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2017年8月15日火曜日

八月一五日

8月15日で、亡父が無くなって丸25年になりました。とても暑い日で、蝉の鳴き声が響き渡っていたことを覚えています。それ以来、自分にとっての8月15日は暑い日と強く記憶されています。そして、この日は暑い日であって欲しいと願ってます。しかし、今年は季節は外れの秋雨前線、雨模様の天候のようです。元々雨嫌いのなので、亡父が亡くなった日を思い出せないのは、誠に不本意ですね。

(ここ数年、8月は天候不順ですね。異常気象で、農業の収穫にも影響があり、これも温暖化が原因なのでしょうかね。)

8月15日は、「大東亜戦争終結の詔書」が発せられた日でもあります。亡父は、旧制東京航空工業専門学校生徒として、この日を迎えました。旧制福岡県立筑紫中等学校を卒業後、航空機の技術者を目指して上京。東京大空襲の3月11日は、B-29の爆撃による紅蓮の炎、煙を目撃したようです。

8月15日は、校庭か勤労動員の工場に集まって終戦の詔書、所謂「玉音放送」を聞いたそうですが、ラジオの音声が聞き取り辛かったそうです。ただ、教員の雰囲気で敗戦だと察したと言っていました。

今年も、菩提寺の御住職に実家にお経を挙げに来て頂きます。亡父の冥福を祈り、戦陣に散った英霊の御霊に感謝します。

終戦記念日に思う

2016年8月15日月曜日

自分にとっての八月一五日

八月一五日は、重要な二つの日です。
一つは、わが父の命日であること。わが父は、平成四年八月一五日に病院で息を引き取りました。とても暑い日で、セミの鳴き声に悩まされた記憶が鮮明です。

もう一つは、昭和二十年の八月十五日で、が昭和天皇陛下御自らのお声を以って、「大東亜戦争終結ノ詔書」を発表された日です。過去の記録等によれば、やはり暑い日であったとされています。

自分にとって、八月一五日は猛暑の日。いつの日にからか、八月十五日は猛暑あって欲しいと考えるようになりました。それは、猛暑であった平成四年八月一五日を思いだすことが、亡き父親を考える縁になる気がするのかもしれません。

今年も、八月十五日には、実家に兄弟が集まります。自分も、この時期に夏季休暇を取得するのが、習慣です。実家に親兄弟、親戚集まって、亡き父親の供養。二十数年変わることのない、八月十五日です。

「大東亜戦争終結ノ詔書」の詔書を、昭和天皇陛下が御自らのお声で録音され、ラジオで発表されたのが、昭和二十年八月一五日。終戦記念日と呼ばれますが、法的には米合衆国艦隊の戦艦ミズーリの艦上で、大日本帝国代表と聯合国軍代表との間で締結された九月二日の休戦協定のことを指します。

しかし、この日から講和条約批准の日までが日本の降伏期間として良いと思います。自分は、戦場で倒れた英霊の御霊に感謝の念を捧げています。これも、毎年八月一五日に行う行事です。






平成24年(2012年)8月19日のBlog
終戦記念日と命日と高次脳機能障害 再掲

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終戦記念日と靖國神社

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8月15日に思うこと - 父親の命日と終戦記念日

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