2018年5月31日木曜日

五頭連峰での父子遭難死事故に思う

新聞報道によると、新潟県の五頭連峰で行方不明になっていた親子が、残念ながら、遺体で発見されたとのこと。ご冥福をお祈り申し上げる。

しかし、考えるべきことがことがある。なぜ、父親は6歳の幼児を連れて、五頭連峰で登山をしようと考えたのか。
新潟県阿賀野市観光協会のホームページによると、五頭連峰は5月初頭でも残雪があるとのこと。加えて、登山口の標高は70メートルだが五頭連峰最高峰松平山の山頂は953メートル。標高差は、883メートルということになる。残雪のある山を幼児を連れて、標高差883メートルの登山を行おうとしたことに疑問が残る。
自分は、大学のWV部で登山経験があるが、883メートルの標高差を登るには、周到な準備が必要なことが容易に想像できる。また、少なくとも中学生以上の体力が必要でないか。

産経新聞の記事では、父親が道に迷ったのでビバークすると携帯電話で連絡があったとしている。ビバークという登山用語を知っていると言うことは、山登りの経験があったと思われる。しかし、それであるならば、尚更6歳の幼児をつれて残雪のある5月初旬に登山をするという計画に疑問が残る。
朝日新聞の報道では、子供が父親に覆い被さるように倒れていたという。寒さに震える子供を、何とか温めようとしたのだろう。

観光協会の案内にも疑問がある。
「ルートが多彩で、小学生から熟練者まで楽しめる」
「前後左右、様々な場所に登山口があり、年齢、体力、目的により自由にコースを選べることが五頭連峰の最大の魅力」

どうだろう。幼児を連れても大丈夫だだと誤解を招きそうな文言である。毎日新聞の記事を引用しよう。

「五頭連峰の登山に詳しい新潟山岳会の阿部信一会長(70)の話 この時期でも斜面には雪が多く残り、登山道から外れて沢に迷い込んでしまったのではないか。周辺には高さのある滝が連続する場所もある。この時期に沢を下るにはロープなど一定の装備や技術がないと初心者では非常に厳しい。」

自分も、その通りだと思う。

自分は、大学三年生の夏、体育会WV部の夏合宿で朝日連峰に登頂した。台風の直撃を食い、テントごと吹き飛ばされて、近くの山小屋で避難した。小屋は、避難した登山客で満杯、体力のある大学生は立ったまま、台風の通過を待った経験がある。空腹と寒さで体力が消耗し、もう二度と山など登るものかと思ったものである。山は、例え夏でも危険が隣り合わせである。昨今の登山ブームに危機感を持つ、今日この頃である。

亡くなった、親子のご冥福をお祈りします。

不明の父子と判明 新潟・五頭連峰の遺体

2018年5月22日火曜日

「西城秀樹さんの逝去に思う - 自らの脳出血の体験から」

「西城秀樹さんの逝去に思う - 自らの脳出血の体験から」

 2011年5月22日(日)。脳出血を患い、所沢中央病院に緊急入院した。あれから、7年の月日が流れた。昨年11月8日(火)、帰宅途上の丸ノ内線で体調を崩し、右手の麻痺、失語症(失読症)に襲われ、何とか所沢駅まで辿り着き、駅員さんに身振り手振りで救急車を頼んで貰ったところで、意識不明に。翌9日に所沢中央病院に転院して、2週間以上の入院を余儀なくされた。そうしたこともあって、5月22日は、BlogやFBに脳出血に関して、なにかしら思いを投稿することが習慣となっており、事前に文章を考えていた。その矢先に、衝撃的なニュースが飛び込んできた。

 2018年5月17日、歌手の西城秀樹さんが逝去されたという、驚くべきニュースが列島を駆け巡った。死因は、急性心筋梗塞と報道されている。

 西城さんは、二度の脳梗塞に罹患している。自分と同じ脳疾患である。特に歌手としては致命的な構音障害を発症、一時は引退も決意したという。しかし、夫人の励ましもあり、懸命のリハビリテーションを行い、ステージへの復帰を果たす。もちろん、かつての華麗なステージは、望むべくもなかったであろうが、TV番組でみたリハビリテーションの努力は、おなじ脳血管障害を患ったものとして、大いに励まされた。

 7年前の5月22日、脳出血を発症、医療法人社団和風会所沢中央病院に入院した。診断の結果、脳出血と分かった。原因は高血圧、同年9月30日に退院するまでの入院生活が始まった。所沢中央病院は救急病院であり、通常は2週間程度で退院するか、他の専門医療機関に転院する。ところが、種々の事情で入院期間は一ヶ月以上に渡り、ようやく7月1日に国立障害者リハビリテーションセンター(NRC)に転院した。

 目立った麻痺も見られず、軽い方だと楽観していたのだが、そうは問屋が卸さなかった。NRCに転院後、一時外泊ゆるされた自宅で、識字に異常が現れて所沢中央病院に逆戻り、三週間の検査入院となり、リハビリテーションを中止。8月に予定されてNRC退院、通院リハビリが9月30日まで延期となった。脳血管障害というものは、やはり厄介な疾病だということ、骨身に染みた

 さて、西城秀樹さん。自分より脳血管障害の症状は重く、何よりも構音障害が伴っていたという、歌い手さんとしては致命的な後遺症をもたらした。しかしながら、ご家族の協力もあり、ステージに復帰された。見事で事であり、素晴らしきこと。だからこそ、これからも活躍して欲しかった。

 西城さん死去の報道を知り、勤務先から帰宅後に考えた。自分も、健常者の皆さんより、寿命が短いのだろうなと。そして、その分は有意義に生きないとなぁと。

 慎んで西城秀樹さんのご冥福をお祈り申し上げます。

あれから一年

脳出血から二年が経過しました。

脳出血から二年が経過しました  パート2

脳出血から丸三年が経過しました

脳出血から丸四年が経過しました。

脳出血から丸五年が経過しました。










2018年5月10日木曜日

一躍ヒーローとなった、前川前文部科学事務次官

一躍ヒーローとなった、前川前文部科学事務次官。朝日新聞や毎日新聞など、左派系メディアでご活躍、事務次官退任後も天下りなどせずとも講演料で稼いでおられるような。羨ましい限りである。
しかし、ご当人が在任中に発覚した不祥事に関しては、何ら反省はないようだ。それは、左派系メディアが黙りを決め込み、あれだけ批判していた野党も応援団になっているからだろうと推測している。なにせ、野党の皆様は拘置所に収監中の某幼稚園経営者を手のひらを返したように称える方々なので、さもありなんなんでしょうね。
自分は、以前から報道に中立性を過度に求める必要はないと考えている。TVメディアに関しては議論があるこころだが、活字媒体に関しては、その限りではないと思っている。その代わり、朝日新聞や毎日新聞などの左派系メディアが日本の良心を代表しているなどとは考えていない。朝日新聞珊瑚記事捏造事件、朝日新聞慰安婦報道問題、毎日新聞の西山事件など左派系メディアが起こした不祥事もある。もちろん、讀賣新聞や産経新聞なども同様。各個人が、個別の判断すれば良いだけ。
幸いなことに、インターネットの登場で各新聞報道を比較検証できるようになった。以前は、各家庭が複数の新聞を購読することは難しかった。しかし、ネットで比較検証可能になったことは、素晴らしいことだと思う。
そこで、当該記事である。記事を読んだ。まず思ったのは、表題の付け方。毎日新聞らしいと思った。前川推しがミエミエ、読んでみたら案の定。これからも、前川前次官推しで、暫くはおしていくのだろう。今後の、朝日新聞毎日新聞の前川推しに注目しようと思う。

2018年5月3日木曜日

憲法記念日 - 憲法改正を望む

5月3日は、憲法記念日とされてる。
各地で、憲法の改正を目指した団体、政党などが講演や集会を開催している。また、憲法護持を金科玉条とした政党、労組、団体なども然りである。

自分は、日本国憲法の改正が必要との立場であること明確にしておく。理由は、時代遅れの憲法であるとの認識をもっているためである。

護憲派の一部は、安倍政権での改正は反対という。では、首班が変わればいいのか。この倒錯した論理、理解不能。

護憲派である日本共産党は、最終的には共和制国家になるべきという。そでは、憲法改正が必須じゃないか。これも理解不能。

以下、憲法改正が必要と思う理由である。

憲法9条では、下記のように規程されている。特に第二項の表現が問題で、我が国の国防を担う自衛隊の存在が、全く明記されていなくとも良いのか。自分は、高校時代からの疑問だった。特に、大陸の全体主義国家、半島の独裁国家の脅威から我が国の安全を担う自衛隊は、憲法で明文化されるべきというのが、予てからの持論あった。

非武装中立。国防はどうするのか。大陸の某国は、着々と軍備を増強し、戦術核兵器だけでなく戦略核兵器も増大させている。半島北部の動向も気がかり、南部も怪しいもの。
我が国の安全保障状況は、予断を許さないというのが自分も見解。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


憲法代79条第2項は、最高裁判所裁判官の国民審査に関しての規程である。しかし、日本国憲法の中で、第79条のほど形骸化し、意味のない条項はないと確信する。自分が、日本国憲法を改正すべきとの持論の根拠は、第9条と並び第79条第2項だ。全く、無意味で用のない条項であり、撤廃して然るべきと考える。
第79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。

憲法89条は下記のように定めている。89条の後段を読む限り、宗教団体や私立学校などには税金を投入してはならないと読める。しかし、日本私立学校振興・共済事業団などを経由して税金が補助されている。筆者も私立大学に学んだものどして、補助金の恩恵に浴した。従って、憲法89条の改正に賛成である。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
憲法記念日に当たり、憲法改正賛成の立場から私見を述べたものである。


2018年4月24日火曜日

『日共が、得意がっている』

産経新聞が報じている発言は、確かに不適切の指摘を免れないと思う。しかし、日共の体質にも大いに疑問を感じた。
各報道機関の報道では、下村氏の発言は、日共の関係者が録音し、共産党の小池晃書記局長が公開したもの。といいうことは、日共は自民党議員の講演会に党員か関係者を潜り込ませ、その発言を録音しているのか。まるで、検閲ではないか。空恐ろしいことである。日共は戦前の日本を、さんざん批判している。しかし、自らは検閲紛いの行為を恥じることもなく、正義に行為に酔いしれている。

日共が政権を担う、もしくは政権に加わることなど、なんとしても阻止しなければならないと確信した次第である。

セクハラ録音して週刊誌に渡したことは「犯罪」 下村博文元文科相、撤回し謝罪

2018年2月17日土曜日

『突然の訃報に接して』

2月13日早朝、大学時代の友人からメールが届いた。学生時代に、お世話になった恩師、T先生が逝去されたとのこと。突然の訃報を読み、言葉がなかった。
学生時代の友人や後輩と旧交を温めたのが2月11日。それから、3日も経過せずに接した訃報。ただただ、ひたすらに悲しい。
先生は、公私ともご指導を頂いた恩師であり、人生の導き手であった。突然の訃報に、30年以上に渡る交友が思い出される。

実際のところ、先生と直接に教えを受けたことはない。先生は教育学科で、主に教員を目指す学生を指導された。自分は社会学科の学生、通常はお会いする機会はない。先生の慧眼に触れた端緒は、大学一年生の時に所属する体育会ワンダーフォーゲル部から、体育会本部に派遣されたこと。
先生は、教育学科で教鞭を執られる傍ら、学生課長として学生の自治組織への対応を担当されており、自分は体育会本部員、その後は幹部としてご指導を受けた。

学生時代は、学生の本分に悖る生活、行動ばかりであった(父上様母上様、申し訳ない)。大学の敷地内にブルーシート敷き詰めて、怪訝な顔をする女子学生を傍目に見ながら花見もした。大学祭では、一升瓶片手にどんちゃん騒ぎ。部室の前で、通りがかりの学生を捕まえて無理やり酒を注ぐ。
先生、誠に不真面目な学生集団で申し訳ありませんでした。斯様なわけで、自分達が先生の教えを受けたのは教室ではなく、府中駅前の居酒屋や屋外であったのかもしれない。いや間違いない。

卒業式の日、我々は八王子の日本料理屋に集合した。先生の行き付けのお店で、卒業を祝って下さるとのこと。人数は後輩や先輩も含めて20人以上であったと記憶している。
飲めや食べろと大騒ぎ、勘定のことなど頭になく、お店にあったビールと日本酒を飲み干し、ウイスキーも常連さんがキープしたボトル以外はなくなったところで、漸くにお開き。会費を計算するために女将さんに確認すると、精算済みとのこと。金額は、30万円近く。まずかった。

翌年、同じお店で後輩たちの卒業祝い。ただ、昨年の反省から先輩方と相談して、OBが幾許かの金額を集めることになった。女将さんに事情を話し、先生に分からないように勘定に含めておくようにお願い。しかし、数日後に先生から自宅に電話が。全部ばれていた。叱責された。結局、後日同じ店に行き、先生のご馳走になることに。これも、忘れ難い思い出。

学生時代のみならず、卒業後も何かとご指導、励ましを受けた。自分は、とある事情で卒業式の時点でも就職が決まっておらず、(現在はともかく、当時の就職状況ではあり得ないことだった)。そうした苦境の中で、自分を励まし支援していただいたことは、今でも感謝している。

就職後も、折に触れて先生とお会いする機会があった。同期生が集まる際には、先生もお呼びして、思い出話に花を咲かせた。先生のご自宅にお邪魔したこともあり、奥様の手料理に舌鼓を打ち、グラスを傾けた。

自分の結婚式に先生を招待させていただいた。招待状を郵送するのではなく、ご自宅にお邪魔して直接、出席をお願いした。その際には、自分の結婚を喜び、たしか上寿司を注文して下さり、大変恐縮した記憶がある。ただ、先生にご挨拶をお願いしたのだが、それなら欠席すると押し切られ、上司に主賓の挨拶を頼んだ。先生は、堅苦しいことが苦手で挨拶ごとを避けられていた。駄目元で頼んだが、見事に返り討ちにあった。

2007年、先生が定年を迎えて退職されることになった。OB先輩の発案で、長年のご指導に感謝するため「T先生を囲む会」と名付けられた宴席が企画された。自分も幹事役の一人になり、前年から準備に追われた。自分は、OB代表が朗読する挨拶文を作成する大役を仰せつかり、悪戦苦闘の末、先輩の承諾を得た(その挨拶文、PCに保存してあるはず。探してみよう)。
当日は、OBや現役の学生を含め、数百人の出席者を数えることができ、準備に費やした時間も報われたと思う。これも先生のご人徳である。

2007年2月17日は、その宴から丸11年になる。しばらくは、先生の思い出を振り返る日々が続きそうである。

先生、ご冥福をお祈り申し上げます。そして、我々を天からお守り下さい。

2018年2月13日火曜日

見えない障害 ー 小室氏の苦悩

本記事で取り上げられている「高次脳機能障害」。自分もその患者の一人。症状が軽いと言え、この記事を読んで身につまされる思いでありました。
2011年5月、脳出血を発症して長期間の入院を余儀なくされ、復職後も2ヶ月に一度の診察、複数の薬の服用。経済的な負担も軽くはありません。家族に心苦しくもあります。
昨年11月、所沢駅で右手が麻痺し、喋ることが出来なくなり、駅員さんの通報により救急車で防衛医科大学付属病院に搬送され、二週間以上の入院。多くの方に励ましのメッセージ、感謝しています。

産経ニュースより
さらに問題となっているのが、本人や家族も症状に気づきにくい点だ。「見えない障害」と呼ばれるゆえんだ。
 「手がまひするなどの身体障害なら、本人も周囲も気づきやすい。高次脳機能障害は、外見上は目立たず本人も周囲も気づきにくいんです」と渡辺教授。

そうなんです。亡父も外傷性の高次脳機能障害者でした。しかし、父が抱えている「見えない障害」に気づくことは、自分が高次脳機能障害になるまで理解できませんでした。
小室氏の抱えている苦悩、よく理解できます。
産経ニュースの記事、少々長いですがシェアしてみました。みなさんが、小室氏の苦悩、高次脳機能障害というものをご理解していだけると、有難いです。