2015年10月22日木曜日

明星大学硬式野球部が、首都大学野球秋季リーグ戦で二部優勝

明星大学OB諸君
首都大学野球連盟の2015年秋季リーグ戦において、我が母校の明星大学体育会硬式野球部が、通算四度目の二部優勝を果たしました。
2011年の秋季リーグ戦で最初の優勝、一部校との入れ替え戦も制して一部昇格を果たしました。そして、翌年の秋季リーグ戦は、一部三位と躍進しました。しかし、翌季のリーグ戦で二部降格、その後もなかなか優勝には届きませんでした。
2015年春、三年半振りに二部優勝、しかし残念がら入れ替え戦に敗退し、一部昇格はなりませんでしたが、この秋季リーグ戦で二部を連覇し、再び一部昇格の機会が訪れました。
10月24日土曜日、一部8位の城西大学との入れ替え戦が予定されています。24日には、一部7位の東京経済大学と二部2位の二部二位の明治学院大学と試合が組まれています。
一部昇格を果たすためには、城西大学を下し、入れ替え戦二回戦(東京経済大学対明治学院大学)を勝ち抜け、更に一部六位の大東文化大学に勝つ必要があります。つまり、あと三試合に勝たねばなりません。
体育会硬式野球部の諸君には、厳しい条件ではりますが、一部昇格を果たし、ジャイアンツの前監督であった原氏の母校で、首都大学野球連盟の強豪、東海大学を下し、一部優勝を遂げて貰いたいと念願しています。

11月1日に、同期生と学祭に集合し旧交を温める予定です。その際には、一部昇格を祝えることを期待しています。 明星大学

2015年10月20日火曜日

所沢市長選挙 ― 藤本市長、再選なる

中学校のクーラー問題と住民投票、保育園の育休問題など、全国的な話題となった所沢市長選挙。結果としては、藤本市長の再選となりました。
藤本市長の再選を断固支持していた筆者としては、一安心です。かつてない逆風で、大丈夫を思いながらも、一抹の不安が拭いきれなかったので、選挙結果の速報が発表された時は自宅で祝杯を上げました。

投票結果

候補者名
党派
得票数
次点
並木 まさよし
無所属
26673
四位
石井 ひろし
無所属
13584
三位
市川 はるひこ
無所属
18893
当選
藤本 正人
無所属
43379




ネットでは、藤本市長以外の三人が、統一候補を擁立すれば楽勝だったいう投稿がりありました。筆者は、選挙は結果が全てであり、そうした仮定の話は余り意味がないと思いまが、余話としては面白いとであろことは認めますので、その可能性について少々考察しています。

並木 まさよし 26,673
石井 ひろし 13,584
市川 はるひこ 18,893

59,150
もし、三候補の得票を合計すると59.150票。これは、藤本市長の得票を15,771票を上回ることになります。では、三人が大同団結できたでしょうか。また、そうなった場合、選挙に勝てたでしょうか。


仮定1 大同団結は可能であったか。
おそらく、それは難しかったと思います。それは、何故か。落選した三候補毎にその理由を考えてみます。

元市議の石井候補は狭山ヶ丘が地盤で、クーラー問題で地元から押された経緯があると聞いています。また、石井候補は、市議選への立候補をせず、早くから市長選への立候補を表明していました。
狭山ヶ丘の支持者は、石井候補が当選することを願っていたのであって、他の二候補の風下に立つことを決して許容しなかったと思います。一度動き出した選挙への準備は、止める頃は難しいものです。候補者本人だけでなく支持者の意向もあり、立候補辞退、他の候補者支援は難しかったでしょう。選挙とは、そうしたものです。

並木候補は、前回の市長選挙より得票を約8,000票、増やしています。それは、友情支援ということで民主党の応援が得られたことが大きいと思われます。しかし、それが限界でしょう。
並木候補は、今回の市長選だけでなく、国政選挙でも立候補をして当選や落選を経験しています。したがって、政治の現場への復帰願望は並大抵ではありません。
前回の市長選挙でも、保守大同団結を拒否、単独立候補をしました。その結果、前市長と藤本現市長の接戦になった経緯がります。
ですから、並木候補が大同団結のために立候補を取り下げる可能性は、極めて低かったと思います。

市川候補は、無所属となっていますが、日共が擁立し、組織的な支援を受けたことは間違いありません。
その市川候補が、他の二候補の支援に回るとは思えません。また、日共の党員やシンパも、保守系のに候補への選挙協力を素直に受け入れた可能性が低かったでしょう。大阪市の住民投票では、自民党や民主党、日共が共闘しましたが、橋本市長憎しの状況が産んだ特殊事例です。
日共は、来年の参議院選挙、場合によっては衆参同時選挙を視野に入れて、組織のたがをはめるためにも、当選を度外視して市長選に全力を投入したと考えています。

以上の理由から、落選三候補が大同団結した可能性は低かったと思います。

仮定2 大同団結したら勝てたか
石井候補は、狭山ヶ丘地区からの候補という色が明確でした。石井候補が統一候補になった場合、並木候補の支持者が、そのまま石井候補の支援に鞍替えした可能性は低かったと思います。
並木候補は、それなりに固定の支持者がいますが、安松などが地盤なので、狭山ヶ丘の色が付き過ぎた石井候補への投票を忌避した可能性が考えられます。

市川候補は、統一候補になった場合はどうでしょうか。
同候補は明らかに日共の候補です。日共の固定した支持層と浮動票を獲得した可能性は高かったと思います。しかし、日共のイデオロギー体質、独善的な主張などなどを嫌い、同党の候補には絶対に投票しない層が存在します。市川氏が統一候補になった場合は、そうした人たちが離れていったことでしょう。
現在、日共が連合政権構想なるものを主張し始めました。しかし、民主党の長島昭久氏や前原誠司などの保守系国会議員が断固拒否しています。それだけ、日共にに対するアレルギーは根強いものがあります。
同候補が、統一候補になることは、返ってマイナスだったでしょう。

並木候補が統一候補になった場合はどうでしょうか。最も可能性が高かったのですが、同候補は新進党、自民党、維新の党と政党を渡り歩いています。そうした過去の経緯があり、石井候補の支持者が、投票を忌避したのはないでしょうか。また、市川候補に支持者も、並木候補への投票に積極的であったと思えません。

結果として、藤本市長は当選すべくして当選したと判断しています。

藤本市長再選
藤本市長は、投票率が上がった中で、前回の市長選より得票も得票率を増やしています。それは、市長の政策と実績への支持の表れ評価すべきだと思います。つまり、消極的選択ではなく、4人も候補の中で、最も支持されたと解すべきです。それは、他の三候補を認めるべきでしょう。

保育園問題では、日共とその影響下にある保育問題協議会などの支援を受けた一部の父兄が、行政訴訟に訴えています。その訴訟も、地裁、高裁、最高裁まで持ち込まれる可能性があります。
たとえそうなっても、藤本市長の政策に期待し、応援していこうと思います。


2015年10月17日土曜日

所沢市長選挙 ― 選挙戦も最終日

所沢市長選も、本日の20時を残すのみとなりました。今回は、市議会の自民会派が分裂、互いに現職市長と前市議を公認しています。また、民主と維新が前回の市長選にも立候補した元自民党代議士を支援(公認ではない)し、激戦を繰り広げています。

日共の候補は、所詮は泡沫、ガス抜き程度の存在でしょうが、同党のイデオロギー体質を知らいないお花畠的住民が、どの程度の投票をするかが興味深いところです。

自治体首長の選挙では、現職が強いと言われますが、今回は様々な要因が重なり激戦が想定されます。

今回の選挙は、前回と異なりネットの活用が認められました。各候補とも、SNSのFacebookやBlogなどを使用して、自らの主張の宣伝に努めています。

ネットというものは功罪があり、情報に伝達に有用なことは確かですが、真偽定かでないガセネタ、誹謗中傷が飛び交う世界でもあります。

前回の総選挙では、あくまで、従来型の選挙を実施される候補者もおられましたが、自分はその判断も否定しません。下手なネット活用は、逆に候補者の首を絞めることになると思います。

Facebookでは、知らない候補者から友達リクエスト送られてきたという投稿が少なくありません。これは、好意的な反応ではなく、逆に反感の現われでしょうね。

ネットによる選挙活動は、未だに試行錯誤の段階にあることを候補者は肝に銘じるべきだと思います。

ところで、自分は単なる一有権者。誹謗中傷に当たらない範囲で、自らの意見表明を行うことは問題ないでしょう。ということで、ネットで見つけたまとめサイトの情報をリンクさせて頂きます。


 やたらと話題の所沢市長・藤本正人氏の正体は実は凄い人だった!





2015年10月14日水曜日

所沢市長選挙  ― 現市長、藤本正人候補を断然支持します。

2015年10月11日から17日までは、所沢市長選挙です。各候補とも、自らの主張を全面に押し出して、厳しい選挙戦を展開しています。

所沢市長選告示、4候補が第一声

今回の市長選挙は、10月11日が告示でした。現市長の藤本候補以外は、11日から選挙戦に突入したでしょう。それに引き換え、11日が「ところざわ祭り」と重なり、選挙戦開始の号砲を鳴らすべき出陣式を12日にせざるを得なかったことは、藤本市長陣営にとり不利であることは否めません。
しかし、現職の有利さもあることも事実です。

出陣式には、選対本部長の柴山昌彦内閣特別補佐官、関口自民党参議院議員など国会議員各氏、飯能市日高市入間市狭山市の各市長さん、県会議員各氏、所沢市議会において市長を支持する会派の議員各氏が応援に駆け付けていました。勿論、小生も決起集会を見学させていただきました。

最近の選挙では、その結果を認めない方々がおられるようです。曰く、票が操作された、謀略により当選が落選になった、投票率の低い選挙は無効だ、等々です。
しかし、それは真面目に投票した有権者を余りにも馬鹿にしています。

確かに、最近の選挙における投票率の低下傾向は由々しき事態です。しかし、我が国の現在の選挙制度では、法定得票に達した第一の候補者が当選するのが公職選挙法の規程です。

投票の権利がありながら、その権利を行使しない方々は選挙結果を受け入れたものと解釈されても致し方ありません。それが嫌なのであれば、投票することです。

ところで、評論ばかりで自らの意見を明確にしないのは、卑怯の謗りを受けかねません。そこで、自分が支持する候補を明言致します。

自分は、現市長の藤本正人候補を支持いたします。

現実無視の日共が推薦するが市川候補。申し訳ありませんが、同候補は論外です。同候補が市政を担った場合、その空理空論のため、市政が混乱することは火を見るより明らかです。というか、同候補は所詮は泡沫候補でしかないでしょう。

党内がバラバラの民主党や維新が支援する並木候補。自分は、並木氏が所属政党を渡り歩いたことが、所沢市政に混乱を招いたと考えています。従って、並木候補も支持できません。

石井候補は、「待機児童対策は保育園増設で行うべき」の立場だそうです。しかし、予算の裏付けはあるのでしょうか。少子化が予想される現在、安易に保育園の増設を行えば、遊休施設を増やす可能性があります。従って、同候補も支持できません。

以上が、藤本候補以外の候補者を支持しない理由です。誤解の無いように申し上げますが、消去法で選んだのではなく、藤本候補の政策、人柄を等を十分に吟味し、その上で積極的な支持を表明します。

三氏の支持者の方、反論があれば遠慮なくご意見をお寄せ下さい。





2015年10月13日火曜日

「しんぶん赤旗」の記事から - 靖國参拝にケチをつける日本共産党

日本共産党機関紙の赤旗が、第三次安倍政権に関して、その靖國神社参拝についての記事を掲載しました。 第3次安倍改造内閣 自民閣僚全員が「靖国」派 侵略美化・改憲を推進 なぜ、靖國神社に参拝することが侵略の美化、改憲推進となってしまうのでしょうか。突っ込にどころ満載の記事です。
靖國神社参拝に関して
自分は、機会があれば靖國神社に参拝、英霊の御霊に感謝の念を捧げています。しかし、日本共産党によると、靖國神社に参拝することは、絶対してはならないことのようです。 でも、これは可笑しいですね。日共は、信仰の自由を認めているのではないか。やはり、日共にとっては、宗教はアヘンなのでしょうね。 日共と創価学会が不倶戴天の敵であることは、周知のことです。それが何故かと考えると、日共も宗教団体と考えると合点がいくと思います。 一部の宗教は、異端を絶対にに認めない排他性を有してします。日共の独善主義や排他性は、一部過激宗教と瓜二つです。 改憲に関して
自分は、改憲主義者です。改憲を考えることが、危険なことなのでしょうか。日共は、天皇制(この言葉自体が、我が国の歴史を無視した、唯物史観による誤解)を廃止するこを目標にすると明言しています。 


日本共産党の綱領案から
たちは、目標としては民主主義の精神、人間の平等の精神にたって、天皇制をなくす立場に立ちます。これをどうして実現するかといえば、主権者である国民の多数意見が、その方向で熟したときに、国民の総意で解決する、ということです。これが、天皇制の問題を解決してゆく、道理ある方法だと考えて、今度の綱領に明記したわけであります

つまり、日共は完全な護憲政党ではないのです。その点、現行憲法に一字一句の修正を認めない立場の社会民主党の方が、ブレはありません。 いずれ、改憲を目指すと明言している日共が、改憲を推進していると自民党を避難するのは、矛盾以外の何物ではないと、自分は思います。

自らの主義主張以外の一切を認めない日共の体質からすれば、この赤旗の記事も宜なるかと言うことにうなるのでしょうね。日共に何を言われようとも、靖國神社参拝をやめるつもりは、全くありません。 いま日本が必要としているのは民主主義革命

日共は、革命思想を捨てていません。


2015年10月6日火曜日

長男が二十歳になりました。

今日は、長男の二十歳の誕生日になります。嫁は、誕生日祝いとして財布を贈る事にしました。
自分は、大人になった通過儀礼として、一杯飲みに連れて行こうと思います。

長男が生まれた前日、自分は出張で札幌にいました。その年は、毎週水曜日から金曜日まで札幌出張という生活を、ほぼ一年か続けいました。
そこで出産予定日前後2週間だけ、出張を猶予して貰うことを、取引先に承知していただいていました。そこで、前祝いということで、お客様とすすきのでガンガン飲みまくり、ホテルに戻ったのは午前2時頃、30分遅刻して営業所に顔を出しました。

営業所では、事務の女性が30分以上前からご家族の方から何回も電話があったとの。当時は、携帯電話が一般的でなく、営業所の固定電話に連絡をあったわけです。

伝言で指定された電話番号にかけ直すと、義理の妹からの電話で、西埼玉中病院で無事に生まれたとのこと、体重3300gなどと、取り急ぎ教えてくれました。

嫁は、出産のために実家に滞在していたのですが、間の悪いことに義父義母とも一泊の予定で外出、夜中に陣痛が始まり、自宅にいた義弟と義妹が車で病院に担ぎこみ、分娩室で出産で苦しんでいる丁度その時間帯は、自分は同僚やお客さんと、前祝いと称してすすきのでガンガン飲んでました。

その日は金曜日で、羽田着の最終便を予約していました。JALやANA、JASなどに電話を掛けて早い便への変更を頼んだのですが、結局無駄でした。

実家の兄に頼んで、病院に様子を見に行って貰ったのですが、大事な時期に何をやっているんだと無茶苦茶怒られましたね。

当時、横浜市港北区(日吉、慶応大学の野球部、ラグビー部のグラントの近く)に住んでいたので、翌日に所沢の実家に車で移動、病院で長男と対面を果たしました。その時の写真がありますが、恐恐と長男を抱いているのが分かります。

気がついたら、あれから二十年。早いものですね。