写真は、震災の日に近隣の企業の従業員や地元の住民の皆さんが避難した日本橋小学校です。
企業によっては、ヘルメットの用意が事前に行われていたのが印象的でした(現在は、勤務先もヘルメットが用意されています)。
この日は帰宅難民となり、東京地下鉄、西武線の運航が再開し、所沢の自宅に帰り着いたのは午前3時過ぎでした。コンビニエンスストアの食料も無く、帰宅して飲んだ麦酒で人心地ついたのを覚えています。
今日は、各地で慰霊祭や追悼の行事が行なわれいますし、BlogやSNSでも様々な意見が飛び交っています。
筆者は、災害の現場に入ったことがありません。ボランティアに応募しようと考えたことはあたのですが、2011年5月下旬に脳出血を発症してしまい、自らの命が先になってしましました。それが、今に至るまでの悔いになっています。
何か、今からでも役に立てることがあるのか。これから考えてみようと思います。
ところで、埼玉新聞でこのような記事を見かけました。
誕生日祝えない?3月11日の卒業祝い給食賛否 教諭「給食は教育」
吉川市の中学校の卒業お祝い給食が東日本大震災から5年の3月11日と重なることに、賛否両論の意見が上がっている。市教委は「震災を忘れていたわけではない。学校で黙とうをしようという意見もある」と説明。昨年も3月11日に卒業のお祝い献立で、生徒から最も人気のあったカレーライスなどが出されたが、現場から異論は出なかったという。次男の誕生日が3月11日なのです。3月11日生まれたのは、次男やその他の人々には責任はありません。
今年は学校現場から「震災のあった日にお祝いなんて非常識」との意見があり、市教委は「さまざまな先生がいて、ご意見もある。それらの意見を踏まえて、来年度以降は卒業祝いの給食の献立や日程、名称も含めて協議をしたい」としている。
子どもが3月11日に1歳の誕生日を迎えるという30代の女性は「生まれる日は選べない。誕生日を祝えないのか、と嫌な気持ちになる人もいる」と話した。
市内中学校の男性教諭は「給食も教育の一環。学校でやることと、誕生日などの個人でやることは違う。なぜ日程を変えられないのか。震災の日と卒業のお祝いの日と分けて物事を考えて良いのか」と問う。賛否両論の意見が出ていることには「おかしいと感じる人たちもいる。来年度以降は教育委員会も日程に配慮すると思う。それはそれで良かった」と話した。
我が家では、東日本大震災の被害を記憶にと留めつつ、次男の誕生日を祝います。
不謹慎と言われる意見がるかもしれませんが、それが我が家の3月11日です。
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