も決して若くないので、十分に気をつけます。
最近、通勤でも帽子を被るようにしたのですが、転倒など頭部への打撃の影響を最小限に抑るためです。


「ゲゲゲの鬼太郎」水木しげるさん死去 93歳

水木氏と言えば、「ゲゲゲの鬼太郎」を思い浮かべるのは、衆目の一致するところだと思います。
「ゲゲゲの鬼太郎」は、1968年制作の第1作からから2007年制作の第5作まで、5回のTVアニメシリーズが発表されました。
筆者が最も記憶に残っているのが、第1作の第32話「妖花」です。南方で戦争に散った両親が、妖花となって娘を守る、悲しくも感動的な物語でした。
筆者は、この第1作第32話は、水木氏がご自分の戦争体験を以って訴えたかった、何物かがあったのだとおもいます。
(水木氏は、従軍した南方戦線で隻腕になったことが、氏の人生に多大な影響を与えたことは想像に難くありません)

「ゲゲゲの鬼太郎」 DVDアニメ感想 第1期第32話「妖花」

「ゲゲゲの鬼太郎」は、当初は棘々しい(おどろおどろしい)ものでしたが、作を重ねるに従って、段々に恐怖感が薄れてきました。それは、筆者が年齢を重ねるに従い、「ゲゲゲの鬼太郎」を視なくなったことに関係しているような気がします。
鬼太郎は、制作を重ねることに、子供達の良き友人という側面が、段々に際立ってきました(第1作から、そのような側面はありましたが)。それも、社会が鬼太郎に、引いては水木氏に求めたのかもしれません。

水木氏のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌


2015年11月26日木曜日

昭和の大女優、原節子さんが死去、号外が発行されました。

永遠の処女と言われた昭和の大女優、原節子さんが死去されていたことが分かり、一部の新聞で号外が発行されました。
筆者は、原さんが引退された後に生まれたので、残念ながら現役で活躍されていた時代を知りません。しかし、昭和の芸能史を考えると、日本映画の全盛時代に忽然として引退、その後も一切姿を表さなかったことが、まさに伝説となったと言えると思います。

原さんは、「永遠の処女」と言われました。あの美貌と清楚な雰囲気が、そう言わせたのでしょうね。今の若手にアイドル(怠惰な者達)には、全く似合わない表現ですねw

昭和遠くなりにけり、と昭和生まれの筆者は感慨に耽っております。

原節子さんのご冥福をお祈り、合掌

m(__)m



2015年11月25日水曜日

憂国記 - 三島由紀夫没後45年

本日は憂国忌、作家で憂国の士、三島由紀夫が「楯の会」の同志と自衛隊の決起を促すために、陸上自衛隊東部方面総監室に立て篭もり、志が叶わないとみると学生長の森田必勝と共に割腹自殺を図った事件から45年です。

この事件は、TVニュースや新聞、週刊誌で大きく取り上げられ、子供心にも記憶している衝撃的な事件でした。

作家としてノーベル文学賞候補とも目された才能豊かな作家が、何故にこのような時代錯誤とも思える事件を引き起こしたのか。それを理解するためには、当時の時代状況、近代史、戦後史を理解する必要があると思います。

三島は、決起の理由として憲法改正を挙げています。当時の政治情勢は、現在では信じられないほど、左翼全盛でした。当時は、ソ連などの東側諸国、支那や北朝鮮などの共産主義陣営を批判することは禁忌でした。
警察も批判の対象であり、造反有理は毛沢東の専売特許ではなく、日本国内でも左翼陣営が無理難題を押し通す格好の脅し文句、「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と嘆いた白河院の気持ちは、当時の為政者も同様であったでしょう。

そうした時期の自衛隊は、その存在価値は全く否定的なもので、災害派遣や国際貢献での献身的な活躍で、国民の半数以上が自衛隊の存在を認知している現在では、全く信じがたい状況でありました。

三島は、明確な自衛隊は武装組織、国防組織であり、栄誉有る存在であるべき陸海空自衛隊員達が、日陰者として左翼陣営の非難の対象になっていることに、憤りと矛盾を感じていたと言われており、筆者も同感です。

三島の感じた矛盾は、突き詰めると憲法の存在、あり方に通じてきます。国家の在り方、皇室、伝統、文化、美意識など様々な問題意識が、三島にあったのだと思います。

折しも、今年は安全保障法制の問題で、国民の政治意識が高まったと言われています。しかし、SEALDsと呼ばれる集団の粗雑で幼稚な問題認識、近代史に関する無知、福島瑞穂ようなレッテル貼りに熱を上げ、本質的な議論をしない国会議員達の見識の無さ、ノスタルジーに浸った全共闘世代の妄想、ファッション感覚で安全保障を語る芸能人。これで、本当に政治意識が高まったのでしょうか。

日本共産党は、安倍政権打倒のため、一時的に自衛隊を容認するといして、国民連合政権構想を発表しました。これ、国民をバカにしきった構想ですね。安倍政権を打倒した後は、直ちに選挙を行い、新たな政権を樹立するのだそうです。

ようやく安全保障法制が成立しました。しかし、日本の安全を保障するためには、三島が主張したように憲法改正が必要と思います。三島の決起から45周年。三島の願望が果たされる日が、一刻の早く訪れることを望んでいます。

三島由紀夫没後45年(上)】 決起した元会員、貫く沈黙 肩の刀傷…今も悔いなく

【三島由紀夫没後45年(中)】 狙撃覚悟「建軍の本義」問う 元会員「森田さんがもちかけた」 文学ではなく行動に託す

三島由紀夫没後45年(下)】 三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」

【三島由紀夫事件】 三島由紀夫の遺書全文 「夢は、楯の会全員が一丸となつて、義のために起ち、会の思想を実現すること」

【三島由紀夫事件】 三島由紀夫の命令書 「皇国日本の再建に邁進せよ」

【三島由紀夫事件】 三島由紀夫の檄文 「敢てこの挙に出たのは自衛隊を愛するが故」

【三島由紀夫事件】 三島由紀夫と行動を共にした楯の会会員の証言集(裁判での発言や上申書)





















2015年8月6日木曜日

文化勲章受章者の阿川弘之氏が死去されました

訃報です。
文化勲章受章者の阿川弘之氏が、死去されました。

作家の阿川弘之氏が死去 文化勲章受章者、正論執筆メンバー

作品支えた海軍体験 中庸とユーモア愛し

評伝【阿川弘之さん死去】若者の被災地支援に「日本は大丈夫」

氏の代表作は、「山本五十六」、「米内光政」、「井上成美」の海軍三部作でしょう。
海軍関係では、その他に「軍艦長門の生涯」、「海軍こぼれ話」、「雲の墓標」、「暗い波濤」などを読みました。その他にエッセイが、「国を思うて何が悪い 一自由主義者の憤慨録」、「国を思えば腹が立つ 一自由人の日本論」、「高松宮と海軍」、「山本元帥!阿川大尉が参りました」などなど。
ある思想傾向にある方々、例えば辻元清美氏、田嶋陽子氏、福島瑞穂氏などからは、右翼反動軍国主義者的作家ということになるのでしょうかね。ただ、阿川氏は相手にしなかったと思います。

氏を語る上で外せないのは、朝日新聞や毎日新聞などの偽善的な左翼マスコミが大嫌いであったこと。かつて、軍部に迎合したマスコミが、連合軍による占領下では踵を返したように反軍部に転向、その後はソ連や支那に媚を売っていたことが許せず、一貫して批判し続けていたこと。
昨年、朝日新聞の所謂「従軍慰安婦」問題で誤報を認めたことを、如何に考えていたか興味があるところです。

氏が師事した作家の伝記「志賀直哉」も、長編でしたが完読しました。しかし、何と言っても、最も面白かったのは月刊文藝春秋に連載された巻頭随筆の「葭の髄から」。

阿川氏の前の巻頭随筆が、司馬遼太郎氏が執筆された「この国のかたち」でしたが、文藝春秋の看板企画だけあって、甲乙つけ難いものがありました。ちなみ、阿川氏が海軍予備学生、司馬遼太郎氏が陸軍甲種幹部候補生出身でした。お二人の著書を読んでいると、海軍時代を懐かしむ阿川氏、批判的な司馬氏と対照的でした。

それは、海軍予備学生が任官同時に海軍上等兵曹の上、少尉候補生の下という破格の待遇を受けたからでしょうね。
陸軍は、士官教育方針として一等兵の苦労から味合わせるという方針を最後まで堅持しました。従って、兵隊の苦労をしたくないエリートは、挙って海軍の予備学生、予備生徒などに志願したそうです。

小生の伯父は、旧制中等学校を卒業すると、旧制高等商船学校に入校しました。当時の制度では、同時に海軍の兵籍に編入され、高等商船学校生徒兼海軍予備生徒になりました。
これが、どれだけの待遇かというと、街中で陸海軍の下士官は、二十歳前の海軍予備生徒である伯父を見かけた場合、先に敬礼を行い然る後に答礼を受けなければなりませんでした。それは、戦場経験豊かな古参兵でも同様で、海軍の身分差別が如何に激しかったかを物語るものでしょう。従って、海軍の予備学生、予備生徒出身者と陸軍出身者に意識の差があっても致し方ないと思います。

(太平洋戦争中でありましたら、卒業と同時に海軍予備士官として出陣すること予定さていました。
伯父は、そのことに関しては淡々と受け止めていたようで、任務だったのだと気負いをせずに話してくれたことがありました。)


阿川氏は、大江健三郎某氏と確執があったことは有名で、ご本人も隠していませんでした。大江健三郎某氏は、それを遠回しに匂わしていましたが、名言はしませんせした。小生は、それに偽善的な、何とも言えないあざとさを感じており、決して好感が持てません。
現在の大江某氏は、反原発、憲法九条の会などの活動に熱心ですが、その余りにも観念的に過ぎる思考にも、非合理性を感じるのみです。同じことは、美輪明宏某氏にも言えますが、自分からみれば、両氏とも偽善的にしか思えず、相容れないですね。

意外だったのは、『きかんしゃ やえもん』の文書が阿川氏の作品と知った時。児童文学書も、執筆されていたのですね。

94歳、大往生と言えますが、惜しい方が死去されました。残念でなりません。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌