2015年5月27日水曜日

海軍記念日

527日は、海軍記念日です。海軍記念日は、日露戦争において東郷平八郎海軍大将率いる聯合艦隊と、ロジェストヴェンスキー海軍中将率いる露西亜帝國海軍第二・第三太平洋艦隊が対馬沖で激突、帝國海軍が勝利した日を記念して制定されました。

日露両海軍が死力を尽くして戦った日本海海戦は、1905527日。つまり、日露両海軍の激突から丁度110年になります。今年は、太平洋戦争の終結から70年ということで、安倍首相が発表する予定の談話が話題になっていますが、この日本の近代史を飾る歴史的事件にも関心を持つべきと思います。

自分は、現在の歴史教育において、どうしても近代史の教育が蔑ろにされる嫌いがあると認識しています。中でも、日清、日露両戦役をどのように評価するかで、肯定派と否定派が真っ二つになりますね。

 某民主党の辻本清美氏、某社民党の福島瑞穂氏、作家の某大江健三郎氏、二流俳優の関口宏氏、三流役者の某山本太郎、自分達は常に正しく無謬と信ずる宗教集団の某日本共産党などは、日本近代史の徹底的な否定派ですね。少しでも肯定的な評価でもしようものなら、右翼反動軍国主義者呼ばわりです。

 自分は、少なくとも日清日露の両戦役は、日本の近代史から考えて必要な戦いであったと考えています。中でも日露戦役は、あれが敗戦に終われば、北海道がロシア帝國の属州になったという想像を捨てることができません。その前に、日露戦争そのものをしなければよかったという楽観論もありますが、それに与することのできません。
当時の情勢から考えると、ロシア帝國は満州を事実以上の占領下に置き、朝鮮半島に進出を目論んでいました。日本が手をこまねいていると、朝鮮半島を手に入れたロシアが、北海道や対馬に触手を伸ばして来たであろうことをは、幕末の同帝国の動向みて明らかです。
時は、帝国主義の時代、なかでもロシア帝國の拡張主義は、その後のソビエト社会主義帝國、現在のプーチン政権を彷彿させるものがあります。

当時のロシア帝國の拡張主義を鑑みれば、日露の戦いは不可避であったというのが、自分の考えです。それを以って、右翼反動軍国主義者と呼ぶのなら、それで結構です。自己の考えを彼らに否定される謂れはありませんから。

日本海海戦のあと、日露講和談判が開催されて95日にポーツマス条約調印、1014日に批准されました。自分は、その後の戦後処理に関して、引き続き考えて行きたいと思います。1905年から1945までの40年間におきた出来事が、外国の軍隊の占領下に置かれるという、歴史上未曾有の出来事になり、そして現在日本のあり方に決定的な影響を及ぼしたと考えるからです。








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