2013年8月1日木曜日

幻の護衛艦   ’ながと’

毎日新聞に興味深い記事が掲載されていました。

護衛艦:「長門」命名を見送り 旧海軍の象徴

戦艦(長門) Wikipedia

護衛艦:「長門」命名を見送り 旧海軍の象徴
毎日新聞 2013年07月27日 15時20分(最終更新 07月27日 17時45分)

命名・進水式を来月行う海上自衛隊史上最大の新型護衛艦に関し、旧海軍を象徴する戦艦「長門」の名を受け継がせる案が浮上していたことが分かった。護衛艦には旧海軍の艦艇名が付けられるケースが多いが「時代錯誤では」と懸念する声もある。長門は真珠湾攻撃で重要な役割を果たした連合艦隊旗艦として著名で国内外で波紋を呼ぶ可能性があることから防衛省内でも異論があり67年ぶりの「復活」は見送られた。
新型艦は艦首から艦尾まで平らな甲板を持つ「空母型」のヘリコプター搭載護衛艦。既存のヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」より全長は51メートル長い248メートル、幅は5メートル長い38メートルで、基準排水量は1.4倍の1万9500トン。全長は世界最大・最強と称された戦艦「大和」の263メートルに迫りヘリ9機を同時運用できる。他艦への給油や医療の設備もあり離島奪還作戦などの中枢と目されるほか災害救援の拠点も担う。

海自の艦艇名は月や雨雪などの天象・気象や山岳河川地名などから命名しているがイージス艦「こんごう」のように旧海軍の艦艇名に使われたものも多い。既存のヘリ搭載型護衛艦「ひゅうが」と「いせ」は律令制に基づく旧国名にちなんだ航空戦艦の名を継いでいる。今回も部隊のアンケート結果や語感などを踏まえて選んだ案を防衛相が許可する形で命名するが大臣に提出する前の段階で「長門」が有力な数候補の中に残ったという。

長門は山口県西部の旧国名。連合艦隊旗艦を最も長く務め1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦時は山本五十六(いそろく)司令長官が乗艦して真珠湾攻撃を指揮した。翌年、大和に旗艦を譲ったが、大和や姉妹艦「武蔵」の存在は極秘だったこともあり、国民にとって長門と陸奥が海軍のシンボル的存在だった。戦後も大和や武蔵は「永久欠番的な存在」として、艦艇名に使われてこなかった。

海自は命名の選考過程を明らかにしていないが、関係者によると、艦の規模などを踏まえ、海自内には最近まで長門を推す声も強かった。ただ、「長門」は、国内外から右傾化を警戒されている安倍晋三首相の地元でもある。政府が同盟強化を図る米国に加え、中国などを無用に刺激するのは避けたいとの判断も働き、最終的に見送りとなった。別の旧国名になる見込み。

命名・進水式は8月6日に横浜市で行われる。防衛省海上幕僚監部広報室は、大潮で大安の日を選んだ結果たまたま広島の「原爆の日」に当たったとしている。

◇戦艦長門

1920(大正9)年11月に完成した、世界で初めて41センチ砲を備えた国産の高速戦艦(新造時の全長215メートル、常備排水量3万3800トン)。姉妹艦「陸奥」や米英の5隻と合わせて世界のビッグ7と呼ばれた。終戦まで沈没しなかった旧海軍唯一の戦艦だが、米国に接収され、1946(昭和21)年7月、2度の原爆実験の標的に使われて太平洋のビキニ環礁に沈んだ。



太平洋戦争中に活躍した、帝国海軍の戦艦は12隻でした。その12隻の戦艦は、米海軍との死闘により撃沈したり、謎の自沈を遂げたりとで、長門1隻だけが生き残りました。
戦後は、昭和20年に第二艦隊司令長官伊藤整一中将が座乗した戦艦大和が悲劇的な最後を遂げたこともあり、長門より有名なってしまいました。しかし、大和型戦艦二隻は、その存在事態が秘匿されたこともあり、当時の国民は知らない人も少なくなかったとも言われていますね。
また、なんと言っても大和型戦艦二隻は、その活動期間が3年程度と決して長くなく、歴史的にみると帝国海軍、聯合艦隊の主力を最も長く率いたのは長門型戦艦の二隻で、中でも長門と言えますね。その長門について、興味深い記事が毎日新聞に掲載されました。

なんと防衛省、海上自衛隊が2013年8月6日に進水式予定の19,000トン型最新鋭護衛艦に’ながと’と命名しようとしたというのです。結局、これは沙汰止みになったようですが、これは驚きました。

長門は、日本帝国海軍12隻に戦艦のうち、生き残った最後の1隻ですし、その最後がビキニ環礁での核実験に供された、日本の戦後史にとって象徴的な戦艦です。

ある意味、活動期間に短い大和型戦艦よりも、その象徴性は高いのかもしれません。特に、大和は宇宙戦艦ヤマトのブームが歴史的な実態を覆い隠している嫌いが無きにしもあらずです。

この毎日新聞の記事が考えたのですが、長門が1945年に米海軍に接収され、よく年7月に原爆実験で沈没から、この記事が掲載するまで68年の時間を要し、結局のところお蔵入りとなってしまった。やはり、戦艦長門という名称の持つ重みが感じられます。

ちなみに、現在の海上自衛隊は、帝国海軍の軍艦の名称を命名する場合、平仮名を使用しています。かつての12隻の戦艦群や空母群も護衛艦や潜水艦の名称として蘇っています。

帝国海軍
 金剛型戦艦
  金剛、比叡、榛名、霧島

 扶桑型戦艦
  扶桑、山城

 伊勢型戦艦
  伊勢、日向

 長門型戦艦
  長門、陸奥

 大和型戦艦
  大和、武蔵



海上自衛隊
 はるな型DDH
  はるな、ひえい

 こんごう型DDG
  こんごう、きりしま

 ひゅうが型(16/18DDH)
  ひゅうが、いせ



ヤマト型宇宙戦艦
  宇宙戦艦ヤマト



現在、防衛省/海上自衛隊は、基準排水量13,950トンのひゅうが型護衛艦を上回る19,500型護衛艦を建造中です。ひゅうが型も、19,500型護衛艦もオスプレイの運用が可能で、もし海上自衛隊が導入を決定すれば、自衛隊も抑止力の向上が期待できますが、その場合は一悶着ありますね。

私は、海上自衛隊の新型護衛艦の整備導入にも関心が高いのですが、もし護衛艦’ながと’、’むつ’、’やまと’、むさし’とかが登場したら、一体絶対どんな騒ぎになるのでしょうね。ちなみに、わたしは護衛艦’ながと’が流れてしまったことが残念至極です。

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