2012年4月30日月曜日

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2009年2月22日に投稿した「入院体験記 - 鼓室形成術」を再掲することにしました。この記事は、アクセス解析でも毎日のように検索されています。そこで、改めて投稿することにしました。
 
いずれ、脳出血の経過についても体験記を投稿しようと考えていますが、思えば二回の入院で家族には負担をかけました。皆さんも、健康には十分に気をつけて下さいね。では、入院体験記再掲です。

昨年2回(2009年9月と11月~12月)の入院をしたことは既報のとおりですが、実は今月一杯の予定で、我が家の最高経営責任者(CEO)兼最高財務責任者(CFO)兼最高業務執行責任者(COO)である嫁殿が入院しています(知人からは、夫婦で入院が趣味なのかと突込みが入っています)。ので、働く主夫をしています。朝、洗濯をし朝食の用意をし、子供をたたき起こし、食事をしてから出勤してるので、大変です。

私は、自宅近く(職場からは距離がある)防衛医科大学校病院に入院しましたが、嫁殿は飯田橋の東京逓信病院、私に職場からは歩いていける距離(自宅からは距離がある)なので、仕事の帰りに病院に寄ってます。2月21日には、子供を連れて病院に行ってきました。

ところで、お題は「入院体験記 - 鼓室形成術」です。私の入院体験記を掲載します。その理由は、恩返しです。生死に関わる手術ではないとは言え、多少なりとも不安はあり、その不安を取り除いてくれたのが、インターネット見つけた入院体験記でした。その体験記を綴った記録を掲載、恩返しのしたいと考えておりました。

面識の全くない人達の体験記、同じ症状を持ち自分にとって非常に有益なのものでした。そこで、私の入院体験記を掲載、同じ症状を持つ方々に少しでもお役に立てばと考えた次第です。

入院中のメモを元にしているのですが、文書として書き上げるのに時間がかかったのと、自分の怠慢とで退院後2ヶ月を経過しての投稿なってしまいました。

鼓膜の代わりに移植した筋膜の生着と聴力の検査のために定期的な通院は、今も続いています。が、そろそろ入院体験記を掲載、恩返しの一助としたいと思います。



入院の記録

病名    慢性中耳炎
術式    鼓室形成術
入院先機関 防衛医科大学校病院耳鼻咽喉科
病棟/病室 防衛医科大学校病院西病棟十階1056号室
入院期間  2008年11月27日~2008年12月6日

2008年11月27日木曜日
入院日。8:20、車で自宅を出発、運転は我が家の最高権力者が自らハンドルを握る。次男も同乗。朝から股関節が痛いと言うので、午前中は外科に行くことになり、同乗させた。途中、実家に立ち寄り、母親をピックアップ。

8:50、防衛医科大学校病院着。我が家の最高権力者は予定を変更、入院手続と手術の説明に同席せず、次男を連れて別の病院へ。防衛医科大学校病院は、紹介状ないと受診できないので。

当日は、防衛医科大学校病院の設立記念日で休診日のため、救急病棟の受付で、入院手続。先客あり、休診日と知らずにきた受診希望者が、診察を要求していた。事務職員が休診日であることを説明、翌日以降の受診を説得していたが、聞き入れない。何時まで続くのか、気を揉んでいたら別の職員が対応してくれた。

西病棟十階に記録室(ナースセンター)に入院申込書を提出。病棟担当の女性事務員が対応。2度目の入院ですねと尋ねられ、はいと元気よく返事。病棟内の説明は省略、そのまま病室へ。6人部屋の1056号室(前回は1057号室、隣室だった)。ベッドは、窓際で希望通り。隣のベッドは、防衛大学校の4年生、学生さん。将来、国防の第一線に立つ人材。

10時頃より、主治医から手術の説明。これには家族の同席が必要らしい。
二つの同意書に署名した。手術の同意書と生物製剤の使用同意書。手術の同意書は兎も角、何故に生物製剤使用同意書が必要かと質問すると、薬害肝炎で有名になったフィブリノゲンを止血剤として使用するからですとのこと。献血した血液を媒介にしての感染症のリスクがゼロで無いからですとのこと。同席した母は、少しばかり心配していましたが、情報セキュリティのリスク管理で糧を得ている身としては、リスクがゼロでないとの説明に、然もありなんと思いました。そうなのです、手術を受ける以上はリスクをゼロにできない。ゼロのするためには手術を受けないこと。リスク管理も観点から最もな説明と思ってしまったのは職業病でしょうか。

10:30、地下2階の売店で、入院と手術に必要な物品を購入。浴衣(手術時に着用)、ボディソープ、シャンプー、昆布茶、歯磨きセット、ティッシュペーパー。この売店には、飲食品や日用品、書籍雑誌等の他、自衛隊饅頭、迷彩模様のタオル、防衛医科大学校オリジナルTシャツ、防止など自衛隊グッズも販売しており、退院時に購入しようと決めました。昼食前に母が帰宅。

病室に来る看護婦さん達、殆どが2度目の入院ですねと尋ねてくる。で、入院にあたっての説明は省略。

17:00、シャワー、洗顔、剃髭。
18:00、夕食。その後は、29日の朝食まで絶食。
20時頃、麻酔科の医師による問診と診察
21:00、消灯。

2008年11月28日
手術日。予定では、14時から2時間の予定。
6:00、起床。まず、検温と血圧測定、点滴開始。
7:00、水分補給。この後、水分の摂取も禁止。飲まず食わずで、14時まで暇潰し。

13時頃、母と兄嫁着、14時頃に女房殿着。前の手術が伸びているとのこと。看護婦さんが呼びに来るまで、ベッドで待機。

15:20、手術準備完了とのことで、病棟の看護婦さん、看護実習の防衛医科大学校病院付属高等看護学校の生徒さんと病棟2階の手術室へ向かう。

手術部は、ステンレス製の2メート四方の2枚の扉で仕切られている。扉が開く、手術部の控え室、ここで病棟の看護婦さんから手術部の看護婦さんに身柄が引き渡される。手術部の看護婦さん、雰囲気が違います。

手術部は、50メートル程度の横長の建物で、手術室が幾つか並んでいる。ドラマのように手術室前の廊下で、家族が手術の終わりを今か今かと待っている、という情景でない。複数の手術室で、定められた計画に従って、予定された手術が淡々と執行されている。とても不思議な光景でした。病棟の看護婦さんとは違い、滅菌された手術着をきた手術部の看護婦さんや医師が行きかっていて、同じ病院内とは思えず・・・・
控え室のモニターには、当日の手術予定と執行状況が映し出されており、ここで自分の手術室を確認。

手術台に横たわると、看護婦さんにあっという間に身包みをはがされ、身体にシーツとタオルケットをかけられる。また、麻酔科の医師により、心電図のセンサーや血圧計などが素早くセットされる。口には酸素マスクが装着され、大きく深呼吸をするように支持される。その内、麻酔薬を注入するために左腕に点滴用の注射針が刺される。
麻酔科の医師が、そろそろ眠くなりますと一言。ハイと返事をした後、直ぐ後の記憶が全くなし。

(以後は意識が無いので、以後は後から聞いた話)
20:30、病室に帰還。2時間の予定を大幅に超過して、5時間近くかかったのこと。手術の終わりを待っていた母と兄嫁、我が女房殿は一旦帰宅し、夕食を済ませてから再度病院に来たとのこと。内耳の炎症が予想以上に広範囲で、内耳内の骨の一部にも影響があり、大変な手術であったとのこと。出血も予想外の量だったそうです。病室での記憶は虚ろです。

2008年11月29日
6:00、看護婦さんが声をかけてくれました。全身麻酔の影響なのか、身体全体が何となくだるい。左腕には点滴、股間には導尿管。この導尿管、違和感があってどうしようもない。検温したら、37.5度だった。しかし、頭痛はなし

看護婦さんが、まず水を飲むように指示。これは、術後の経過確認の正式な手順のようで、水が飲めれば、経過確認の第一段階をクリアであるとのこと。前日の7時以後、水分補給をしていないので、待望の水です。空腹でもあるのだが、食事より水が飲みたかったですね。飢えより渇きです。

その後、看護婦さんの許可を貰い、パジャマに着替え。しかし、導尿管はそのまま。邪魔です。

洗顔したいと看護婦さんにお願い。それでは、洗面所まで歩きましょうと、介添え。歩いている途中で、眩暈がないか確認。これも、定められた術後確認の手順だそうです。幸い、眩暈はありませんでした。

洗面後、トイレで導尿管を外してもらう。こういう時は、ベテランの看護婦さんが希望だが、20代の若い看護婦さんで、とても恥ずかしかった。あとで、我が女房殿に話したら、看護婦さんは慣れっこだから、恥ずかしがっても意味ないと、軽くあしらわれました。

7:00、抗生剤の点滴投与開始。所要時間は、8時間程度のこと。これが、長かったです。行動が制限されますからね。

7:50、朝食。お粥だろうと予想していたが、常食だった。朝食後は、ベッドで一眠り。

9:30、朝の診察。主治医ではないが、手術には立ち会ったとのこと。大変な手術でした、言われた。この台詞、その後度々聞かされることになる。

15:00、叔母と母が相次いで、見舞いにきた。傷口の痛みは全く無し。麻酔が、まだ効いているのでしょうか。

15:30、叔母帰宅、入れ替わるように我が女房殿到着。昨晩の様子など聞かせてくれる。主治医からは、手術は概ね成功であったとの話があったらしい。

17:00頃、母と女房殿の二人が帰宅、18:00に夕食。

2008年11月30日
6:00、起床。検温をしてから、ジャージとTシャツに着替え。一日中パジャマで過ごすことはせず、必ず着替えることにしている。これは、入院中も通常の生活からかけ離れないようにするため。

6:30、髭剃り。身嗜みも気をつけるようにしました。以後、髭剃りは毎日欠かさず実行

7:00、抗生剤の点滴。一時間半程度。
7:50、朝食。

9:30、診察。傷口は良好とのこと。

10:00、看護婦さんに洗髪をしてもらう。合わせて、蒸しタオルで身体も拭いてくれた。
27日の夕方のシャワー以来なので、サッパリした。

12:00、昼食

13:00、母と兄が来る。二人とも、いきなり右目が腫れているという。慌てて鏡を見る。確かに、右目の周辺が充血、腫れてきている。ナースコールで看護婦さんに来てもらう。看護婦さんも目を見て驚いていた。直ぐに当直の医師に連絡。昨日は痛まなかった傷口が痛み出してもきた。痛みは我慢してはいけないと言われていたので、痛み止めを持ってきてもらう。

約10分後、当直医師がベッド脇まできて、右目を診察。耳鼻咽喉科の医師に目のことが判るはずもなく、様子をみることに。
傷の痛みもあり、痛み止めを服用し、ベッドに横になる。母と兄は、帰宅。

15:00頃、我が女房殿到着。右目を見て不思議そうな顔をしていた。手術の後遺症だろうといとも簡単に素人診断。子供の野球の試合の結果など、教えてくれる。次男は、毎日7時半頃の起床で、朝食も摂らずに登校しているとのこと。

洗濯物を持って、夕食前に帰宅。

病室に来る看護婦さん達は、右目の心配をしてくれるが、肝心の右耳については関心が無い様。まるで、眼科に入院した感じです。

18:00、夕食。

21:00、消灯。

02:00頃、傷口の痛みで目が醒める。夜中に申し訳ないが、看護婦さんに痛み止めを持ってきてもらう。服用後、再び睡眠。

2008年12月1日
6:00、起床。検温をしてから、ジャージとTシャツに着替え。

7:50、朝食。

9:30、診察。右耳の傷は、経過良好で特に問題なし。それよりも右目が心配。腫れが酷くなり、目を開けていられない。当直の医師が、翌日の眼科外来での診察を予約。

10:00、看護婦さんに洗髪してもらう。

12:00、昼食。

15時過ぎ、我が女房殿、洗濯したパジャマ、下着など持ってくる。子供たちの話など聞く。夕食前に帰宅。

17時、許可がでたのでシャワーを浴びる。

18時頃、夕食。

20時頃、主治医が病室にて診察。やはり、右目の異常を気にしている。鼻の手術をした場合に目に影響がでることがあるが、耳の手術では考えられないとのこと。

手術結果について、話を聞く。慶応大学医学部のO教授が執刀したそうです。
手術は、出血も多く予想より大変で難しい手術であった。予定した施術は全て行った、おそらく鼓膜の再生は問題なし。

炎症が予想以上に広がっていて、骨の組織の一部に蝕まれていたので、苦労した。そのため、聞こえに関しては、今後の経過で判断。もし、回復していなければ、再手術が必要だが、本人の希望も合わせて判断するとのこと(今回の手術は、自分の希望でばく、あくまで主治医が診察の結果、必要と判断)。

21:00 消灯。予め、痛み止めを貰い、服用しておく

2008年12月2日
6:00 起床。右目のはれは、引いてきた。しかし、皮下の出血が、そのまま。検温

7:50 朝食

9:30 朝の診断。当直の医師に加え、防衛医科大学校の耳鼻科咽喉科の教授も診察。傷口の回復は、良好とのこと。やはり、関心は右目の異常。盛んに首を捻っていた。兎にも角にも眼科の診断待ち。

10:00頃、看護婦さんに洗髪してもらう。

12:00 昼食

14:00 眼科外来より呼び出しがあり、診察を受けるために外来病棟に移動。眼科受け付けて、受診手続。
14:30 視力の検査、異常なし。40分後、眼科の医師の診察。眼球には異常は見られないとのこと。腫れと皮下出血の原因は不明だが、殴られた時の症状に似ている。
手術中に体勢に問題があり、右目が硬いもので圧迫されなかったか聞かれる。全身麻酔で意識がなく、判らないと返答。もし、それが原因なら手術直後、少なくとも11月29日土曜日から症状が現れるのでは、翌々日の午後からだったのか如何と聞き返す。
そうですね、不思議ですねという返事。視力と眼球に異常はないということで、診察終了、病棟に戻る。

15過ぎ、着替えを持って女房殿来る。眼科の診断結果を伝える。

夕食まで暇潰し。

18:00 夕食。

夕食後、臨時の診察。眼科診断結果が、原因不明だが視力と眼球に異常無しとのことで、一件落着。

2008年12月3日
6:00 起床して検温。
7:50 朝食。いつも通り淡々と時間が経過する。目の腫れは、完全に引き、皮下出血のみ。

12:00 昼食

13:00 シャワーを浴びる。

14:00 外出。朝、外出の申請をしておいた。運動不足なので、近くの埼玉県立航空発祥記念公園を2時間ほど散歩した。市立図書館にも寄り、本を借り出す。夢枕 獏さんの陰陽師シリーズを三冊借りた。

18:00 夕食。食後は、借りた本を読む

本日は、訪問者無し。

21:00 消灯

2008年12月4日
6:00 起床して検温。
7:50 朝食。昨日借りた本を読んで過ごす。
12:00 昼食。時間が、極めてスローペースで経過。既に三冊のうち、2冊を読了。

夕食前に主治医の診断。予定より4日早く、12月6日の退院が決まる。早速、実家と女房殿、会社に携帯電話のメールで連絡。

18:00 夕食。

18:30 長男が仕事用のノートPCを持ってくる。退院日変更の連絡の際に、頼んでおいたもの。12月8日からの出社と有給休暇取り消しの申請をメールで行うため。その間、長男は待合室にあるゴルゴ13の単行本を読み耽る。実は、本人はこれが主目的。
有給休暇は、12月10日まで申請していました。そのままにして家で療養するという選択もあるのですが、本年一月の転職で、有給休暇の残日数も心許なく、人事からは無理しないようにとのアドバイスもありましたが、取り消すこととしました。

21:00 消灯

2008年12月5日
6:00 起床して検温。 

7:50 朝食。本日も図書館で借りた本を読んだり、テレビを見て過ごす。入院は、暇との戦いです。

今日は、同室の2名が手術日、しかも午前中から。8時頃から、ご本人とご家族、担当の看護婦さん達が準備開始。9時頃、相次いで手術室に向かう。頑張って下さいと声をかけた。しかし、全身麻酔とのことなので、当然手術中は意識が無く、頑張り様がないかも。

11:00 シャワーを浴びる。今回からは、右耳に水を入れない注意することを条件に洗髪も許可される。

12:00 昼食。退院が早まる前は、外出の許可を貰い、一時帰宅するつもりだったが、翌日退院なので、取りやめ。

14:00 手術が終わった、一人が病室に帰還。もう一人の方は、個室に移動。おそらく、雑菌等からに感染防止対策。

18:00 夕食

21:00 消灯


2008年12月6日
6:00 起床と検温
7:50 朝食。食後に退院準備開始。荷物を整理し、布団を畳み、普段着に着替え。
9:00 地下の売店で買い物。お見舞いの返礼用に、自衛隊饅頭詰め合わせを4個購入。単価は千円。その他に、防衛医科大学校Tシャツ、迷彩柄ハンカチ、同ハンドタオルを購入。
9:30 朝の診察。

10:00 病棟の事務職員に退院手続を確認。本日は土曜日なので費用の支払いは、翌週の12月11日以降になるとのこと。入院費用は、約25万円。生保からの入院給付金と健保の高額療養費、特別付加金で賄える筈です。ただし、高額療養費の算定では、入院中の食費は除外。私のように常食であった場合は致し方ないが、医師の指示で食事内容に制限がある場合は、如何なものか。このようなケースでは、食事も治療の一貫と思われるし、この点は少々疑問です。

生保会社に請求する入院給付金請求書添付が必要なので、診断書作成手続を外来棟の受付で行う。

10:20 我が女房殿、車で迎えに来院。荷物を持ち、ナースセンターに挨拶。残念ながら、土曜日なので、人影疎ら。2~3人の人にお礼を言う。手術室に付き添ってくれた看護婦さんと看護学校の生徒さんが居なかったのが心残りでありました。

10:50 自宅着。早速、荷物の片付け。
しかしながら、完治した訳でなく、翌週から定期的な通院が続く。移植した筋膜の生着と聴力の回復を診ていく必要があるからです。



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    鼓室形成術で検索して貴方のブログを拝見いたしました
    私は今年1月にこの手術を致しました 結果 聞こえは大変良くなりました しかしながら 響いて聞こえるため 外の飛行機の音 バイクの音 又 部屋のテレビの音 洗濯機の音等等 うるさく感じております 又 水を飲み込むとき 食べ物を飲み込む時 耳に圧力がかかっており 耳の中で音が聞こえます  今までも何度か 医者に症状を伝えておりますが 回答を得られず 様子見です 次回の診察日は6月末です こんな状態が一生続くと思うと 手術し無ければと 思い悩みます。

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