藤本市長の再選を断固支持していた筆者としては、一安心です。かつてない逆風で、大丈夫を思いながらも、一抹の不安が拭いきれなかったので、選挙結果の速報が発表された時は自宅で祝杯を上げました。
投票結果
候補者名
|
党派
|
得票数
|
|
次点
|
並木 まさよし
|
無所属
|
26673
|
四位
|
石井 ひろし
|
無所属
|
13584
|
三位
|
市川 はるひこ
|
無所属
|
18893
|
当選
|
藤本 正人
|
無所属
|
43379
|
ネットでは、藤本市長以外の三人が、統一候補を擁立すれば楽勝だったいう投稿がりありました。筆者は、選挙は結果が全てであり、そうした仮定の話は余り意味がないと思いまが、余話としては面白いとであろことは認めますので、その可能性について少々考察しています。
並木 まさよし | 26,673 |
石井 ひろし | 13,584 |
市川 はるひこ | 18,893 |
59,150 |
もし、三候補の得票を合計すると59.150票。これは、藤本市長の得票を15,771票を上回ることになります。では、三人が大同団結できたでしょうか。また、そうなった場合、選挙に勝てたでしょうか。
仮定1 大同団結は可能であったか。
おそらく、それは難しかったと思います。それは、何故か。落選した三候補毎にその理由を考えてみます。
元市議の石井候補は狭山ヶ丘が地盤で、クーラー問題で地元から押された経緯があると聞いています。また、石井候補は、市議選への立候補をせず、早くから市長選への立候補を表明していました。
狭山ヶ丘の支持者は、石井候補が当選することを願っていたのであって、他の二候補の風下に立つことを決して許容しなかったと思います。一度動き出した選挙への準備は、止める頃は難しいものです。候補者本人だけでなく支持者の意向もあり、立候補辞退、他の候補者支援は難しかったでしょう。選挙とは、そうしたものです。
並木候補は、前回の市長選挙より得票を約8,000票、増やしています。それは、友情支援ということで民主党の応援が得られたことが大きいと思われます。しかし、それが限界でしょう。
並木候補は、今回の市長選だけでなく、国政選挙でも立候補をして当選や落選を経験しています。したがって、政治の現場への復帰願望は並大抵ではありません。
前回の市長選挙でも、保守大同団結を拒否、単独立候補をしました。その結果、前市長と藤本現市長の接戦になった経緯がります。
ですから、並木候補が大同団結のために立候補を取り下げる可能性は、極めて低かったと思います。
市川候補は、無所属となっていますが、日共が擁立し、組織的な支援を受けたことは間違いありません。
その市川候補が、他の二候補の支援に回るとは思えません。また、日共の党員やシンパも、保守系のに候補への選挙協力を素直に受け入れた可能性が低かったでしょう。大阪市の住民投票では、自民党や民主党、日共が共闘しましたが、橋本市長憎しの状況が産んだ特殊事例です。
日共は、来年の参議院選挙、場合によっては衆参同時選挙を視野に入れて、組織のたがをはめるためにも、当選を度外視して市長選に全力を投入したと考えています。
以上の理由から、落選三候補が大同団結した可能性は低かったと思います。
仮定2 大同団結したら勝てたか
石井候補は、狭山ヶ丘地区からの候補という色が明確でした。石井候補が統一候補になった場合、並木候補の支持者が、そのまま石井候補の支援に鞍替えした可能性は低かったと思います。
並木候補は、それなりに固定の支持者がいますが、安松などが地盤なので、狭山ヶ丘の色が付き過ぎた石井候補への投票を忌避した可能性が考えられます。
市川候補は、統一候補になった場合はどうでしょうか。
同候補は明らかに日共の候補です。日共の固定した支持層と浮動票を獲得した可能性は高かったと思います。しかし、日共のイデオロギー体質、独善的な主張などなどを嫌い、同党の候補には絶対に投票しない層が存在します。市川氏が統一候補になった場合は、そうした人たちが離れていったことでしょう。
現在、日共が連合政権構想なるものを主張し始めました。しかし、民主党の長島昭久氏や前原誠司などの保守系国会議員が断固拒否しています。それだけ、日共にに対するアレルギーは根強いものがあります。
同候補が、統一候補になることは、返ってマイナスだったでしょう。
並木候補が統一候補になった場合はどうでしょうか。最も可能性が高かったのですが、同候補は新進党、自民党、維新の党と政党を渡り歩いています。そうした過去の経緯があり、石井候補の支持者が、投票を忌避したのはないでしょうか。また、市川候補に支持者も、並木候補への投票に積極的であったと思えません。
結果として、藤本市長は当選すべくして当選したと判断しています。
藤本市長再選
藤本市長は、投票率が上がった中で、前回の市長選より得票も得票率を増やしています。それは、市長の政策と実績への支持の表れ評価すべきだと思います。つまり、消極的選択ではなく、4人も候補の中で、最も支持されたと解すべきです。それは、他の三候補を認めるべきでしょう。
保育園問題では、日共とその影響下にある保育問題協議会などの支援を受けた一部の父兄が、行政訴訟に訴えています。その訴訟も、地裁、高裁、最高裁まで持ち込まれる可能性があります。
たとえそうなっても、藤本市長の政策に期待し、応援していこうと思います。
仮定1 大同団結は可能であったか。
おそらく、それは難しかったと思います。それは、何故か。落選した三候補毎にその理由を考えてみます。
元市議の石井候補は狭山ヶ丘が地盤で、クーラー問題で地元から押された経緯があると聞いています。また、石井候補は、市議選への立候補をせず、早くから市長選への立候補を表明していました。
狭山ヶ丘の支持者は、石井候補が当選することを願っていたのであって、他の二候補の風下に立つことを決して許容しなかったと思います。一度動き出した選挙への準備は、止める頃は難しいものです。候補者本人だけでなく支持者の意向もあり、立候補辞退、他の候補者支援は難しかったでしょう。選挙とは、そうしたものです。
並木候補は、前回の市長選挙より得票を約8,000票、増やしています。それは、友情支援ということで民主党の応援が得られたことが大きいと思われます。しかし、それが限界でしょう。
並木候補は、今回の市長選だけでなく、国政選挙でも立候補をして当選や落選を経験しています。したがって、政治の現場への復帰願望は並大抵ではありません。
前回の市長選挙でも、保守大同団結を拒否、単独立候補をしました。その結果、前市長と藤本現市長の接戦になった経緯がります。
ですから、並木候補が大同団結のために立候補を取り下げる可能性は、極めて低かったと思います。
市川候補は、無所属となっていますが、日共が擁立し、組織的な支援を受けたことは間違いありません。
その市川候補が、他の二候補の支援に回るとは思えません。また、日共の党員やシンパも、保守系のに候補への選挙協力を素直に受け入れた可能性が低かったでしょう。大阪市の住民投票では、自民党や民主党、日共が共闘しましたが、橋本市長憎しの状況が産んだ特殊事例です。
日共は、来年の参議院選挙、場合によっては衆参同時選挙を視野に入れて、組織のたがをはめるためにも、当選を度外視して市長選に全力を投入したと考えています。
以上の理由から、落選三候補が大同団結した可能性は低かったと思います。
仮定2 大同団結したら勝てたか
石井候補は、狭山ヶ丘地区からの候補という色が明確でした。石井候補が統一候補になった場合、並木候補の支持者が、そのまま石井候補の支援に鞍替えした可能性は低かったと思います。
並木候補は、それなりに固定の支持者がいますが、安松などが地盤なので、狭山ヶ丘の色が付き過ぎた石井候補への投票を忌避した可能性が考えられます。
市川候補は、統一候補になった場合はどうでしょうか。
同候補は明らかに日共の候補です。日共の固定した支持層と浮動票を獲得した可能性は高かったと思います。しかし、日共のイデオロギー体質、独善的な主張などなどを嫌い、同党の候補には絶対に投票しない層が存在します。市川氏が統一候補になった場合は、そうした人たちが離れていったことでしょう。
現在、日共が連合政権構想なるものを主張し始めました。しかし、民主党の長島昭久氏や前原誠司などの保守系国会議員が断固拒否しています。それだけ、日共にに対するアレルギーは根強いものがあります。
同候補が、統一候補になることは、返ってマイナスだったでしょう。
並木候補が統一候補になった場合はどうでしょうか。最も可能性が高かったのですが、同候補は新進党、自民党、維新の党と政党を渡り歩いています。そうした過去の経緯があり、石井候補の支持者が、投票を忌避したのはないでしょうか。また、市川候補に支持者も、並木候補への投票に積極的であったと思えません。
結果として、藤本市長は当選すべくして当選したと判断しています。
藤本市長再選
藤本市長は、投票率が上がった中で、前回の市長選より得票も得票率を増やしています。それは、市長の政策と実績への支持の表れ評価すべきだと思います。つまり、消極的選択ではなく、4人も候補の中で、最も支持されたと解すべきです。それは、他の三候補を認めるべきでしょう。
保育園問題では、日共とその影響下にある保育問題協議会などの支援を受けた一部の父兄が、行政訴訟に訴えています。その訴訟も、地裁、高裁、最高裁まで持ち込まれる可能性があります。
たとえそうなっても、藤本市長の政策に期待し、応援していこうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿