1905年3月1日、元帥大山巌陸軍大将率いる大日本帝國陸軍の満洲軍が、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキン陸軍大将率いる露西亜帝國満州軍に対して、乾坤一擲の決戦を挑みました。
それまで、日本満州軍は露軍にたいして戦術的な勝利を収めていましたが、豊富な予備兵力を持つ敵軍と後備兵まで動員し、兵力が枯渇しつつあった日本軍。
そこで、児玉源太郎大将を擁する満州軍総司令部は最後の決戦で、陸戦における勝敗を明らかにし国際社会に喧伝することを狙った、政略的な要素の兼ね備えた戦いでした。
陸軍は、3月1日から10日にかけての決戦に辛勝し、露西亜側に敗北を認めさせることに成功しました。しかし、損害も日本側が多く、完勝とは言い難いものであったことが、正しく国内に伝わらなかったことが、瑕瑾なったと考えています。
ただ、そうは言っても苦戦したなかでも、辛勝した英霊に感謝することが必要と思います。
3月10日、日本軍は奉天城に入城、乾坤一擲の決戦が勝利に終わりました。その後、3月10日を以て陸軍記念日とし、1945年まで栄誉を讃えました。
1945年、米陸軍航空軍はカーチス・ルメイ陸軍少将が東京の下町地域に残虐極まりない大空襲を実施しました。この大空襲により、民間人被害は警視庁調査で以下の如くでした。
死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
しかし、実際の被害はそれ以上で、死者だけでも10万を突破したと言われています。この東京大空襲は、時として広島と長崎に対して実施された原爆攻撃の陰に隠れているような気がします。
それは、左翼勢力の暗躍により、原爆攻撃が殊更に強調される一方、東京大空襲の非人間性、民間人に対する戦争犯罪の疑いなどが蔑ろにされる傾向にある気がします。
この東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ陸軍少将は、その後空軍大将に昇進、航空自衛隊の育成に協力した功績があるとして、勲一等旭日章を受勲しています。その事実に、疑問が拭えないのは、筆者だけでしょうか。
同大将に勲章を授与を決定したのは、当時の佐藤栄作政権です。日本国憲法は、栄典の授与に関しては、以下のように定めています。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと
先帝陛下は、ルメイ大将に勲章を親授しなかったと伝えられています。
東京大空襲の犠牲者のご冥福をお祈りします。
合掌
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