2014年3月19日水曜日

ロシアがクリミアを併合

ロシアがクリミアの併合を強行しました。その行為は、国際法許容できるものでなく、国際秩序に対する挑戦としか言えません。
これで、ロシアがG8から事実上追放されるでしょう。また、欧米の経済制裁が発動されました。日本も追随することは間違いありませんし、そうあるべきです。

考えてみれば、第二次世界大戦で領土を拡張したのは、ソ連邦だけでした。ロシア帝国時代から領土拡張主義を隠したことのない国家であり、無碍なるかなと思います。

欧米や日本と違い、民主的な価値観のない政体の国家でした。そして、同様な国家が、中共ですね。この非民主主義的な二カ国が、常任理事国として安保理に席を占めている訳ですから、国連中心を唱える人が居ますが、非現実的としか思えません。

その中共に擦り寄ってきたのが、朝鮮半島南部の某国です。中共も朝鮮半島南部も事大主義に国なので、体質は似通っているのも当然かもしれません。

沖縄県の太田元知事は、TVで中共はそんなに危険な国なのか疑問を呈していますた。自分から言わせれば、なんで危険じゃないか疑問を持たないかが疑問でした。沖縄県民、中共やロシアは危険です。しっかりしてくれよと、言いたい。

NHKの報道によりますと、政府は日本企業がロシアに進出していることを理由に、経済制裁を躊躇う意見があるようです。このような時期に、日和見はダメです。エネルギーの供給で欧州の方が犠牲は大きい。それでも制裁に踏み切りました。
日本外交の、そして首相の断固立つ決断が求められます。

取り急ぎ、朝のニュースを見て、大きな憤りをもって

2014年3月18日火曜日

重力波の発見 - これは、大発見です。

複数の報道機関が、重力波が発見されたと報道しています。これが事実とすると、ノーベル賞級の大発見です。
昨年(2013年)、ピーター・ヒッグスエジンバラ大学名誉教授にノーベル賞が授与されました。教授の功績は、ヒッグス機構の解明です。そして、ヒッグス機構の解明とは、質量の存在を確認することでした。
ヒッグス粒子の存在が証明されたことが教授のノーベル賞受賞理由でしたが、その質量に関しては重力波の存在を確認することも、物理学における重要な課題でした。

重力波は、アルバート・アインシュタイン博士が、一般相対性理論の導かれた重量理論でした。時空の歪みが波動として
空間を光速で伝播する現象です。しかし、重力波が極めて小さな振動であるため、観測が困難でした。

従来は、大規模質量星間の相互作用による間接的な観測が報告されてきました。直接的な観測も、欧米や日本でも試みられていました。しかし、その重量波が発見されたということは、今後の宇宙物理学にとって時代を画す成果と言えるでしょう。

重力波の存在が確認され、それが最終的に追試されれば、人類は宇宙の成り立ちについて重要な手がかりを掴むこととになったと言っても過言ではありません。
今回の成果は、ワクワクさせるものです。来月の科学系の雑誌は、この重力波発見の記事に埋め尽くされることでしょうね。

宇宙誕生時の重力波観測 米チーム、南極の望遠鏡

宇宙誕生時の重力波観測 米チーム、南極の望遠鏡
2014.3.18 01:07

 138億年前の宇宙の誕生直後に発生した「重力波」の証拠とされる現象を、世界で初めて観測したと米カリフォルニア工科大などのチームが17日、発表した。生まれたばかりの宇宙の姿を探る重要な手掛かりとなる。

 誕生時に非常に小さかった宇宙が急激に膨張したとする佐藤勝彦自然科学研究機構長らの「インフレーション理論」を、観測面から強く裏付ける成果だ。

 重力波は、物体が動いた時に波のように広がっていく時間や空間の揺れ。アインシュタインが存在を予言したが、直接観測されたことはない。

 チームは、宇宙が生まれた38万年後に放たれた光の名残である「宇宙背景放射」と呼ばれる電波を、南極に設置したBICEP2望遠鏡で詳しく観測し分析した。その結果、宇宙初期の急膨張によって出た重力波が、光の振動する方向に影響を与え、方向が特定のパターンを描いていることを初めて発見。間接的に重力波の存在を確認したとしている。



2014年3月11日火曜日

東日本大震災から丸3年

2011年3月11日、東日本大震災から丸3年が経過しました。1万数千の無辜の命が奪われた大災害に加えて、原子力発電所の事故もあり、復興の行く末が定かではありません。

あの日は、勤務先(中央区日本橋付近)でも、今まで感じたことのない大きな地震、揺れがあり、会社近くの小学校に避難しました。近隣の住民の皆さんだけでなく、我々のような勤め人も非難していました。

付近の幹線道路は大渋滞、鉄道も緊急停止しており、会社から帰宅支持がデましたが、多くの社員は徒歩での帰宅を選択していました。
私は、徒歩帰宅できる距離でないので、最初から経緯を見守ることとしました。インターネットで、津波の映像が送られて来る度に、その規模の大なることに衝撃を受けました。また、原子力発電所に何か発生したらしいとの情報もあり、何とも言えない不安感をに襲われたのを記憶しています。

自宅に携帯電話、会社の固定電話で連絡を試みたですが繋がりません。辛うじて、自宅に一回だけ繋がったでのですが、電話にでた長男が、途中で受話器を置いてしまい、その後は何度かけ直しても通話できません。この時点で、自宅への連絡も諦めました。

勤務先近くの食料品は全て売り切れ、飲料水も同様で、水道水が無事だったのが救いでした。これでも、災害の直撃を行けた皆さんに比べれば、なんの事なないと考えていたのですが、やはり家族に連絡が取れないのが、最も困ったことですね。

その内、東京メロとや西武線、東武線、東急線など私鉄各路線が徐々に運行再開、夜中3時頃になりましたが、帰宅できました。帰宅難民に近い状態であったと思います。

時分のような埼玉県から東京に通勤している者にとって、災害時の通勤経路の確保が物凄く重要だと認識しました。また、地震後に脳出血を患ったことあり、服用しなければならない薬もあり、鞄に2日分を入れてあります。家族の携帯電話の番号、氏名、既往症、服用薬を書いたメモ、薬務手帳も入れてあります。

この準備が無駄に終ることが良いのですが、東京直下型地震の可能性が報じられている現在、この程度の準備は、時分のような病気持ちにはかかせません。

東日本大地震では、未だ多くの方々が避難生活を余儀なくされています。原発事故が重なったこともあり、帰還の望みが事実上、絶たれた地域もあります。月並みですが、あの地震の被害を直接に受けなかった我々も、地震を風化させることをしないように、心していかないといけませんね。

2014年3月10日月曜日

東京大空襲

本日は、昭和20年3月10日の東京大空襲から69年です。
自分は、ヒロシマ・ナガサキが悲劇としてい語り継がれていますが、東京大空襲や名古屋の空襲なども、民間人を標的にしたということで、その惨劇を考えていくべきと思います。

東京大空襲