2013年8月28日水曜日

2chからの個人情報大量流出

一昨日から、2chビューアーからの顧客情報漏えい事件に関して、様々な情報やニュースがインターネット上を駆け巡っています。情報セキュリティ会社に所属する社員として、無関心では居られないのは当然です。

今回の騒動で特徴的なことは、顧客情報の漏えいに留まらず、2ch利用者にとって不都合な事実も暴露されていることです。

流出した個人情報を解析した株式会社サイバーエージェントによれば、約4万1000人分のメールアドレス、約2万9000人分のクレジットカード関連の情報が、別掲示板に掲載されているそうです。加えて、クレジットカード関連として、セキュリティコードもネット上に掲載されてしまっています。これは、経済的損害も招いかねない深刻な事態です。

クレジットカード発行各社は、早速カード利用者向けの発表を行っています。それは、不審なカードの利用は、24時間体制で監視しており、仮令被害が発生しても会員には保証するというもので、これは今までのクレジットカード情報漏えい事件でも同様な発表が行われています。

今回の特徴は、2chという巨大掲示板の情報が流出したことにあります。2chに書き込まれる情報は、虚実定かで無いものが玉石混交で入り混じっていました。その中には、他者に対する誹謗中傷に類するものがあっても不思議ではなく、実際に暴露されてしまいました。当人は、ネット上で謝罪を余儀なくされています。
恐らく、ネット上では本人特定が今後も行なわれていくことが想像に固くありません。これは、飲食店従業員の不適切な行為が、瞬く間に特定されている、現在進行形の別の事件からも明らかでしょうね。

本件は、今後も注視していくことが必要です。そして、皆さんもクレジットカード等の信用情報や、個人情報の管理には従来以上に慎重になっていく必要があります。
恐らく、誹謗中傷を書き込んだ人達は、自分の行為が暴露されるとは、夢にも思っていなかったと思います。ネット世界では、何が起こるか想像できないことが改めて実証された事件でした。

2013年8月27日火曜日

イプシロン  打上失敗す  残念!

MVロケットの後継として宇宙航空研究開発機構が打上を予定したした、「イプシロン」が、なんと打上に失敗してしました。

新型ロケット「イプシロン」打ち上げ中止 姿勢異常が原因、19秒前に検知
産経新聞
2013.8.27 14:48 [宇宙]

新型ロケット「イプシロン」初号機が27日、鹿児島県肝付(きもつき)町の宇宙航空研究開発機構(JAXA)内之浦宇宙空間観測所で発射態勢に入ったが、午後1時45分の予定時刻を過ぎても打ち上がらず、同日の打ち上げは中止された。

JAXAによると、打ち上げの19秒前に異常が検知され、コンピューターがカウントダウンを停止した。機体の姿勢異常が原因としている。機体は発射台に設置されたままの状態になっている。

この日は早朝から機体や地上設備の点検作業を進め、異常がないことを確認して最終カウントダウンを始めていた。今後の予定は明らかになっていない。

イプシロンは3段式の小型ロケットで全長約24メートル。JAXAが約200億円で開発した。低コストと効率性が特徴で、H2Aの固体ロケットブースターやM5の技術を転用して開発費を抑える一方、IT(情報技術)の活用で打ち上げの管制業務を簡素化していた。



イプシロンの打上げは、平成14年にGXロケットの開発が中止になったため、我国にとっては重要な意味合いがありました。このロケットで、H2ロケットシリーズと後継モデルと合わせて日本の宇宙開発に要となるプロジェクトでしたね。

幸い、ロケットが爆発した訳でないので、確実に原因究明を行い、打上げ再開に臨んで貰いたいです。
関係者の皆さん、応援しています。

2013年8月22日木曜日

エンジニアの雑感(2)

下の記事を自分で読みなおして、思い出したことがありました。

エンジニアの雑感

世界で最初に実戦配備されたジェット機は、残念ながら戦争のために開発されたドイツのメッサーシュミット262ですね(以下Me262)。

このMe262は、それまでのレシプロエンジン(プロペラ)による推力から、ジェット推進式エンジンを実用化した、画期的な機体でした。現在から見ると、低速時の推進力が弱い、加速力が弱い、燃費が悪いなど問題がありながら、当時の連合軍のレシプロエンジンの戦闘機、爆撃機にとって脅威であったことは、言うまでもありません。

そのジェットエンジンについて、父親と話をしたことを思い出しました。父は、旧制東京都立航空工業専門学校の発動機工学科の学生だったので、当然レシプロエンジンの知識がり、当人が作図した設計図を見せてもらったことがあります。

その時に言われたのが、ジェットエンジンというものは、そういう理論はあるのは聞いた気がするが、敗戦後にMe262とか英米両国が開発していたジェット推進式の航空機を実際にあったことを知って、驚いたということでした。未来のものと考えていたよです。
しかし、日本海軍もドイツから資料を取り寄せて、兎にも角にも国産初のジェット推進式戦闘機「橘花」の初飛行までは辿り着いていた訳すね。
ただ、日本の当時の工業力では、そこまでが限界でドイツや英米両国のように実戦参加、もしくは実用化間近までは、到達していなかったのが現状でした。

そんな話を、二人でした覚えがあります。遥か昔のことで記憶が定かでないのですが、父の意見では、日本が英米両国を敵に回して戦争を行うには、残念ながら我が国の当時の基本的な技術力、工業力等が決定的に不足していたんだということですね。要は、してはいけない、出来ない戦争を始めてしまったと。

今、零式艦上戦闘五十二型が所沢航空発祥記念館に展示されています。零戦も当初は大いに活躍しましたが、太平洋戦争末期になると連合軍の新鋭戦闘機の性能に敵することができなくなり、戦争全般の戦況悪化もあって、統率の外道である体当たり攻撃に頼らざるをえなくなりました。これは、まさに当時の工業技術力の限界であった証の一つであったんでしょうね。

私は、体当たり攻撃は、統率の外道であったと思っています。しかし、特攻を含め戦死した幾多の英霊には、感謝の念を持っています。誤解されないようにお願いします。



実は、父は旧制東京都立航空工業専門学校を卒業していないのです。在学中に敗戦になり、同校は旧制東京都立理工専門学校に変わっています。それは、進駐軍の命令で日本の航空産業が解体されたからです。通常の技術者の候補者として卒業したそうです。

旧制東京都立航空工業専門学校は、その後は新制東京都立大学工学部、そして首都大学東京と変遷していきました。ただ、本人の意識としては、旧制東京航空高専時代こそ母校だったのだと想像しています。これは、旧制中学、旧制高等学校、旧制実業学校、師範学校、高等師範学校、高等女学校などを、旧制時代を経験した人達に共通しているようです。

以上雑感として

2013年8月21日水曜日

エンジニアの雑感

自分の亡くなった父は、旧制福岡県立筑紫丘中等学校を卒業後、旧制東京府立航空高等工業学校に入学、その後の都制の官制施行と専門学校令の発布で旧制東京都立航空工業専門学校なった同校の発動機工学科に入学しました。今、アニメ映画「風立ちぬ」で話題の零式艦上戦闘機の主任設計者堀越二郎氏は、東京帝国大学工学部航空学科卒業でしたが、航空工学を専門にしたということでは、共通の思いがあったのかもしれません。堀越氏は東京帝大工学部出の基礎研究者、父は旧制高等工業学校出身の技術者という違いがはありますが。

ちなみに、伯父は父と同じ旧制筑紫丘中等学校から旧制高等商船学校に進学、同時に海軍の軍籍に編入された海軍予備生徒でした。海軍予備生徒というのは、明治時代に西郷従道農商務卿が発案、英海軍予備員に範を垂れた予備役制度でした。卒業生は、平時には民間の船舶に勤務、戦時には予備士官として召集に応じる義務を負っていました。

今の若い方は、旧制中等学校とか、旧制高等商船学校とか旧制高等工業学校とか、海軍予備員とか言われても分かりませんね。私が小学生の時には、旧制中学校や師範学校を卒業した先生達が現役の教師でした。特に小学校56年生の担任だった先生は、元陸軍伍長で怖かったですよ。1mの長さの竹製の物差しで叩かれました。

その先生と父が戦前世代というこで気が合ってましてね。だから、先生に叩かれたと父に言っても、お前が悪いと言われました。それどころか、先生にこれからも遠慮なく引っ叩いて下さいと言ってましたね。当時は、そんな時代でした。

今の若いママさん達にそんなこと言ったら、偉い騒ぎでしょうな。我々の時代は、親父、お袋、お父さん、お母さんですが、今はママさん、パパさんなんでしょうね。ちなみに、我が家は私の意向でママ、パパは絶対に言わせませんでした。
蛇足ながら



父は、自分と同じ様に我々三兄弟を理工系の道に行かせたかったのは、明らかでした。しかし、兄は経営学部、自分は社会学専攻、弟は経済学部に進学、こんな親不孝な兄弟はいませんね。なにせ、誰一人も亡父の後を継ぎませんでしたからね。
そんな父とは、高次脳機能障害者になったという共通点だけはありますが、何の自慢にもないませんがね。

ちなみに、伯父は旧制高等商船学校に入学したにも関わらず、JALの航空機関士で定年を迎えましたが、その経緯は分かりません。その伯父も父の後に他界、今となっては、話を聞いておけばよかったと後悔してます。

自分は社会人となり、そしてコンピュータの世界に入った訳ですが、ソフトウェアでありますがエンジニアの道に入ったことは、亡父にとっては嬉しかったみたいですね。ときたま、自分が設計した卒業設計の発動機の設計図を見せながら、コンピュータの話を説明させられました。ハードウェアとソフトウェアの違いがありながらも、エンジニアとして共通な思いがあったのかと、今となっては思います。

自分の子供達が将来どうなるのか、考えることがあります。できれば、同じようにエンジニアの道を歩んでくれると良いのだがと思います。これは、某N島短期大学のH田K子先生のようなキャリアデザインという高尚な考えでなく、単なる自分の思いなんですがね。

では、乱文乱筆失礼します。
m(__)m

本文章は、Facebookに投稿したコメントに加筆修正したものです。

2013年8月18日日曜日

新橋演舞場で観劇しました

昨日(2013年8月17日)は、母親の希望で新橋演舞場に芝居を見に行きました。正直、自分は映画派なので舞台見物はあまり興味がなありませんでした。母親は、芝居や歌舞伎見物が好きで、通常は叔母と行くのですが、生憎その叔母の体調が悪く、この猛暑の中で80歳を越した母親を一人で観劇にいかせるのは宜しくないということで、高次脳機能障害者の私の出番になりました(笑)。

新橋演舞場での観劇、実は約20年ぶでした。それは約20年前、まだ横浜に住んでいる時で、嫁と二人て出かけました。演目は「黒蜥蜴」、主演は女優の松坂慶子さんでした。
正面右側、3階が指定された席でしたが、私の身長(175cm)では、膝が前の座席にあたって余りにも狭く、観劇どころでありませんでした。そこで、二幕目の時に二階席に密かに移動、楽しませて貰いました。新橋劇場様、誠に申し訳ありませんでした。

藤山直美主演 「さくら橋」

ところで、今回の演目の「さくら橋」。舞台観劇二回目の自分でも十分に楽しませて貰いました。何と言っても、座長の藤山直美さん、最高でしたね。矢張り、天才藤山寛美の娘と感嘆致しました。

その他に、歌舞伎に市川月乃助さん、ベテラン大女優の加賀まりこさん、脇を固める石倉三郎さん、河西健司さん、ベンガルさん、仁志川峰子さん(旧芸名西川峰子さん)の演技も良かったですね。ベテランの中での若手、安達祐実ちゃんも良かったですね。ただ、三幕目に60代の役柄を演じた時に、流石に若過ぎるかなと感じました。

帰る序に新歌舞伎座に立ち寄ってきました。地下と5,6階にギャラリーを見学しましたが、正直にいって地下は期待外れでしたね。6階は無料分と有料ギャラリーがあるのですが、高齢に母親とっては気温が高いと思い、早目に引き上げてきました。母親は、次回は有料ギャラリーの見学を楽しみにしています。

今回の観劇、約20年ぶりでしたが、本当に満足しまいたね。次回は、歌舞伎を見たいと思います。

 歌舞伎座2 歌舞伎座1 
歌舞伎座3 歌舞伎座6 歌舞伎座4 

2013年8月15日木曜日

終戦記念日と靖国神社

8月15日は、亡父の命日です。自宅は、実家から歩いて15分ほどなのですが、菩提寺のご住職がお経をあげに来られます(ちなみ実家の宗派、一遍上人が開祖の時宗です)。亡父が亡くなった日も猛暑でありましたが、今年も異常なほどの猛暑ですが、息を引き取った日を思い出します。

8月15日は、終戦記念日でもあります。千鳥が淵戦没者墓苑で追悼式は開催されます。今年はこの猛暑、天皇皇后両陛下が間違っても熱中症などに罹患されないよう、関係者には万全を期して貰わねば困ります。

命日と終戦記念日が重なってしまいますので、8月15日に靖国神社に参拝に行くことが出来なくなりました。その替りと言うわけでもないのですが、神棚に二礼二拍手一礼を捧げます。

父が健在の時に、8月15日に靖国神社に参拝に訪れたことがあります。恐らく、今日もそうでしょうが、左右両派が集まって、人迷惑な行為をしているのでしょうね。しかし、私が参拝した時、それほど大きな騒ぎは無かったと気がします。たしかに、左翼の独り善がり、自分は賢く反対派はお馬鹿という発想が明らかな演説が鼻につきましたが、概ね平穏に参拝できた記憶があります。

私は、日本人たるもの、人生に一回は靖国神社に参拝すべきだと考えています。國のために雄々しく散っていった英霊のためにも、一生に一回は靖国神社に参拝することは大事だはないでしょうか。

靖国神社参拝すべきというと、反対派、例えば元社民党当社H島M穂、法政大学元教授のH島Y子 サンデーモーニングで中国万歳の法政大学教授T中Y子あたりに言わせると右翼反動軍国主義者ということになるのでしょうが、何と言われようが結構です。

自分は、亡父の読経が重なり参拝できないのですが、皆さんは機会があれば、靖国神社に参拝されるように推奨致します。

2013年8月9日金曜日

海上自衛隊の最新最大の護衛艦 「いずも」 進水

本blogでも記事を投稿した、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いすも」が、2013年8月6日に進水しました。


幻の護衛艦   ’ながと’


海上自衛隊の最大の戦闘用艦艇である、基準排水量19,500トンのヘリコプター搭載護衛艦「いすも」が、2013年8月6日に進水しましたが、近隣二ヶ国では事実上の空母、海上帝国主義の復活とか、アジア諸国にとって軍事的が増大と報道されているようですね。はっきり言って大袈裟です。少なくとも近隣二ヶ国以外にとっては、脅威でも何でもありません。

我が空母「飛竜」、横須賀に配備されている米空母「ジョージ・ワシントン」と比較してみます(軍事技術的に違いがあり過ぎて、比較自体が意味もないのですが)。

搭載されている航空兵装は、哨戒ヘリコプターのSH60-JもしくはSH60-Kが7機、輸送・救難ヘリコプター2機の搭載が可能です。これは格納庫に収容する定数で、甲板に直接駐機させることで、最大14機の積載を可能にしているものと思われますね。

我が「飛竜」は作戦機が零式艦上戦闘機18機、99式艦上爆撃機と97式艦上攻撃機18機で計48機、ジョージ・ワシントンがF/A-18EとF/A-18Fを最大56機、EA-18Gを最大6機で合計62機を積載しているものと思われます。それに比べて、我が海上自衛隊の護衛艦「いずも」は、攻撃用航空機を積載せず、艦載している作戦機は哨戒ヘリコプターと、まさに専守防衛の鏡の艦船です。
(飛竜は、真珠湾攻撃に参加した第一航空艦隊の中では中型空母です。第二航空戦隊司令官の山口多聞海軍少将が座乗、加来止男海軍大佐が艦長でした)

元々、海上自衛隊は、矛は米軍に任せ、自らは盾の役割に徹し、巡航ミサイルなどは持たず、哨戒や救難機能を中心として建造されてきており、攻撃的性格は持ち合わせていません(陸空自衛隊も然り)。
今回進水した「いずも」も、防御的性格が明らかですね。近隣二ヶ国の懸念は杞憂というものです。

一部報道に、自衛隊によるF-35Bの導入も検討されているとありましたが、同機種の運用が可能か疑問ですし、それ以上に政治的なハードルが高すぎますね。

「いすも」の前級で全通甲板を初めて装備したDDH「いせ」に、米海兵隊のMV-22オスプレイが着艦訓練を行い、何かと物議を醸しましたね。しかし、MV-22オスプレイそのものは、攻撃的装備はありません。

「いずも」は旧国名で「出雲」、現在の県名で島根県です。そして、その島根県の領域に竹島があります。この点が起きに召さない方々いるようです。しかし、日本の海上自衛隊の防衛的性格(陸空自衛隊も)は明らかであり、国内の県名を護衛艦にしようと、政府と防衛省が当該国に特定を意図もっているとは思えませんがね。
また、日本海海戦で活躍した装甲巡洋艦「出雲」も持ちだして、日本の軍国主義云々と喧伝する向きがあるようです。自分から言わせればナンセンスです。

まあ、軍事的緊張や駆け引きは、仮令同盟国間でもあるように、一朝一夕に解消するものでもないでしょう。実務的関係を継続しながら、信頼醸成処置を講じていくしかないのかんと思いますね。



性能諸元
海上自衛隊 護衛艦「いずも」
排水量 基準: 19,500トン(計画)
満載: 27,000トン(計画)
全長 248.0m
全幅 38.0m
深さ 23.5m
吃水 7.5m

ヘリ搭載容量:
     14機
ヘリ搭載定数:
     哨戒ヘリコプター 7機
     輸送・救難ヘリコプター2機
ヘリ同時発着艦可能
     同時に5機

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帝国海軍 航空母艦「飛竜」
排水量  基準:17,300トン 
     公試:20,165トン
全長  227.35m(飛行甲板長 216.9m)
全幅  22.32m
吃水  7.74m
搭載機   零式艦上戦闘機 :18機
     九九式艦上爆撃機:18機
     九七式艦上攻撃機:18機

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米合衆国海軍 原子力推進航空母艦「ジョージ・ワシントン」
排水量  満載 104,178トン
全長  333 m
全幅  76.8 m
吃水  12.5 m
搭載機  1個戦闘攻撃飛行隊:F/A-18F
     3個戦闘攻撃飛行隊:F/A-18E
     1個電子攻撃飛行隊:EA-18G
     1個早期警戒飛行隊:E-2C 2K

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中国人民解放軍海軍 航空母艦「遼寧」
排水量  基準:53,000-55,000t
     満載:67,500t
全長  305.0m(飛行甲板)270m
全幅  73.0m
吃水  11.0m

(現時点では、実質的海上航空戦力は無いものと思われ)



2013年8月1日木曜日

幻の護衛艦   ’ながと’

毎日新聞に興味深い記事が掲載されていました。

護衛艦:「長門」命名を見送り 旧海軍の象徴

戦艦(長門) Wikipedia

護衛艦:「長門」命名を見送り 旧海軍の象徴
毎日新聞 2013年07月27日 15時20分(最終更新 07月27日 17時45分)

命名・進水式を来月行う海上自衛隊史上最大の新型護衛艦に関し、旧海軍を象徴する戦艦「長門」の名を受け継がせる案が浮上していたことが分かった。護衛艦には旧海軍の艦艇名が付けられるケースが多いが「時代錯誤では」と懸念する声もある。長門は真珠湾攻撃で重要な役割を果たした連合艦隊旗艦として著名で国内外で波紋を呼ぶ可能性があることから防衛省内でも異論があり67年ぶりの「復活」は見送られた。
新型艦は艦首から艦尾まで平らな甲板を持つ「空母型」のヘリコプター搭載護衛艦。既存のヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」より全長は51メートル長い248メートル、幅は5メートル長い38メートルで、基準排水量は1.4倍の1万9500トン。全長は世界最大・最強と称された戦艦「大和」の263メートルに迫りヘリ9機を同時運用できる。他艦への給油や医療の設備もあり離島奪還作戦などの中枢と目されるほか災害救援の拠点も担う。

海自の艦艇名は月や雨雪などの天象・気象や山岳河川地名などから命名しているがイージス艦「こんごう」のように旧海軍の艦艇名に使われたものも多い。既存のヘリ搭載型護衛艦「ひゅうが」と「いせ」は律令制に基づく旧国名にちなんだ航空戦艦の名を継いでいる。今回も部隊のアンケート結果や語感などを踏まえて選んだ案を防衛相が許可する形で命名するが大臣に提出する前の段階で「長門」が有力な数候補の中に残ったという。

長門は山口県西部の旧国名。連合艦隊旗艦を最も長く務め1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦時は山本五十六(いそろく)司令長官が乗艦して真珠湾攻撃を指揮した。翌年、大和に旗艦を譲ったが、大和や姉妹艦「武蔵」の存在は極秘だったこともあり、国民にとって長門と陸奥が海軍のシンボル的存在だった。戦後も大和や武蔵は「永久欠番的な存在」として、艦艇名に使われてこなかった。

海自は命名の選考過程を明らかにしていないが、関係者によると、艦の規模などを踏まえ、海自内には最近まで長門を推す声も強かった。ただ、「長門」は、国内外から右傾化を警戒されている安倍晋三首相の地元でもある。政府が同盟強化を図る米国に加え、中国などを無用に刺激するのは避けたいとの判断も働き、最終的に見送りとなった。別の旧国名になる見込み。

命名・進水式は8月6日に横浜市で行われる。防衛省海上幕僚監部広報室は、大潮で大安の日を選んだ結果たまたま広島の「原爆の日」に当たったとしている。

◇戦艦長門

1920(大正9)年11月に完成した、世界で初めて41センチ砲を備えた国産の高速戦艦(新造時の全長215メートル、常備排水量3万3800トン)。姉妹艦「陸奥」や米英の5隻と合わせて世界のビッグ7と呼ばれた。終戦まで沈没しなかった旧海軍唯一の戦艦だが、米国に接収され、1946(昭和21)年7月、2度の原爆実験の標的に使われて太平洋のビキニ環礁に沈んだ。



太平洋戦争中に活躍した、帝国海軍の戦艦は12隻でした。その12隻の戦艦は、米海軍との死闘により撃沈したり、謎の自沈を遂げたりとで、長門1隻だけが生き残りました。
戦後は、昭和20年に第二艦隊司令長官伊藤整一中将が座乗した戦艦大和が悲劇的な最後を遂げたこともあり、長門より有名なってしまいました。しかし、大和型戦艦二隻は、その存在事態が秘匿されたこともあり、当時の国民は知らない人も少なくなかったとも言われていますね。
また、なんと言っても大和型戦艦二隻は、その活動期間が3年程度と決して長くなく、歴史的にみると帝国海軍、聯合艦隊の主力を最も長く率いたのは長門型戦艦の二隻で、中でも長門と言えますね。その長門について、興味深い記事が毎日新聞に掲載されました。

なんと防衛省、海上自衛隊が2013年8月6日に進水式予定の19,000トン型最新鋭護衛艦に’ながと’と命名しようとしたというのです。結局、これは沙汰止みになったようですが、これは驚きました。

長門は、日本帝国海軍12隻に戦艦のうち、生き残った最後の1隻ですし、その最後がビキニ環礁での核実験に供された、日本の戦後史にとって象徴的な戦艦です。

ある意味、活動期間に短い大和型戦艦よりも、その象徴性は高いのかもしれません。特に、大和は宇宙戦艦ヤマトのブームが歴史的な実態を覆い隠している嫌いが無きにしもあらずです。

この毎日新聞の記事が考えたのですが、長門が1945年に米海軍に接収され、よく年7月に原爆実験で沈没から、この記事が掲載するまで68年の時間を要し、結局のところお蔵入りとなってしまった。やはり、戦艦長門という名称の持つ重みが感じられます。

ちなみに、現在の海上自衛隊は、帝国海軍の軍艦の名称を命名する場合、平仮名を使用しています。かつての12隻の戦艦群や空母群も護衛艦や潜水艦の名称として蘇っています。

帝国海軍
 金剛型戦艦
  金剛、比叡、榛名、霧島

 扶桑型戦艦
  扶桑、山城

 伊勢型戦艦
  伊勢、日向

 長門型戦艦
  長門、陸奥

 大和型戦艦
  大和、武蔵



海上自衛隊
 はるな型DDH
  はるな、ひえい

 こんごう型DDG
  こんごう、きりしま

 ひゅうが型(16/18DDH)
  ひゅうが、いせ



ヤマト型宇宙戦艦
  宇宙戦艦ヤマト



現在、防衛省/海上自衛隊は、基準排水量13,950トンのひゅうが型護衛艦を上回る19,500型護衛艦を建造中です。ひゅうが型も、19,500型護衛艦もオスプレイの運用が可能で、もし海上自衛隊が導入を決定すれば、自衛隊も抑止力の向上が期待できますが、その場合は一悶着ありますね。

私は、海上自衛隊の新型護衛艦の整備導入にも関心が高いのですが、もし護衛艦’ながと’、’むつ’、’やまと’、むさし’とかが登場したら、一体絶対どんな騒ぎになるのでしょうね。ちなみに、わたしは護衛艦’ながと’が流れてしまったことが残念至極です。