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2016年5月9日月曜日

「母の日」にあたって

昨日は「母の日」、多くのお母さんたちが息子娘たちから何かしらの贈り物を貰ったのでしょうか。 「母の日」は、多くの国で定着してきましたが、キリスト教に期限があるようですね。日本では、青山学院が始まりのようです。 筆者も、決して高価なものではないのですが、兄夫婦と一緒に暮らす老母に、カーネーションを贈りました。 2011年5月21日に脳出血を発症、長期間の入院と自宅療養を余儀なくされました。それから5年が経過し、一つの区切りとなったと考えています。そこで、心配をかけた老母に何か贈ろうかと言う思いはありましたが、実行に移そうとすると気恥ずかしく、躊躇していました。 そこに背中を押してくれたのが高校時代の同窓生、母の日でもあるので、実行。同窓生に感謝感謝です。 自宅の近くの生花店でカーネーションを購入、夕刻に実家に立ち寄って贈ってきました。老母は、早々に花瓶にさしていました


2016年4月7日木曜日

次男が大学の入学式に臨みます

本日、次男が明治大学の入学式に臨みます。場所は、日本武道館。午前と午後に別れて実施するようです。

入学式に備えてスーツを準備しましたが、我が家の最高経営責任者は長男の同様に入学式に付き添い、自分は日本武道館からそう遠くない日本橋人形町の勤務先で仕事です。

中学校の卒業式以来、斯様な式典に親が付き添ったことはありません。高校の入学式の際、父兄が同伴することとなっていました。亡くなった父親は自営業で時間がなく、母親も同様でした。
その代わり、二歳上の兄が同じ高校なので入学式に同行してくれました。それは、「父兄同伴」ならば、「兄も父兄の内」ということで、兄が学生服着用で親代わりを務めてくれました(笑)

高校の先生に話したら、目を白黒させていましたね。

高校の卒業式、大学の入学式、卒業式。いずれも一人です。最近は、企業の入社式にも母親(父親ではなく、母親)同伴が増えてきたのも、時代の風潮なのでしょう。

息子の大学入学に当たり、一言。
息子へ。
大学入学おめでとう。
今日からの四年間は、少年から青年への過度期、悩み、そして考えろ。
それは、必ずや人生の糧となろう。


長男も二年前に埼玉大学入学、今年から三年生。これで、息子達が大学生となりました。
丁度良い機会なので、二人に一言あらん。

大学生と生徒の違いを認識すること。世間一般的には区別していないが、学校教育法において、「学生」は高等教育を受けるものと定められている。

日本の高等教育

二人は、生徒でなくて学生である。高校生までは、学校の先生が何かと面倒をみてくれたが、今後は自己の責任、判断が求められる。法律上の定義だけでなく、それが学生。

履修科目の選択も自らの判断、時間割表を配ってなどくれない。大学は自ら学び、研究する場所。単位が不足すれば、留年。心しておくように。

(なお、我が家では留年した場合の学費を払う余裕なし。すまん)

親として助言はするが、これからは自ら判断すること。たとえ、それが親の意見と相違しても、致し方なし。頑張れな。

以上。

















2015年10月6日火曜日

長男が二十歳になりました。

今日は、長男の二十歳の誕生日になります。嫁は、誕生日祝いとして財布を贈る事にしました。
自分は、大人になった通過儀礼として、一杯飲みに連れて行こうと思います。

長男が生まれた前日、自分は出張で札幌にいました。その年は、毎週水曜日から金曜日まで札幌出張という生活を、ほぼ一年か続けいました。
そこで出産予定日前後2週間だけ、出張を猶予して貰うことを、取引先に承知していただいていました。そこで、前祝いということで、お客様とすすきのでガンガン飲みまくり、ホテルに戻ったのは午前2時頃、30分遅刻して営業所に顔を出しました。

営業所では、事務の女性が30分以上前からご家族の方から何回も電話があったとの。当時は、携帯電話が一般的でなく、営業所の固定電話に連絡をあったわけです。

伝言で指定された電話番号にかけ直すと、義理の妹からの電話で、西埼玉中病院で無事に生まれたとのこと、体重3300gなどと、取り急ぎ教えてくれました。

嫁は、出産のために実家に滞在していたのですが、間の悪いことに義父義母とも一泊の予定で外出、夜中に陣痛が始まり、自宅にいた義弟と義妹が車で病院に担ぎこみ、分娩室で出産で苦しんでいる丁度その時間帯は、自分は同僚やお客さんと、前祝いと称してすすきのでガンガン飲んでました。

その日は金曜日で、羽田着の最終便を予約していました。JALやANA、JASなどに電話を掛けて早い便への変更を頼んだのですが、結局無駄でした。

実家の兄に頼んで、病院に様子を見に行って貰ったのですが、大事な時期に何をやっているんだと無茶苦茶怒られましたね。

当時、横浜市港北区(日吉、慶応大学の野球部、ラグビー部のグラントの近く)に住んでいたので、翌日に所沢の実家に車で移動、病院で長男と対面を果たしました。その時の写真がありますが、恐恐と長男を抱いているのが分かります。

気がついたら、あれから二十年。早いものですね。