2012年4月14日土曜日

他人事ではありません

2012年4月19日、京都で痛ましく悲惨な事件がありました(私は事故でなく、事件と認識しています)。
当Blogは、当該の犯人を追及する場では無いので、具体的な個人名を記載することはしませんが、本人に対しては複雑な思いがあります。

��注
当Blogは、個別的な犯人追求や弾劾等は目的としていませんので、匿名とする場合があります。勿論、周知の公的な目的に適う場合や、逆に該当者の名誉の為になる場合など、適宜判断して実名にすることあります。

私は、昨年五月に脳出血を発病、左側頭葉の出血で脳組織の一部を損傷、後遺症として高次脳機能障害が残りました。そのため、国立障害者リハビリテーションセンターに入院、主に失語症のリハビリを受けていましたが、運転免許に関しては、入院患者で何度も話し合ったあったものです。

高次脳機能障害患者は、結局のところ完治することはない病気を負った訳です。そして、その事を認識した上で、日々生活していくことが必要とされます。従って、主治医の判断を尊重しながら、日常生活と社会生活上の注意事項を守っていかなければなりません。逆に、守っていれば、日常生活も社会生活も送ることが可能でなのです。

入院中、運転免許の事は大きな課題として、入院患者皆で話し合いしたことがありました。何故かというと、罷り間違えば人命に掛かることなので、より慎重に考えなければと言う認識があったからです。

私は、日常生活と社会生活上も運転免許が必須でないということで、リハビリの計画の段階で、自動車の運転は暫く見合わせと言うことになりました。退院後、埼玉県運転免許センターに赴き、相談して来ました。担当者に事情を話し、脳出血の状況とその後の診断とリハビリの経過、服用している薬の説明等をした上で、運転免許適合性検査を受けました。基本的に問題は無いと判断されましたが、引き続き医師の判断を仰ぐこと、免許証番号を控えるので免許の書き換えの際に申告して欲しいと要請されたので、同意してきました。これは、高次脳機能障害患者の当然の義務的行為と考えたからです。

誤解して欲しくないのですが、医師の診断を仰ぎ必要な薬を服用していれば、運転することは可能なのです。ただ、あくまで可能であるだけで絶対的なものでないということも事実です。今回の事件では、医師は自動車の運転を禁止していたと発表しています。今のところ、事件との関係は明らかでありませんが、医師の判断が関連していたとすれば、医師の判断が守られていればと悔やまれます。

貨物のドライバーだったある患者さんは、プロであるだけにかなり悩んでいました。結局、幸いにことに紹介する人もあり、別の仕事の就けることになり、転職していきました。現在、一度取得した運転免許は違反などで取り消し処置がなければ、本人の申告に任されていますが、プロの運転者としての責任感なのだろうと思いました。

私は、主治医として脳神経外科と心療内科、二人の医師の診断を定期的に受けています。おそらく、頻度は兎も角一生のことになります。そして、改めて誤解をして欲しくないのですが、医師の診断を受け必要な薬を呑むことで、日常生活も社会生活も問題なく過ごせます。

高次脳機能障害者は、運転免許など注意を要する事もあるのも事実で、場合によっては運転を控えるなどが求められます。そうした事を認識した上で、社会生活を送っていくことは全く問題がないことも事実なのです。

まとまりの無い文書になりましたが、今回の悲惨な事件で思うことがあったので。

犠牲者の皆様の御冥福を折りのり申し上げます。
合掌

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