八国山と焼団子と山田うどんと埼玉西武ライオンズ。 この4つは、自分にとって郷土の象徴です。子供時代の遊び場にしてトトロの舞台と呼ばれている八国山。焼団子と山田うどんは、所沢市民のソウルフード。地元に本境地をおく埼玉西武ライオンズ。 私は、所沢生まれの元情報システムエンジニア。郷土を愛するエンジニアのBlogです。
2009年12月30日水曜日
あれから10年
来年は、更新頻度の改善に取り組みたいと思います。
ところこで、もうすぐ2010年になるわけですが、ということは2000年から10年が経過したいうことなりますね。
丁度1年前の今頃、日本のみならず世界中で大騒ぎだった出来事がありましたね。所謂「2000年問題対応」です。
10年前の年越し、1999年末はIT業界のみならず、社会全体が2000年への年明けをある種の緊張をもって迎えたものでした。都内のホテルは、企業が予約を押さえてしまい、年越しをホテルで迎えようとした若きカップルや不倫組みがはじき出され、宿泊用具のレンタルが活況を呈し、大晦日元旦と徹夜待機組みの社員用の弁当の注文が殺到し、多くのサラリーマンが会社での年越しを余儀なくされた、あの大イベントから10年です。速いものですね。
私も当時在籍していたソフトウェアベンダの本社社屋で年越しを迎えました。まあ、泰山鳴動してなんとやらでしたが。今から思うと、あの騒ぎはなんだったのでしょうね。検証が必要な気もしないではないです。
2010年、どんな年になるかわかりませんが、兎にも角にも本年もありがとうございました。
2009年12月23日水曜日
Re: タイトルなし
市の管理職に徴税に関する個人情報の提出を命じたとの報道がありました。
選挙で選ばれた自治体の首長である阿久根市長の行動に対して、批判めいたことを書くことは慎重であらねばと考えます。しかし、報道の通り(複数の報道機関でも同様の記事がありますので、真実性は高いのでしょうね)とすると、かなり問題のある行動です(少なくとも私は、そう考えています)。
以下、私見を
まずは、毎日新聞Webからの引用です。
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が、市内の民間所得状況を把握するためとして、市民の課税情報資料を税務課長に提出させていたことが分かった。市関係者によると、課長は当初「個人情報保護の観点から、目的外の利用は認められない」と拒んだが、市長が懲戒処分の意向を示し、その後に提出した。個人情報の目的外利用や、強引な指示のあり方をめぐって批判を招きそうだ。
課税資料は市が収集し、市民の個人収入などが記載されている。税務課は個人情報を保護するため、データのうち氏名や住所など個人が特定される項目を伏せて、市長に提出したという。鹿児島県税務課は「課税額の確定のために収集、作成した税務資料を第三者に示せば、秘密の漏えいを禁じた地方税法に違反するおそれがある」としている。
この資料をめぐっては、市長派の市議が15日、一般質問で「市民所得に比べ市職員給与が高額だ」と主張し、比較のためとして提示を要求。課長は「個人情報保護条例で、収集目的外の利用は原則認められていない」と、応じない意向を示した。だが、続いて答弁した市長は「以前から提出するよう言っているが、市長命令に従わないので処分します」と、公の場で懲戒の意向を示していた。
市長は、市職員に命じて’市民の課税情報資料を税務課長に提出させていた’とのことですが、地方税法だけでなく「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」にも違反する疑いが濃厚です(というか完全に抵触していると思います)。
記事で地方税法に抵触する可能性に触れてますが、その根拠は同法第二十二条と思われます。
地方税法 第二十二条
地方税に関する調査に関する事務に従事している者又は従事していた者は、その事務に関して知り得た秘密を漏らし、又は窃用した場合においては、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
市長が提出を命じた課税情報資料は、課税事務のため収集したものであり、徴税事務に関与する職員が地方税法第二十二条に拘束されるのは、当然のことと思われます。但し、市長は行政機関としての市の首長であるので、職務上
必要だというのが、提出を命じた理由かもしれません。
しかし、「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」は、民間の事業者向けの個人情報保護法と同じく、個人情報の保有と利用に制限をかけています。
同法の第三条で、行政機関が個人情報保有する場合に目的を特定すること、その目的を越えて保有してならないこと、利用目的を変更する場合には、変更前の利用目的と相当の関連性を有する場合に限ることを定めています。
課税情報は、徴税額確定のために作成されたとのことですから、市長の首長する「市内の民間所得状況を把握」とは、明らかに異なります。何故、阿久根市長が、「市内の民間所得状況を把握」したいのか不明ですが、課税額確定という目的との間に相当に関連性を有していること証明する必要があります。
また、同法八条第一項においてで「行政機関の長は、法令に基づく場合を除き、利用目的以外の目的のために保有個人情報を自ら利用し、又は提供してはならない。」としています。従って、阿久根市長が「市内の民間所得状況を把握」した上で行う事が法令に基づくものであることが必要です。そして、法の趣旨に鑑み、事前に根拠となる法令を明らかにしておくことが必要でないでしょう
か。
同法は八条第二項以下で、行政機関の長が目的外で使用できる例外条件も合わせて定めていますが、以下の条件によるものとしています。
(1) 本人の同意があるとき
(2) 行政機関が法令の定める所掌事務の遂行の上で、相当な理由のあるとき。
(3) 他の行政機関、独立行政法人等、地方公共団体又は地方独立行政法人が
法令上の事務を遂行するため、保有する個人情報を提供する相当な理由
があること
問題の課税情報の目的外利用について、本人の同意(もちろん対象者全員です)があるとは思えません。また、「市内の民間所得状況を把握」が、市長の所掌事務遂行上並びに法令上必要と思えません。
以上、検討すると税務課長が当初、課税情報の提出に難色を示したことは、相当の理由があると、筆者は考えます。
「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」は、その第六条で行政機関の長に対して、個人情報の保護に関して適切な処置を講ずることを義務付けています。その市長が、職員に対しての懲戒権を一手に握り、その上で法令違反(当の市長にみならず、税務課長も)になりかねない行為を強要するのは、問題であろうと思います。
明らかに、行政機関個人情報保護法に違反する行為だと、私は判断します。
2009年11月23日月曜日
夢も希望も無い民主党
この間、色々なことがありましたが、何と言っても政権交代が最も大きな出来事であった事は言うまでのありません。自民党政権から民主党政権への移行、期待もあるが不安もある、これが民主党政権への多くの思いではないでしょうか。
ところで、新政権の目玉政策の事業仕分け、巷の話題を独占といった状況ですね。賛成あり反対あり、その中でもスーパーコンピューター関係予算の事実上の凍結は、政権内でも反対の声が上がって、注目の的になりました。
まず、私個人の意見としては、事実上の凍結という結果は、賛成し難いですね。世界2位ではいけないのかという挑発的な問いかけには、声を大にして「いけません」と答えざるを得ないですね。
ここでは、その理由を述べません。今まで報道されており、また多くの方がBlogでスーパーコンピュータの必要性を発信されていますので。
日曜日に事業仕分けチームの民主党代議士の男女二人が、スーパーコンピュータの意義はわかっていた、しかし文科省から納得のいく説明は無かった、だから復活の可能性を否定しない、「限りなく見直しに近い縮減」という表現にしたと強調していました。しかし、私はこれは詭弁、言い訳とした思えませんでした。
この男女二人、科学立国日本のビジョンを実現していくためには、スーパーコンピュータは重要なのは理解しているそうです。であるならば、スーパーコンピュータ関係予算を事業仕分けの対象することは、適切ではなかっと思います。当然、予算が適切に執行されているかを適宜精査することは必要ですが、改廃の対象とすることは如何なものでしょうか。予想外の反発、しかも政権内からの反対もあり、慌てて軌道修正を図ったという気がします。
官民共同で開発中のGXロケットも廃止と結論付けされました。ビジネスベースにならないのが理由のようです。メーカー側は、反発してますね。開発中の打ち上げコストと終了後の商業ベースのコストを一緒にされては、かなわんとのことのようです。その他にも、今までに投入された開発資金の大半は民間が支出しているのも反論の理由として上げています。
私は、GXロケットに関しては、ある程度の軌道修正は致し方ないと思っています。しかし、廃止とした理由付けに関しては、議論が浅い気がします。仕分けチームは、事前に十分なヒヤリングをしているとのことですが、メーカー側へのヒヤリングをしたのでしょうか。というかしていないから、このような反論が出るのでしょうね。スーパーコンピュータもそうですが、官民共同で行っているのなら、参加している民間側の意見聴取も必要ではないでしょうか。
私は事業仕分けそのものは、反対ではなく評価しています。事業の見直しは必要なことだし、やるべきと思います。しかし、国のかたちに関わることは、短期での経済性だけでの議論は、少しばかり乱暴じゃないでしょうか。科学技術立国日本というのは、民主党だけでなくい党派を超えた、国民の総意のビジョンであると思います。スーパーコンピュータやGXロケットなど、そのビジョンに係ることは、事業仕分け以外にも国のかたちをどうするかの議論もあわせて考えていく必要があると思います。
追伸
情報セキュリティの観点で言えば、スーパーコンピュータは、暗号の強度にも密接に関わっていますね。暗号化に使う素数の割り出しなど、スーパーコンピュータの活用無しには困難だからです。
ネット社会での通信の秘密を確保するためにもスーパーコンピュータは不可欠です、
2009年7月20日月曜日
大いなるフロンティア - 宇宙
その海の日の祝日、朝のニュースから昼過ぎのワイドショーまで、話題は数日後に迫った、世紀の天文ショー、皆既日食についての話題一色でした。天文現象が、ここまで話題になるのは、1994年のシューメーカー・レヴィ第9彗星の木星への衝突以来ではないでしょうか。
私も天体望遠鏡を持つ身(といっても、ここ数年は仕舞ったままですが)、大いに興味があるところです。
数日後に迫った一大天文ショー、興味深いのは確かなのですが、本日はアポロ11号の月面着陸から40周年であり、個人的にはこちらの関心があります。人類が、初めて地球以外の天体に降り立った、あの快挙から40年の月日が流れたことになりますね。
いまから40年前、ニール・アルデン・アームストロング海軍大佐、マイケル・コリンズ空軍大佐、エドウィン・E・オルドリンJr.空軍大佐の三人が搭乗したアポロ11号が地球を飛び立ちました。そして、月周回軌道上から、アームストロング大佐とオルドリン大佐が月着陸船イーグル号で月面に降り立ってから40年の月日が流れました。これは、1961年のソ連のユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン空軍少佐による世界で初めての有人宇宙飛行から、僅か八年での偉業でありました。
アームストロング海軍大佐の「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という地球への通信は、一躍歴史的名言となった感がありますね。
米国は、このアポロ11号から1972年の17号まで、6機の月着陸船を月面に着陸させ(アポロ13号は、’最も偉大なる失敗’のため、月着陸せず)、12名の宇宙飛行士(殆どが軍人)が月面活動を行いました。人類は、数百名の宇宙飛行士を宇宙空間に送り込みましたが、月面に降り立ったのは、この12名だけです。17号から37年、地球の周回軌道上から離れた有人飛行は実現してません。
以前、NASAの話題で宇宙開発とコンピュータの関係を取り上げました。宇宙開発とコンピュータ、切手も切れない関係にあり、IBMの貢献は大きいものでした(当時は、マイクロソフトもサンマイクロシステムもHPも存在しませんでした)。それから40年、コンピュータは家庭に中に入り込み、しかも40年前、政府の機関、軍、大企業のみで使用された大型コンピュータを遥かに凌ぐ、高性能です。
人類は、火星への足がかりとして、また資源の獲得のため、再び月を目指しています。日本の月観測機、「かぐや」が画期的な成果挙げたのは、記憶に新しいところです。当然、この観測計画にコンピュータの果たした役割は小さくないのでしょう。再び月を目指し、火星をも視野にいれた宇宙開発計画において、コンピュータも新たな飛躍を遂げることでしょうね。アポロ計画が、そうであったように。
2009年7月13日月曜日
インターネットの明と暗
所沢 八国山’ですが、スタジオジブリ制作のアニメーション映画、「となりのトトロ」の舞台とされています。宮崎監督が、実際にそうだと明言されたことはないようですが、所沢市内の地名が出てくることもあり、巷ではそのように認知されています。そのためでしょうか、‘所沢 八国山 トトロ’で検索すると、かなりのヒット数になります。そこで、検索対象になったHPやblogを鑑賞するのが、ここのところの楽しみとなっています。営利を目的とせず、無名の個人や団体が、様々な情報発信をしていて、興味深い内容のものが少なくないのです。
八国山というのは、東京都と埼玉県の都県境にある東西1.5キロメートル、標高90メートル弱の緑地です。その昔、山の頂から上野・下野・常盤・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の八カ国が展望できたから八国山となったという謂れがあります。でも、駿河、いまの静岡県まで見えたのでしょうかね。現在からはとても信じられません。まあ、明治維新の廃藩置県の際に、所沢一帯は一時期、伊豆韮山県に編入されたこともあるので、事実だったのかもしれません(その後、品川県、入間県、熊谷県を経て埼玉県)。この八国山の稜線が都県境になっており、北側が埼玉県所沢市、南側が東京都東村山市となっています。所沢市は所ジョージ、東村山市は志村ケンという、大スター(?) の出身地でもあります。
この八国山、自宅から歩いて10分、自転車で5分という距離にあるので、たまに散歩に行きます。それで、インターネットで検索を始めたのですが、記述の通り結構な数のHPやblogがあるのです。解説した個人や団体/組織、それぞれ写真や動画を掲載、個々の感想や地誌など、色々な書き込みがあって決して飽きさせません。皆さん、良く調べていますね。自分の故郷であるにもかかわらず、初めて知ることも少なくなく、感心すること頻りです。インターネットの普及以前であれば、考えられないことです。インターネットの功であり明の側面ですね。
話が変わりまして、ISACA東京支部設立25周年記念講演会、盛会のうちに無事に終了しました。この後援会の冒頭、司会の女性より講演の録音、ビデオ撮影など御遠慮願いたいとのアナウンスがあったはずです。後援会の準備委員会の討議で、講演中の録音撮影を禁止とし、講演冒頭でそのことをアナウンスすることに決まっていました。その理由は、講演者の権利保護のためです。最近は、月例会においても、講演資料を配布しないとか、配布は会場限り、電子データの提供はしないということ条件とする講師の方も珍しくありません。また、配布資料と投影する内容に敢えて差異をつけることもあります。東京支部では、著作権者たる講師の皆さんの判断なので、それを尊重しています。
では、何故このような事態になっているのか。これは、インターネットの罪であり、暗の側面です。他人の著作物を引用の範囲を超え、もしくは断りなく自分のHPやblogに掲載する、画像や音声を動画サイトに投稿するという事が珍しくなくなっています。自ずと著作権者の方が知的財産権の防衛を図る、これ自体は致し方ないと思います。
ISACA東京支部でも、著作権の保護のため、月例会の後援資料は更新本人の承認が得られた場合のみ、支部会員に限ってPDF形式のファイルでダウンロード可能にしています。
配布資料の事は、支部会員のからの批判を有るのですが、著作権の保護という観点からご理解を頂くしかないと考えています。
インターネットの登場と普及により、一個人が情報を手軽に且つ素早く発信できることになった利点は小さくありません。しかし、そのことによる権利の侵害の可能性があることも事実として理解しておくことも必要です。
そこで、気になることがあります。余暇に楽しませてもらっている善意の皆さんのHPやblog、開設者の皆さんが撮影した画像など、右クリックでダウンロード可能であることも珍しくありません。まあ、木々の写真など、犯罪に悪用されることなど無いと思いますが、余計なお節介ながら気になる次第です(職業病かな)。
2009年6月30日火曜日
場所は、東京国際フォーラム、支部の年次総会を兼ねたものでした。有料にも関わらず、600名以上の申し込みがあり、各官庁、業界団体の後援もあり、25周年に相応しい規模であったと思います。
実行委員と運営ボランティアは朝7時集合、一致協力して何とか無事に終了することができました。こうした行事では、裏方(運営スタッフ)として参加された方々と新たな交流を持つこともでき、大変ながら楽しいことでもありました。特に、ISACA東京支部の将来を担う若手の参加もあり、次の30周年に向かい、素晴らしい第一歩でもありました。
小生は、支部運営会議のメンバーとして、あと一年頑張ることになりました。この一年を最後のご奉公とし、後は一会員として、静かな余生を過ごします。そして、花田経子ISACA東京支部会長の実現を心待ちにすることにいたしました。
追伸
夜の懇親会では、二人の女性演奏家によるクラシック音楽の生演奏がありました。それまで、ご歓談中の皆様、思わす聞き入っていました。会場がシーンとして、演題の二人の演奏家に魅入られたようです。音楽の力、偉大だと思いました。
http://blog.seesaa.jp/tb/122510095
2009年6月13日土曜日
CGEITの日本語受験について
一言申し上げます。ご苦労さまでした。
CGEITは、まだ受験者はごく少ない状況です。早く、日本語で試験を受けられる環境つくりが必要です。頑張らねば!!!!!
2009年5月21日木曜日
パブリックコメント
理由は・・・・ まあ、その気にならなかった、ということですね。
ところで、経済産業省が’「情報セキュリティ監査手続ガイドライン(案)」及び「情報セキュリティ監査手続ガイドラインを利用した監査手続策定の手引(案)」に対する意見募集について’という長たらしい題目でパブリックコメントを募集しています。このガイドラインは、「情報セキュリティ管理基準 改訂版」を基にしたものです。
このガイドライン及び情報「情報セキュリティ管理基準改訂版」は、日本セキュリティ監査協会(JASA)のプロジェクトチームで作成をしました。私もメンバーとして参加、一部執筆を担当しています。
「情報セキュリティ監査手続ガイドライン(案)」及び「情報セキュリティ監査手続ガイドラインを利用した監査手続策定の手引(案)」に対する意見募集について
2009年3月4日水曜日
CISA/CISM合格者説明会
ISACA東京支部のの会員も150名前後、会の存続のために会員の増加に頑張ろうとしていたのですが、今や3000名にならんとしています。
本日の説明会、弊社の若手からかつて勤務していた会社の同僚、パートナーとて一緒に仕事した方など、懐かしい面々との再会できました。皆さん、ISACA東京支部の活動に、是非ご参加下さい。
ちなみに、我社のABKN君、あなたはISACA東京支部への活動参加は必須、義務行為です。有無を言わせません。即日参加しなさい。以上
2009年2月28日土曜日
ISACA創立40周年 - ISACA東京支部創立25周年
Information Systems Audit and Conrtol Association(ISACA)が創立されて40周年になります。設立当初は、ISACAではなく、EDP Audit Association(EDPAA)と称し、日本語の名称はEDP監査人協会でした。私が、CISAのことを知ったは、このEDPAAに時代でした。
1884年、当時のシステム監査やIT統制の先駆者、先人達により、EDP監査人協会東京支部が結成されました。今でこそ、IT統制やシステム監査という言葉が頻繁に交わされるようになりましたが、1984年当時のことを考えると、先人たちの苦労が思いやられます。
EDPAAはその後、組織名を変更します。Information Systems Audit and Conrtol Association(ISACA(ISACA)、情報システムコントロール協会への名称変更です。'Audit'という単語は、当初の案には無く、Information Systems Conrtol Associationだったそうです。これからは、AuditからControlだとの意向があったからです。しかし、会員の少なからぬ反対があり現在の名称に落ち着いた経緯があります。
EDPAA東京支部も名称の変更が必要になりました。そのまま訳せば、情報システム監査及びコントロール協会なりますが、AuditからControlということを支部の名称に体現しようということで、監査という語句は外されました。私は、ちょうどこの時期にCISAを目指して入会しました。情報システムコントロール協会という名称案について、アンケートが行われたことを記憶しています。
設立当初数十人だった会員数は3,000人に迫り(今年中に3,000人突破は確実です)、世界一の規模です。その東京支部も25周年を迎え、今年は支部総会を兼ねて25周年記念後援会を企画しています。私も実行委員となっており、準備を進めています。
ISACA東京支部の会員の皆様、記念後援会には、御来駕をお願い申し上げます。
2009年2月24日火曜日
セミナーの講師をします
mbsdニュースリリース
テーマは、『情報セキュリティとコンプライアンス - 守るのは「法律」ではなく「会社」です -』です。コンプライアンスは、どちらかというと法律に規制される、縛られるというイメージがありますね。発想を転換、正当な企業活動を守るために法律を活用しよう、が主旨です。
今日、ようやく講演資料が出来上がりました。興味がお有りの方、是非ご来駕下さい。但し、質問はなしで(笑)
2009年2月23日月曜日
で、お前はどうかと問われたら・・・・・・ 誠に残念ながら、業務上の都合と家庭の事情で不参加です。今月一杯は、我が家の最高権力者である嫁殿が入院、働く主夫をしているので、外泊を極力させけています。また、年度末で監査報告等の提出期限が、複数迫っており時間がありませんでした。
参加された方、是非感想などお寄せ下さい。
2009年2月22日日曜日
Re: 参考までに
私は、自宅近く(職場からは距離がある)防衛医科大学校病院に入院しましたが、嫁殿は飯田橋の東京逓信病院、私に職場からは歩いていける距離(自宅からは距離がある)なので、仕事の帰りに病院に寄ってます。2月21日には、子供を連れて病院に行ってきました。
ところで、お題は「入院体験記 - 鼓室形成術」です。私の入院体験記を掲載します。その理由は、恩返しです。生死に関わる手術ではないとは言え、多少なりとも不安はあり、その不安を取り除いてくれたのが、インターネット見つけた入院体験記でした。その体験記を綴った記録を掲載、恩返しのしたいと考えておりました。
面識の全くない人達の体験記、同じ症状を持ち自分にとって非常に有益なのものでした。そこで、私の入院体験記を掲載、同じ症状を持つ方々に少しでもお役に立てばと考えた次第です。
入院中のメモを元にしているのですが、文書として書き上げるのに時間がかかったのと、自分の怠慢とで退院後2ヶ月を経過しての投稿なってしまいました。
鼓膜の代わりに移植した筋膜の生着と聴力の検査のために定期的な通院は、今も続いています。が、そろそろ入院体験記を掲載、恩返しの一助としたいと思います。
入院の記録
病名 慢性中耳炎
術式 鼓室形成術
入院先機関 防衛医科大学校病院耳鼻咽喉科
病棟/病室 防衛医科大学校病院西病棟十階1056号室
入院期間 2008年11月27日~2008年12月6日
2008年11月27日木曜日
入院日。8:20、車で自宅を出発、運転は我が家の最高権力者が自らハンドルを握る。次男も同乗。朝から股関節が痛いと言うので、午前中は外科に行くことになり、同乗させた。途中、実家に立ち寄り、母親をピックアップ。
8:50、防衛医科大学校病院着。我が家の最高権力者は予定を変更、入院手続と手術の説明に同席せず、次男を連れて別の病院へ。防衛医科大学校病院は、紹介状ないと受診できないので。
当日は、防衛医科大学校病院の設立記念日で休診日のため、救急病棟の受付で、入院手続。先客あり、休診日と知らずにきた受診希望者が、診察を要求していた。事務職員が休診日であることを説明、翌日以降の受診を説得していたが、聞き入れない。何時まで続くのか、気を揉んでいたら別の職員が対応してくれた。
西病棟十階に記録室(ナースセンター)に入院申込書を提出。病棟担当の女性事務員が対応。2度目の入院ですねと尋ねられ、はいと元気よく返事。病棟内の説明は省略、そのまま病室へ。6人部屋の1056号室(前回は1057号室、隣室だった)。ベッドは、窓際で希望通り。隣のベッドは、防衛大学校の4年生、学生さん。将来、国防の第一線に立つ人材。
10時頃より、主治医から手術の説明。これには家族の同席が必要らしい。
二つの同意書に署名した。手術の同意書と生物製剤の使用同意書。手術の同意書は兎も角、何故に生物製剤使用同意書が必要かと質問すると、薬害肝炎で有名になったフィブリノゲンを止血剤として使用するからですとのこと。献血した血液を媒介にしての感染症のリスクがゼロで無いからですとのこと。同席した母は、少しばかり心配していましたが、情報セキュリティのリスク管理で糧を得ている身としては、リスクがゼロでないとの説明に、然もありなんと思いました。そうなのです、手術を受ける以上はリスクをゼロにできない。ゼロのするためには手術を受けないこと。リスク管理も観点から最もな説明と思ってしまったのは職業病でしょうか。
10:30、地下2階の売店で、入院と手術に必要な物品を購入。浴衣(手術時に着用)、ボディソープ、シャンプー、昆布茶、歯磨きセット、ティッシュペーパー。この売店には、飲食品や日用品、書籍雑誌等の他、自衛隊饅頭、迷彩模様のタオル、防衛医科大学校オリジナルTシャツ、防止など自衛隊グッズも販売しており、退院時に購入しようと決めました。昼食前に母が帰宅。
病室に来る看護婦さん達、殆どが2度目の入院ですねと尋ねてくる。で、入院にあたっての説明は省略。
17:00、シャワー、洗顔、剃髭。
18:00、夕食。その後は、29日の朝食まで絶食。
20時頃、麻酔科の医師による問診と診察
21:00、消灯。
2008年11月28日
手術日。予定では、14時から2時間の予定。
6:00、起床。まず、検温と血圧測定、点滴開始。
7:00、水分補給。この後、水分の摂取も禁止。飲まず食わずで、14時まで暇潰し。
13時頃、母と兄嫁着、14時頃に女房殿着。前の手術が伸びているとのこと。看護婦さんが呼びに来るまで、ベッドで待機。
15:20、手術準備完了とのことで、病棟の看護婦さん、看護実習の防衛医科大学校病院付属高等看護学校の生徒さんと病棟2階の手術室へ向かう。
手術部は、ステンレス製の2メート四方の2枚の扉で仕切られている。扉が開く、手術部の控え室、ここで病棟の看護婦さんから手術部の看護婦さんに身柄が引き渡される。手術部の看護婦さん、雰囲気が違います。
手術部は、50メートル程度の横長の建物で、手術室が幾つか並んでいる。ドラマのように手術室前の廊下で、家族が手術の終わりを今か今かと待っている、という情景でない。複数の手術室で、定められた計画に従って、予定された手術が淡々と執行されている。とても不思議な光景でした。病棟の看護婦さんとは違い、滅菌された手術着をきた手術部の看護婦さんや医師が行きかっていて、同じ病院内とは思えず・・・・
控え室のモニターには、当日の手術予定と執行状況が映し出されており、ここで自分の手術室を確認。
手術台に横たわると、看護婦さんにあっという間に身包みをはがされ、身体にシーツとタオルケットをかけられる。また、麻酔科の医師により、心電図のセンサーや血圧計などが素早くセットされる。口には酸素マスクが装着され、大きく深呼吸をするように支持される。その内、麻酔薬を注入するために左腕に点滴用の注射針が刺される。
麻酔科の医師が、そろそろ眠くなりますと一言。ハイと返事をした後、直ぐ後の記憶が全くなし。
(以後は意識が無いので、以後は後から聞いた話)
20:30、病室に帰還。2時間の予定を大幅に超過して、5時間近くかかったのこと。手術の終わりを待っていた母と兄嫁、我が女房殿は一旦帰宅し、夕食を済ませてから再度病院に来たとのこと。内耳の炎症が予想以上に広範囲で、内耳内の骨の一部にも影響があり、大変な手術であったとのこと。出血も予想外の量だったそうです。病室での記憶は虚ろです。
2008年11月29日
6:00、看護婦さんが声をかけてくれました。全身麻酔の影響なのか、身体全体が何となくだるい。左腕には点滴、股間には導尿管。この導尿管、違和感があってどうしようもない。検温したら、37.5度だった。しかし、頭痛はなし
看護婦さんが、まず水を飲むように指示。これは、術後の経過確認の正式な手順のようで、水が飲めれば、経過確認の第一段階をクリアであるとのこと。前日の7時以後、水分補給をしていないので、待望の水です。空腹でもあるのだが、食事より水が飲みたかったですね。飢えより渇きです。
その後、看護婦さんの許可を貰い、パジャマに着替え。しかし、導尿管はそのまま。邪魔です。
洗顔したいと看護婦さんにお願い。それでは、洗面所まで歩きましょうと、介添え。歩いている途中で、眩暈がないか確認。これも、定められた術後確認の手順だそうです。幸い、眩暈はありませんでした。
洗面後、トイレで導尿管を外してもらう。こういう時は、ベテランの看護婦さんが希望だが、20代の若い看護婦さんで、とても恥ずかしかった。あとで、我が女房殿に話したら、看護婦さんは慣れっこだから、恥ずかしがっても意味ないと、軽くあしらわれました。
7:00、抗生剤の点滴投与開始。所要時間は、8時間程度のこと。これが、長かったです。行動が制限されますからね。
7:50、朝食。お粥だろうと予想していたが、常食だった。朝食後は、ベッドで一眠り。
9:30、朝の診察。主治医ではないが、手術には立ち会ったとのこと。大変な手術でした、言われた。この台詞、その後度々聞かされることになる。
15:00、叔母と母が相次いで、見舞いにきた。傷口の痛みは全く無し。麻酔が、まだ効いているのでしょうか。
15:30、叔母帰宅、入れ替わるように我が女房殿到着。昨晩の様子など聞かせてくれる。主治医からは、手術は概ね成功であったとの話があったらしい。
17:00頃、母と女房殿の二人が帰宅、18:00に夕食。
2008年11月30日
6:00、起床。検温をしてから、ジャージとTシャツに着替え。一日中パジャマで過ごすことはせず、必ず着替えることにしている。これは、入院中も通常の生活からかけ離れないようにするため。
6:30、髭剃り。身嗜みも気をつけるようにしました。以後、髭剃りは毎日欠かさず実行
7:00、抗生剤の点滴。一時間半程度。
7:50、朝食。
9:30、診察。傷口は良好とのこと。
10:00、看護婦さんに洗髪をしてもらう。合わせて、蒸しタオルで身体も拭いてくれた。
27日の夕方のシャワー以来なので、サッパリした。
12:00、昼食
13:00、母と兄が来る。二人とも、いきなり右目が腫れているという。慌てて鏡を見る。確かに、右目の周辺が充血、腫れてきている。ナースコールで看護婦さんに来てもらう。看護婦さんも目を見て驚いていた。直ぐに当直の医師に連絡。昨日は痛まなかった傷口が痛み出してもきた。痛みは我慢してはいけないと言われていたので、痛み止めを持ってきてもらう。
約10分後、当直医師がベッド脇まできて、右目を診察。耳鼻咽喉科の医師に目のことが判るはずもなく、様子をみることに。
傷の痛みもあり、痛み止めを服用し、ベッドに横になる。母と兄は、帰宅。
15:00頃、我が女房殿到着。右目を見て不思議そうな顔をしていた。手術の後遺症だろうといとも簡単に素人診断。子供の野球の試合の結果など、教えてくれる。次男は、毎日7時半頃の起床で、朝食も摂らずに登校しているとのこと。
洗濯物を持って、夕食前に帰宅。
病室に来る看護婦さん達は、右目の心配をしてくれるが、肝心の右耳については関心が無い様。まるで、眼科に入院した感じです。
18:00、夕食。
21:00、消灯。
02:00頃、傷口の痛みで目が醒める。夜中に申し訳ないが、看護婦さんに痛み止めを持ってきてもらう。服用後、再び睡眠。
2008年12月1日
6:00、起床。検温をしてから、ジャージとTシャツに着替え。
7:50、朝食。
9:30、診察。右耳の傷は、経過良好で特に問題なし。それよりも右目が心配。腫れが酷くなり、目を開けていられない。当直の医師が、翌日の眼科外来での診察を予約。
10:00、看護婦さんに洗髪してもらう。
12:00、昼食。
15時過ぎ、我が女房殿、洗濯したパジャマ、下着など持ってくる。子供たちの話など聞く。夕食前に帰宅。
17時、許可がでたのでシャワーを浴びる。
18時頃、夕食。
20時頃、主治医が病室にて診察。やはり、右目の異常を気にしている。鼻の手術をした場合に目に影響がでることがあるが、耳の手術では考えられないとのこと。
手術結果について、話を聞く。慶応大学医学部のO教授が執刀したそうです。
手術は、出血も多く予想より大変で難しい手術であった。予定した施術は全て行った、おそらく鼓膜の再生は問題なし。
炎症が予想以上に広がっていて、骨の組織の一部に蝕まれていたので、苦労した。そのため、聞こえに関しては、今後の経過で判断。もし、回復していなければ、再手術が必要だが、本人の希望も合わせて判断するとのこと(今回の手術は、自分の希望でばく、あくまで主治医が診察の結果、必要と判断)。
21:00 消灯。予め、痛み止めを貰い、服用しておく
2008年12月2日
6:00 起床。右目のはれは、引いてきた。しかし、皮下の出血が、そのまま。検温
7:50 朝食
9:30 朝の診断。当直の医師に加え、防衛医科大学校の耳鼻科咽喉科の教授も診察。傷口の回復は、良好とのこと。やはり、関心は右目の異常。盛んに首を捻っていた。兎にも角にも眼科の診断待ち。
10:00頃、看護婦さんに洗髪してもらう。
12:00 昼食
14:00 眼科外来より呼び出しがあり、診察を受けるために外来病棟に移動。眼科受け付けて、受診手続。
14:30 視力の検査、異常なし。40分後、眼科の医師の診察。眼球には異常は見られないとのこと。腫れと皮下出血の原因は不明だが、殴られた時の症状に似ている。
手術中に体勢に問題があり、右目が硬いもので圧迫されなかったか聞かれる。全身麻酔で意識がなく、判らないと返答。もし、それが原因なら手術直後、少なくとも11月29日土曜日から症状が現れるのでは、翌々日の午後からだったのか如何と聞き返す。
そうですね、不思議ですねという返事。視力と眼球に異常はないということで、診察終了、病棟に戻る。
15過ぎ、着替えを持って女房殿来る。眼科の診断結果を伝える。
夕食まで暇潰し。
18:00 夕食。
夕食後、臨時の診察。眼科診断結果が、原因不明だが視力と眼球に異常無しとのことで、一件落着。
2008年12月3日
6:00 起床して検温。
7:50 朝食。いつも通り淡々と時間が経過する。目の腫れは、完全に引き、皮下出血のみ。
12:00 昼食
13:00 シャワーを浴びる。
14:00 外出。朝、外出の申請をしておいた。運動不足なので、近くの埼玉県立航空発祥記念公園を2時間ほど散歩した。市立図書館にも寄り、本を借り出す。夢枕 獏さんの陰陽師シリーズを三冊借りた。
18:00 夕食。食後は、借りた本を読む
本日は、訪問者無し。
21:00 消灯
2008年12月4日
6:00 起床して検温。
7:50 朝食。昨日借りた本を読んで過ごす。
12:00 昼食。時間が、極めてスローペースで経過。既に三冊のうち、2冊を読了。
夕食前に主治医の診断。予定より4日早く、12月6日の退院が決まる。早速、実家と女房殿、会社に携帯電話のメールで連絡。
18:00 夕食。
18:30 長男が仕事用のノートPCを持ってくる。退院日変更の連絡の際に、頼んでおいたもの。12月8日からの出社と有給休暇取り消しの申請をメールで行うため。その間、長男は待合室にあるゴルゴ13の単行本を読み耽る。実は、本人はこれが主目的。
有給休暇は、12月10日まで申請していました。そのままにして家で療養するという選択もあるのですが、本年一月の転職で、有給休暇の残日数も心許なく、人事からは無理しないようにとのアドバイスもありましたが、取り消すこととしました。
21:00 消灯
2008年12月5日
6:00 起床して検温。
7:50 朝食。本日も図書館で借りた本を読んだり、テレビを見て過ごす。入院は、暇との戦いです。
今日は、同室の2名が手術日、しかも午前中から。8時頃から、ご本人とご家族、担当の看護婦さん達が準備開始。9時頃、相次いで手術室に向かう。頑張って下さいと声をかけた。しかし、全身麻酔とのことなので、当然手術中は意識が無く、頑張り様がないかも。
11:00 シャワーを浴びる。今回からは、右耳に水を入れない注意することを条件に洗髪も許可される。
12:00 昼食。退院が早まる前は、外出の許可を貰い、一時帰宅するつもりだったが、翌日退院なので、取りやめ。
14:00 手術が終わった、一人が病室に帰還。もう一人の方は、個室に移動。おそらく、雑菌等からに感染防止対策。
18:00 夕食
21:00 消灯
2008年12月6日
6:00 起床と検温
7:50 朝食。食後に退院準備開始。荷物を整理し、布団を畳み、普段着に着替え。
9:00 地下の売店で買い物。お見舞いの返礼用に、自衛隊饅頭詰め合わせを4個購入。単価は千円。その他に、防衛医科大学校Tシャツ、迷彩柄ハンカチ、同ハンドタオルを購入。
9:30 朝の診察。
10:00 病棟の事務職員に退院手続を確認。本日は土曜日なので費用の支払いは、翌週の12月11日以降になるとのこと。入院費用は、約25万円。生保からの入院給付金と健保の高額療養費、特別付加金で賄える筈です。ただし、高額療養費の算定では、入院中の食費は除外。私のように常食であった場合は致し方ないが、医師の指示で食事内容に制限がある場合は、如何なものか。このようなケースでは、食事も治療の一貫と思われるし、この点は少々疑問です。
生保会社に請求する入院給付金請求書添付が必要なので、診断書作成手続を外来棟の受付で行う。
10:20 我が女房殿、車で迎えに来院。荷物を持ち、ナースセンターに挨拶。残念ながら、土曜日なので、人影疎ら。2~3人の人にお礼を言う。手術室に付き添ってくれた看護婦さんと看護学校の生徒さんが居なかったのが心残りでありました。
10:50 自宅着。早速、荷物の片付け。
しかしながら、完治した訳でなく、翌週から定期的な通院が続く。移植した筋膜の生着と聴力の回復を診ていく必要があるからです。
2009年2月17日火曜日
2008年12月度CISA/CISM/CGEIT試験合格者説明会
2008年12月度CISA/CISM/CGEIT試験合格者説明会
CGEIT試験の合格者の方には、試験の様子など伺いたい事が山ほどあります。その貴重な、御経験を今後のCGEIT委員会活動に反映させたい希望があります。
懇親会は、合格者の皆さん相互交流の貴重な機会になります。懇親会だけでも出席の価値有りではないかと思います。
合格者の皆さん、説明会/懇親会でお会いしましょう。
2009年2月16日月曜日
御礼 アクセス数2万件突破
更新が滞りがちになること度々、にも関わらず当Blogにアクセス頂いた皆様に、御礼申し上げます。
次は、2万5千件目指して、継続していきます。引き続き、宜しくお願い申し上げます。
2009年2月9日月曜日
CISA/CISM/CGEIT試験結果
弊社の若手社員ABKN君も私のところに合格を知らせに来てくれました。が、試験に合格したからといって、直ちにCISA/CISM/CGEITに認定される訳ではありません、合格者の皆さんは、これから求められる職務上の経験を申請しなければなりません。また、申請書は当然に英文です。どのようの書くのかが良くわからないという方も居られるでしょう。東京支部では、年に2回合格者説明会を開催しています。申請書の書き方のガイドだけでなく、懇親会も開催されます。是非、出席されことを薦めます。
今回の合格者数は、また不明であう。しかし、900名以上の受験申し込みがありましたので、合格者の数も史上最高でしょう。合格者説明会の規模も最大になることは、まず間違いないことと思います。
私は、1997年に合格し1998年に認定を受けました。その時の合格者説明会は、東京支部のCISA担当理事の方が勤務する某電気メーカーの本社会議室、出席した合格者が7~8名でした。懇親会は、社員食堂でした。
次の合格者説明会、東京支部運営会議のメンバーとして参加しますが、どんな規模になるか興味津々です。
2009年1月28日水曜日
2008年度情報セキュリティ監査シンポジウム in Winter
’『 公正かつ公平な情報セキュリティ監査を目指して 』 ~保証型情報セキュリティ監査の促進に向けて~’と題して、保証型情報セキュリティ監査プロジェクトの報告が主体です。その他、政府の情報セキュリティ第2次基本計画、情報セキュリティ監査における監査手続ガイドラインについての発表も行われます。監査手続きガイドラインは、私も作成プロジェクトメンバーとして一部の執筆を担当していましたので、このセミナーには早速申し込みました。
2008年度情報セキュリティ監査シンポジウム in Winter
情報セキュリティ監査に興味がある方、現に実務として取り組まれている方などなど、参加してみては如何でしょうか。
2009年1月21日水曜日
情報セキュリティ格付け 第一号
おりしも、同日の日本経済新聞、日経産業新聞に株式会社富士通ソーシアルサイエンスラボラトリが情報セキュリティ格付け第一号を獲得したとの記事が掲載され、正に宜にかなったテーマでありました、とすると自画自賛となってしまいます。というのは、今回の月例会テーマは私の持ち込み企画で、昨年末に東京支部教育委員会に持ちかけたからです。
しかし、よく集まりました。テーマへの関心が高かったのだと信じたいです。来場者の皆さんが暇だっただけとは思いたくないですね。
参加申し込みで700名弱、実際の出席率も6割を超したのではないでしょうか。支部教育委員長の下道氏も感心していました。
情報セキュリティ格付け第一号
情報セキュリティ格付とは
ところで、何故に小職がこのテーマを推薦したかと言えば、この情報セキュリティ格付け制度に推進に関わっているからです。現在のところ、格付け制度は正規の格付け審査とインディケーション評価とで成り立っています。私の所属企業で、後者の評価基準作成を請け負い、今回の発表者である清水氏と共同で作業を行いました。その際に弊社の担当者として、小職が指名さたのです。
そのような訳で、何とかこの情報セキュリティ格付け制度を紹介したいと思い、ISACA東京月例会で紹介をしようと思い立った次第です。会員にCPEとしての申請が可能な、教育機会の提供という月例会の趣旨にも合致すること考えています。ISACA大阪支部の月例会にても、三好氏が講演予定です(私の紹介ではなく、別ルートで依頼があったそうです)。
今後も機会があれば、この情報セキュリティ格付け制度を紹介していきたいと思います。なんせ、社名でもあるので。
株式会社アイ・エス・レーティング
2009年1月12日月曜日
ISACA会員資格更新
期限が2009年1月末なので、会員のほとんどの方は更新手続き済みだと思います。
2008年のCPEは、46ポイントでした。毎年40ポイントを目標としているので、昨年も着実にポイントは積み上げることができました。
会費は、下記の構成になっています。
Membership Fees
2009 Basic Membership Dues $130
Tokyo Chapter Dues $80
Certification Fees
2009 CISA Maintenance Fee $40
2009 CISM Maintenance Fee $40
Total $290
Certification Feesは、資格フォルダーだけに課金されるので、Membership Feesのみの方も居られる筈です。又、Certification Feesもどちらか片方だけの方もいます。2010年からは、新たにCGEITの分の課金も始まるので、私は$120の支払いが必要になります。
現在に本日現在(200/1/12)の円とドルの交換レートが1ドル90円なので、$290は\26,100ということになります。昨年の同時期のレートが1ドル110円なので、\31,900でした。
2008年 290 × 110 = 31,900
2009年 290 × 90 = 26,100
31,900 - 26,100 = 4,100
一年間の為替レートの変化で、個人的には\4,100の経費節減になりました。この点は、万々歳なのです。
世界各国の各支部会員は、Membership Feesを一括して支払います。ISACA国際本部は、Basic Membership DuesとCertification Feesを除いたChapter Duesを各支部に送金します。もちろん米ドルで。となると、会員個人としては為替レートの恩恵を被るのですが、支部としては送金された米ドルを円に交換すると為替差損が発生します。
2008年 80 × 110 = 8,800
2009年 80 × 90 = 7,200
8,800 - 7,200 = 1,600
昨年に比べ、会員一人当たり\1,600の減収要因になります。会員数を2000人と想定すれば、\3,200,000減となってしまいます。個人としては嬉しくとも支部としては、痛し痒しです。会員サービスの質を維持しつつ、今まで以上に支部予算の適切効率的な執行を心掛けなくてはいけないですね。
2009年1月8日木曜日
出張
移動手段は、「新幹線」でした。理由は、主治医から飛行機への搭乗を禁止されているからです。
鼓膜として移植した筋膜が完全に生着するまで、気圧の変化を咲避けなければならないそうで。
新幹線、新大阪までですと良いのですが、博多駅までは流石に遠いです。来週も出張予定です。当然、新幹線を利用します。飛行機なら日帰りですが、一泊する予定です。金曜日に行くので、一泊後の土曜日に帰京します。博多の夜を満喫できるのが利点ですかね。
疲れました。 (^_^;)
2009年1月6日火曜日
CGEIT - 特例処置による申請が締め切られました
東京支部では、昨年8月末から三回、申請書記入ワークショップを開催しました。別途、大阪支部と名古屋支部でも一回ずつ開催をしました。
2009年1月6日現在、東京支部では52名の方がCGEITの認定を受けております。申請は閉め切られただけで、現時点で審査中の方も多数居られるので、最終的に何人になるか分かりませんが、当初の目標である50人の認定者実現は達成しました。国内三支部合計で70人を超せればと思います。
この後は、試験の日本語化などの検討など、更なる普及促進活動を企画していますというか、やらねばなりません。国内三支部会員の皆様もご協力をお願い致します。
2009年1月5日月曜日
謹賀新年
新年明けまして、おめでとうございます。
2009年の仕事始め、業界の皆様は初日からアクセス全開なのでしょうか。
さて、昨年は入院し5時間にも及ぶ手術を受けるという未曾有の経験を致しました。年賀状にも書いたのですが、健康には留意しながら一年を過ごそうと思います。
皆様の貴重なご意見など頂きながら、当Blogの更新を続けて参ります。昨年に引き続き、本年も宜しくお願い申し上げます。
2009年正月吉日