2012年11月28日水曜日

所沢航空発祥公園に、世界で唯一飛行可能な零戦が到来しました

久し振りの投稿です。で、今日のお題ですが、わが町の話題です。
わが所沢には、航空発祥記念公園にと呼ばれる施設があります。この公園は、大日本帝国陸軍が日本で最初に設置した軍用飛行場でした。戦後は、米軍に接収され米陸軍、空軍の有人施設として使用されていました。
現在は、施設の一部が返還され無人の米空軍基地となっています。市民からは、通称「通信基地」と呼ばれます。

私の母校は、返還された通信基地の跡地に建設され、埼玉県立所沢北高と言います。その他に、基地跡地に建設された施設として、防衛医科大学校、防衛医科大学校附属病院、私が入院生活を送り、今も通院している国立障害者リビリテーションセンターなどがあります。

陸軍所沢飛行場
所沢通信基地

その所沢航空発祥記念公園(航空公園)に、期間限定で零式艦上戦闘機五二型が展示されることにことになりました。

所沢航空発祥記念公園
「日本の航空技術の100年と今後」

この零戦五二型は、サイパンで米軍に捕獲された本物で、しかも発動機も栄二一型搭載です。産経新聞の報道よりますと、老朽化もあり今後が飛行の機会が無くなる可能性もあるとのことです。

私の亡父は、旧制東京都立航空専門学校発動機科卒業でした。父からは、零戦の話は良く聞かされて育ったのです。その関係もあり、今回の零戦の期間限定の展示には、もの凄く興味があります、。航空公園は、自転車で行ける範囲なので、何度も通ってみる積もりです。

零戦組立見学会

2012年8月19日日曜日

終戦記念日と命日と高次脳機能障害 再掲

 操作ミスで、一旦投稿した記事を削除してしまいました。キャッシュから復元しようと試みたのですが、残念ながら断念しました。ただ、思いを込めた記事だったので、改めて投稿する事にしました。

 2012年8月15日、終戦記念日でした。天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、また戦没者のご遺族がご出席する中、全国戦没者追悼式が開催されました。8月15日は終戦記念日ですが、私にとって、家族のとっても特別な日です。丁度20年前の1992年8月15日土曜日、父親が肝臓がんで他界しました。例年、8月15日は酷暑だという記憶があるのですが、この日もそうでした。

 毎年8月15日は、菩提寺のご住職が実家に来られてお経を挙げて頂くのが慣例です。その慣例が果たせなかったのが、2010年8月15日でご住職が体調を崩された年と2011年8月15日、私が入院していた年です。

 父親は肝臓がんを患い、それが病因となって65歳で他界しました。その父が他界する12年前の1980年、脳挫傷の大怪我を負いました。その日は、所用があって母親の実家(長野県)を訪ねた日の出来事、私が大学一年生の時でした。夜(金曜日であったと記憶しています)、叔父から電話があり父親が怪我をしたので、健康保険証を持って急ぎ来て欲しいとのこと。翌日早朝、信越本線を使って長野駅で待ち合わせた叔父を訪ねて行きました。その場で、脳挫傷であること、手術の必要があること聞かされました。長野駅の最寄りにあった長野日赤病院に駆けつけ、担当医の話を聞きました。

 担当医の話は、19歳の大学生にとっては衝撃的なものでした。脳内にピンポン玉大の血腫があり命に関わる状態であること、手術の成功の可能性は50%、成功しても言語と計算に障害が残る可能性あることの説明がありました。その上で、手術の同意書に署名して欲しいと言われました。母親と二人なのか、私一人だったのか記憶が確かでないのですが、同意書にサインをしました(私一人で署名した記憶があります)。

 結局手術は成功、しかし高次脳機能障害が残りました。計算は日常生活に支障がでることはありませんでした。ただ、失語症で悩まされることとなった訳です。

 私は、高血圧症を起因とする脳出血、左側頭葉の脳血腫となり、失語症が残りました。父は頭部外傷、自分は脳血管障害となり、父親と障害の程度は異なりますが、何の因果か同じ失語症に悩まれることとなった訳です。しかし、自分が父親と同じ失語症となり、初めて分かることが多々あります。

 失語症なので、言葉が素早く出ないことが少なくありません。特に緊張した場面や、初めて会う人などの場合、どうしても言葉が上手くでません。その事で、職場でも辛い、また悔しい思いをすることがあります。家族や知り合いに申し訳ないと思うこともあります。そして、思うのです。亡き父親も同じであったのだろうと。辛い時、悲しい時、情けない時、時々に思うことがあったのだろうと。

 よく親が亡くなってから初めて理解ることがあると言われますね。私は、それに加えて程度の問題はありますが、父親と同じ失語症になったことで、亡き父親の思いが理解できるようになりました。これは、母親にも兄弟にも家族にも判り難いことだと思います。そして、その事を非難する考えもありません。私も、自分自身が高次脳機能障害となり、そこで初めて解ったことですから。

 私の病気に関しては、家族にも兄弟にも親類にも友人にも職場の同僚、上司(一部を除く)にも感謝しています。また、迷惑をかけたことを申し訳なく思っています。父親も自分の怪我について、恨みがましいことを言っていた記憶はありませんでした。ただ、自分も同じ失語症になったことで、父親の葛藤が理解出来るようになったということです。そして、自分自身にも同じような葛藤があるということです。

 父親の他界から20年、私も症状は軽いとはいえ同じ境遇になり、日々考えることが多くなってきています。考えながらも、前向きな考えでないといけませんね。時として、否定的な思いになることが、正直あります。しかし、病気になってしまったことは事実として受け入れないといけません。否定的にならず、前向きにいこうと思っています。

m(_ _)m


2012年7月27日金曜日

システム管理者の日

今日は、システム管理者の日なんですね。世間一般的には、全く知られていませんが。
まあ、これしょうが無いのですがね。

システム管理者の日

システム管理者というのは、一体に地味な役職だと思います。自分の経験上ですが。

世間の皆さん、システム管理者の皆さんに、ほんの僅かの感謝を。

2012年7月4日水曜日

ヒッグス粒子 発見さる!!!

欧州合同原子核研究所が、とうとうヒッグス粒子が発見されたと発表しましたね。いや~ 大々発見です。
世界の理論物理学者が待ち焦がれ、実験物理学者が発見にしのぎを削っていた究極の素粒子です。

来月号のサイエンス関係の雑誌は、このヒッグス粒子発見に話題で持ち切りでしょうね。

2012年6月26日火曜日

同窓会

先々週の土曜日(2012/6/13)、中学校時代の同窓会でした。脳出血による失語症、軽いとはいえ出席できるか、しようか懸念するところでありました。出席するか多少迷ったのですが、友人の大丈夫だよとの後押しがあり、出席してきました。

222人の同級生がいるのですが、80人位出席したそうです。おじさん、おばさん達が昔に帰り懐かしい時を過ごした一日でした。失語症、やはり言葉が詰まる場面は時たまあり、これは致し方ないですね。あと、正直なところ必要以上に気を使ってくれのも、勘弁して欲しいという気もあります。

同窓会は、当初は西武ドームに併設された「獅子」と言うレストランで開催される予定でした。しかし、とある事情で営業停止になり、「掬水亭」という店に変更になりました。

ところで、自分達が卒業した中学校には有名な先輩がいます。我々は、武蔵野丘陵緑豊かな土地で育ちました。最近ではトトロの森として、あの映画の舞台とされた所です。八国山と言われ、子供時代は良く遊んだものでした。

その先輩も同様で、我々と同じ土地で育ち、遊んだことと思います。その先輩の名は、所ジョージ言います。

私の亡父の菩提寺の住職は、所ジョージ大先輩の一年後輩で、先輩はかなりやんちゃだったと言ってましたね。

私の自宅はから歩いて10分程度で、東村山市です。その東村山市と所沢市の境に八国山があり、トトロの森があります。

トトロの森

八国山は、その稜線が埼玉県と東京都の都県境になっており、所沢と東村山両市の立て札や看板が稜線を挟んで立ち並んでいる面白いところです。

そして、その東村山市にとある中学校がります。その中学校は、八国山があり、トトロの森の近くにあります。そして、所ジョージ大先輩と同じように、その中学校にも大有名人がいます。その有名人の名は志村けんさんです。つまり、所ジョージ先輩と志村けんさんは、直ぐ近くの同郷と言って間柄なんですね。

次の同窓会は五年後位でしょうね。その時は楽しみですね。

2012年6月24日日曜日

MRI検査でした

昨日(2012/6/23)、定期的に診察を受けている所沢中央病院に行ってきました。
二ヶ月に一回、主治医の診察を受けているのですが、土曜日に診察を受けられるので助かります。

昨日は、MRI(核磁気共鳴画法)による検査でした。昨年の9月にもMRIの検査を受けており、今回は回復の状況を判断するためのものでした。

核磁気共鳴画法

念のために昨年(2011年)の脳出血発症の経過をおさらいします

5月21日(土) 所用のため実家宅訪問(11時頃)。飲酒。
5月22日(日) 5時頃、意識の障害。所沢中央病院Vに入院
5月30日(月) 血腫除去手術
7月1日(月)  国立障害者リハビリテーションセンターに転院
7月15日(金) 外泊。視野障害発生。所沢中央病院に緊急搬送、再入院
       MRI撮影
8月8日(月)  国立障害者リハビリテーションセンターに再入院



7月15日のMRI撮影で、脳浮腫(脳のむくみ)が指摘されました。主治医の話だと、脳出血に伴い脳浮腫が発症するのは、約束事というか当然行うべき治療みたいです。普通は、血腫を除去した後、抗脳浮腫療法を施すようです。

脳浮腫(Wikipedia)

Yahoo百科事典(脳浮腫)

脳浮腫もある程度回復したという事でリハビリのため、国立障害者リハビリテーションセンターに転院したのですが、所沢中央病院に再入院した後のMRI撮影では、脳浮腫が拡大していました。その治療に三週間を要ました。

昨日のMRI撮影は、脳浮腫の様子を診断するのが目的でした。主治医の話では、残念ながら治癒はしてませんが、かなり回復しているとのこと。一安心でした。
来週の水曜日、所沢中央病院の紹介状と、MRI画像のCD-ROMを持って、国立障害者リハビリテーションセンター診療内科での診察です。どういう判断がでるか、ちょっと緊張すね。

(私は、二つの医療機関で、二人の医師を主治医としています)

2012年6月21日木曜日

情報セキュリティコントロール協会年次総会

昨日(平成24年6月20日)は、情報セキュリティコントロール協会の年次総会でした。
私は、公認情報システム監査人(CISA)試験に合格して以来、総会に欠席したことはありませんでした。
しかし、昨年はとうとう脳出血のため欠席の已むなきにいたり、無念ながら連続出席記録が10数年振りに
途絶えてしまいました。昨日は、その総会に2年振りに参加してきました。
��昨年は、総会開催日は入院してましたからね)

私は、病のためにISACA東京に支部の活動が滞ったかというと、そのような事は全くありませんした。
まあ、当然で私の如き者のために、支部の活動に支障がある筈もないのですが。

二年ぶりに出席しましたが、役員の皆さんの半分が入れ替わりお初の方が多かったいうのが感想です。
新陳代謝があることは、組織の健全な発展のためにはめでたい事ですね。

基調講演では、ControlからManagementという潮流だというお話でした。しかし、AuditからControlへ
転換するのではなかったのかな、とふと思いました。そのためにEDPAAからISACAに組織名を変更した訳ですから。
もしかしたら、ISACAから別の組織名に変わるのかとふと思いました。

昨年に総会は脳出席で出席できなかったことを、数人に方に話してきました。みなさん吃驚されてました。
後遺症(失語症)のことも話しましたが、そうは見えないと言われますね。これは、致し方ないのですが、
当の本人からしてみれば、喋ることはそんなに簡単ではないのです。

まあ、兎にも角にも久振りに支部の皆さんの話ができて、一歩前進できた思いです。