2月13日早朝、大学時代の友人からメールが届いた。学生時代に、お世話になった恩師、T先生が逝去されたとのこと。突然の訃報を読み、言葉がなかった。
学生時代の友人や後輩と旧交を温めたのが2月11日。それから、3日も経過せずに接した訃報。ただただ、ひたすらに悲しい。
先生は、公私ともご指導を頂いた恩師であり、人生の導き手であった。突然の訃報に、30年以上に渡る交友が思い出される。
実際のところ、先生と直接に教えを受けたことはない。先生は教育学科で、主に教員を目指す学生を指導された。自分は社会学科の学生、通常はお会いする機会はない。先生の慧眼に触れた端緒は、大学一年生の時に所属する体育会ワンダーフォーゲル部から、体育会本部に派遣されたこと。
先生は、教育学科で教鞭を執られる傍ら、学生課長として学生の自治組織への対応を担当されており、自分は体育会本部員、その後は幹部としてご指導を受けた。
学生時代は、学生の本分に悖る生活、行動ばかりであった(父上様母上様、申し訳ない)。大学の敷地内にブルーシート敷き詰めて、怪訝な顔をする女子学生を傍目に見ながら花見もした。大学祭では、一升瓶片手にどんちゃん騒ぎ。部室の前で、通りがかりの学生を捕まえて無理やり酒を注ぐ。
先生、誠に不真面目な学生集団で申し訳ありませんでした。斯様なわけで、自分達が先生の教えを受けたのは教室ではなく、府中駅前の居酒屋や屋外であったのかもしれない。いや間違いない。
卒業式の日、我々は八王子の日本料理屋に集合した。先生の行き付けのお店で、卒業を祝って下さるとのこと。人数は後輩や先輩も含めて20人以上であったと記憶している。
飲めや食べろと大騒ぎ、勘定のことなど頭になく、お店にあったビールと日本酒を飲み干し、ウイスキーも常連さんがキープしたボトル以外はなくなったところで、漸くにお開き。会費を計算するために女将さんに確認すると、精算済みとのこと。金額は、30万円近く。まずかった。
翌年、同じお店で後輩たちの卒業祝い。ただ、昨年の反省から先輩方と相談して、OBが幾許かの金額を集めることになった。女将さんに事情を話し、先生に分からないように勘定に含めておくようにお願い。しかし、数日後に先生から自宅に電話が。全部ばれていた。叱責された。結局、後日同じ店に行き、先生のご馳走になることに。これも、忘れ難い思い出。
学生時代のみならず、卒業後も何かとご指導、励ましを受けた。自分は、とある事情で卒業式の時点でも就職が決まっておらず、(現在はともかく、当時の就職状況ではあり得ないことだった)。そうした苦境の中で、自分を励まし支援していただいたことは、今でも感謝している。
就職後も、折に触れて先生とお会いする機会があった。同期生が集まる際には、先生もお呼びして、思い出話に花を咲かせた。先生のご自宅にお邪魔したこともあり、奥様の手料理に舌鼓を打ち、グラスを傾けた。
自分の結婚式に先生を招待させていただいた。招待状を郵送するのではなく、ご自宅にお邪魔して直接、出席をお願いした。その際には、自分の結婚を喜び、たしか上寿司を注文して下さり、大変恐縮した記憶がある。ただ、先生にご挨拶をお願いしたのだが、それなら欠席すると押し切られ、上司に主賓の挨拶を頼んだ。先生は、堅苦しいことが苦手で挨拶ごとを避けられていた。駄目元で頼んだが、見事に返り討ちにあった。
2007年、先生が定年を迎えて退職されることになった。OB先輩の発案で、長年のご指導に感謝するため「T先生を囲む会」と名付けられた宴席が企画された。自分も幹事役の一人になり、前年から準備に追われた。自分は、OB代表が朗読する挨拶文を作成する大役を仰せつかり、悪戦苦闘の末、先輩の承諾を得た(その挨拶文、PCに保存してあるはず。探してみよう)。
当日は、OBや現役の学生を含め、数百人の出席者を数えることができ、準備に費やした時間も報われたと思う。これも先生のご人徳である。
2007年2月17日は、その宴から丸11年になる。しばらくは、先生の思い出を振り返る日々が続きそうである。
先生、ご冥福をお祈り申し上げます。そして、我々を天からお守り下さい。
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