2011年5月~12月
5月21日(土) 所用のため実家宅訪問(11時頃)。飲酒。
不調を感じて、夕方に帰宅。夕食をとる。この時、識字できなくなる。
(文字が理解できなくなり、図形という認識)
酔っているためかと思い、早めに床に就く。
5月22日(日) 5時頃、相変わらず識字の異常を感じる。また、自分で何をしていいか分からなくなる。
何を思ったか、実家に自転車で行く。母、兄、義姉を起こし、不調のことを話す。
(実家は、徒歩で10分程度の距離。兄一家、母は同居、父は既に他界)
何故、実家に行ったかは、今でも不明。
母、兄、義姉が異常を察する。義姉が自転車で自宅に駆けつける。
自宅から妻が駆けつける。直ぐに市内の救急病院に急行する。
そのまま入院。
最初の二日は、このように始まりました。これが、入院とリハビリに至る七ヶ月間の始まりでした。入院したのは、所沢市内の救急病院です。ここで、5~6月一杯入院しました。
手術も受けたのですが、医療明細によると、定位的脳内血腫除去術と記載されています。6月1日のことですね。看護婦さんにバリカンで丸剃りにされ、部分麻酔での手術でした。この術式は、頭部を開く開頭手術と異なり、血腫に最小限の穴を空けて吸い出すと言う方式で、患者負担の小さい方式です。私も、こんな簡単なのかと思いました。
7月1日に国立障害者リハビリテーションセンター(英文正式名はNational Rehabilitation Center for Persons with Disabilities、以下NRC)に転院、リハビリを開始しました。NRCは、厚生労働省管轄下のリハビリの専門医療機関で、所沢市内にあるので、家族の負担も軽く有難いことでした。
��負担が軽いといっても、他の患者さん他に比べて相対的にということで、家族には申し訳ないことをしました)
7月15日(金)、外泊許可が出たので一時帰宅しました。しかし、一時的に文字が認識できない症状になり、家族の判断で救急車で緊急搬送、最初の救急病院に救急入院しました。リハビリは、一旦中止となりました。
三週間の再入院になったのですが、精神的に一番辛い時期でした。センターとの話し合いで、8月中旬に退院、通院リハビリを行う予定だったのが白紙に戻っただけでなく、結局9月末まで入院することになりました。
検査の結果、再手術の可能性あり、しかも開頭手術も必要ということにあり、正直凹んでました。
今から考えると申し訳ないのだけど、家族もあたりました。
8月8日(月)、NRCに再入院しました。リハビリ再会になり、三歩後退一歩前進という感じでしたね。
8月と9月はリハビリに専念、病院では臨床心理士から仕事のことは考えないようにと言われたいたこともあり、療養していました。
10月、ようやく退院、通院リハビリになりました。自宅が近いということが、とてもたすかりました。
12月半ば、勤務先関係者もNRCに来て貰い、主治医と復職に向けての協議をしました。一月から短縮勤務の通院を行う方向になりましたが、妻と二人で通勤のリハーサルを行うことになりました。
2012年1月、2月まではリハビリを行いながら、徐々に短縮勤務の通勤も開始しました。
3月、短縮勤務ながら週五日での通勤になりました。
4月、内勤に留めること、長時間の残業や出張は控えることなどを条件に、通常の勤務に戻りました。
駆け足で、経緯を辿ってきましたが、脳出血のダメージは一年で回復するものではなく、今後も注意が必要です。しかし、ようやく一年、ここまできました。
家族、同僚、友人、知人等々、ご心配頂いた皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。
後記
脳出血のダメージは、完全に直るものではありません。というより直りません。それをリハビリで、少しでも改善させるのが目的です。今後は、そのリハビリや、受けた治療について時たま、投稿しようと思ってます。
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