2008年9月8日月曜日に入院、当初一週間の予定であったのが延び延びになり、結局16泊17日、9月の過半は病院住まいという事になりました。
月~金は病院から出勤、土曜日は一時帰宅、23日もお彼岸なので亡父の墓参で一時帰宅、結局のところ、終日病院にいたのが、14と15日の連休と21日の日曜日だけでありました。
病院から会社に行き、病院に戻る生活に何となく馴染み始め、着替えを持って来てくれた我が家の財務大臣に、「病院暮らしが馴染んできた、やばい」と思わずこぼしていたのですが、何とか退院になりました。
退院と言っても、残念ながら完治したのではありません。CTスキャンの撮像では、内耳が‘ゴミ’(主治医の表現)で塞がれているので、手術で取り除く必要があり、今回はその前処置としての入院です。いずれ、手術のために再入院することになります。
とは言っても、ほぼ20日ぶりに娑婆に戻ってきたのは、何とも言えない気分です。入院費を持って迎えに来てくれた嫁と一緒に、看護婦さんや同室の皆さんに挨拶をしていると、何故か名残惜しい気がしないでもなかったのですが、やはり病院のベッドより自宅の煎餅布団です。
今日は、ほぼ20日ぶりにゆっくり入浴し、晩酌をして寝ます、多分午後9時までに。何せ、9時消灯、6時起床の生活だったので、午後10時前には睡魔に襲われるようになりました。でも、一週間もしない内に、元の不健康な生活に戻るのでしょうね。
以上、簡単ですが退院の挨拶です。
八国山と焼団子と山田うどんと埼玉西武ライオンズ。 この4つは、自分にとって郷土の象徴です。子供時代の遊び場にしてトトロの舞台と呼ばれている八国山。焼団子と山田うどんは、所沢市民のソウルフード。地元に本境地をおく埼玉西武ライオンズ。 私は、所沢生まれの元情報システムエンジニア。郷土を愛するエンジニアのBlogです。
2008年9月24日水曜日
2008年9月16日火曜日
入院することになりました Ⅲ
入院生活、早くも八泊九日になりました。9時に消灯、6時起床。朝と夕方の点滴と検温、薄味で健康的な食事、そして何よりもこの間に一滴もアルコールを体内に入れていません。こんな健康的な生活、したことありません。
食事の前などには、手をエチルアルコールで消毒しますが、思わず飲んでしまいたいことがあります。
9月13日土曜日の午後は、外出許可を貰い自宅で過ごして、夕方に病院に戻りました。日曜日と月曜日は、病院で安静にしてなさいと看護婦さんに厳しく言い渡されたので、病室で大人しくしていました。が、正直にいうと暇で暇で、時間の経過の長いこと。現在の気持ちは、早く退院したい、それのみです。
ところで、入院先は防衛医科大学校病院です。防衛医科大学校は、文部科学省所管ではないので大学ではなく、大学校です。防衛省の付属機関、省庁学校で、その設立の根拠は防衛省設置法第16条にあります。
病院長は、防衛医科大学校の診療担当副校長が兼務しています。校長と副校長は文官のようです。
防衛医科大学校、何故か産婦人科もあります。医師や看護婦、看護師も必ずしも自衛官という訳でなく、文官身分の方が多いようです。自衛隊中央病院の医療関係職員が防衛医官であるのと対照的です。
地元では、普通の医科大学/大学医学部の付属病院と全く変わらない認識です。が、所沢市に設置が決まった時には、関東軍防疫給水部、所謂731部隊の再来、細菌兵器の研究が行われる、攻撃目標になる等、反対意見もあったようです。
私は、個室ではなく6人部屋にいるのですが、周りの皆さんは続々退院され、また新規入院されました。今は、私が最長入院患者になりました。耳鼻咽喉医科、しかも然程症状の重くない方々が多いので、入院期間も長くないようです。私のように、抗生剤の点滴投与をしながら、様子と見るというのは、逆に入院期間不定になって、始末に悪いのかもしれません。
今週も、病院から出勤です。
食事の前などには、手をエチルアルコールで消毒しますが、思わず飲んでしまいたいことがあります。
9月13日土曜日の午後は、外出許可を貰い自宅で過ごして、夕方に病院に戻りました。日曜日と月曜日は、病院で安静にしてなさいと看護婦さんに厳しく言い渡されたので、病室で大人しくしていました。が、正直にいうと暇で暇で、時間の経過の長いこと。現在の気持ちは、早く退院したい、それのみです。
ところで、入院先は防衛医科大学校病院です。防衛医科大学校は、文部科学省所管ではないので大学ではなく、大学校です。防衛省の付属機関、省庁学校で、その設立の根拠は防衛省設置法第16条にあります。
病院長は、防衛医科大学校の診療担当副校長が兼務しています。校長と副校長は文官のようです。
防衛医科大学校、何故か産婦人科もあります。医師や看護婦、看護師も必ずしも自衛官という訳でなく、文官身分の方が多いようです。自衛隊中央病院の医療関係職員が防衛医官であるのと対照的です。
地元では、普通の医科大学/大学医学部の付属病院と全く変わらない認識です。が、所沢市に設置が決まった時には、関東軍防疫給水部、所謂731部隊の再来、細菌兵器の研究が行われる、攻撃目標になる等、反対意見もあったようです。
私は、個室ではなく6人部屋にいるのですが、周りの皆さんは続々退院され、また新規入院されました。今は、私が最長入院患者になりました。耳鼻咽喉医科、しかも然程症状の重くない方々が多いので、入院期間も長くないようです。私のように、抗生剤の点滴投与をしながら、様子と見るというのは、逆に入院期間不定になって、始末に悪いのかもしれません。
今週も、病院から出勤です。
2008年9月13日土曜日
入院することになりました Ⅱ
本日は、外出許可を貰って自宅で過ごし、夕方病院に戻る予定です。とは言っても毎日、出勤して仕事はしていたのですが。
今日は、CGEIT グランドファザリング申請記入ワークショップの第2回目なのですが、ISACA東京支部CGEIT委員会の皆さんのご好意で、委員長でありながら欠席しました。誠に有りがたいことです。
朝6時に起床です。まず、検温して看護婦さんが記録を取りに来るのを待ちます。その後、私の場合は点滴です。40分ほどで終了、続いて朝食になります。かつて、病院の食事は、冷たい上に不味いというのが定番でしたが、現在はかなり改善されています。が、不味くは無いのですが、元来濃い目の味が好みなので、薄めの味付けが物足りないのは、正直なところです。
左手にネームバンドをしています。バーコード、氏名、生年月日、性別などが記載されています。点滴の際に必ず確認されます。これも、取り違えなどの医療事故の教訓から得られた、改善策なのでしょうね。
昨日、このネームバンドを腕時計で隠して、とあるクライアントとに行っていたのですが、いつの間にやらはみ出していて、「増田さん、もしかして脱走(病院から)してきたの?」と聞かれてしまいました。
とりあえず、笑って誤魔化しておきました。
脱走でもなく、一時帰宅でもなく、一刻も早く正式に帰宅したいものです。
今日は、CGEIT グランドファザリング申請記入ワークショップの第2回目なのですが、ISACA東京支部CGEIT委員会の皆さんのご好意で、委員長でありながら欠席しました。誠に有りがたいことです。
朝6時に起床です。まず、検温して看護婦さんが記録を取りに来るのを待ちます。その後、私の場合は点滴です。40分ほどで終了、続いて朝食になります。かつて、病院の食事は、冷たい上に不味いというのが定番でしたが、現在はかなり改善されています。が、不味くは無いのですが、元来濃い目の味が好みなので、薄めの味付けが物足りないのは、正直なところです。
左手にネームバンドをしています。バーコード、氏名、生年月日、性別などが記載されています。点滴の際に必ず確認されます。これも、取り違えなどの医療事故の教訓から得られた、改善策なのでしょうね。
昨日、このネームバンドを腕時計で隠して、とあるクライアントとに行っていたのですが、いつの間にやらはみ出していて、「増田さん、もしかして脱走(病院から)してきたの?」と聞かれてしまいました。
とりあえず、笑って誤魔化しておきました。
脱走でもなく、一時帰宅でもなく、一刻も早く正式に帰宅したいものです。
2008年9月9日火曜日
入院生活も早くも二日目になりました。病院での時間の経過が長く、本当にようやくという感覚です。昨晩の消灯は9時、日頃は風呂上りに発泡酒(時々ビール)を一杯やり、11時-12時に布団に入るのに、3時間も早い訳です。通常は6時に起きるので、睡眠時間は6-7時間です。案の定、3時頃に目覚めて、起床の6時まで2度目の睡眠ですが、うとうとしたままでした。
��時半頃からに点滴による抗生剤の投与に一時間、朝食と診察を終えて、外出申請をして9時頃病院を出発、所用で自宅により、勤務先には11時過ぎに到着しました。明日は、病院からクライアントに直行予定です。
出掛けに、看護婦さんから(私は個人的信念から女性の場合は看護士さんと絶対に呼びません)、入院中の仕事とは大変ですね、と言われました。会社の人使いが荒くてと、建前を言いつつ、本音は病室で一日を過ごすのは勘弁と思ってました。
ところで、入院先の防衛医科大学校病院(通称防衛医大ですが医科大学ではなく、防衛医科大学校が正式名称です)で、耳鼻咽喉科の治療を受けるのは2回目です。耳鼻咽喉科の他に外科、整形外科での治療を受けています(かなり前ですが)。何故、分かるかというと、治療を受けた記録が、防衛医大病院に残っているからです。
同病院の診察券が磁気カード化されています。また、診察記録やカルテも電子化されており、過去の診療記録も随時参照可能なのです。
今回、紹介状を貰い、同病院に最初に言って初診の申込みをした際に、過去に診療記録が参照されたのか、丁度10年前にも耳鼻咽喉科で診察を受けていますね、と言われました。これは、その通りで、勿論自分でも記憶はしていましたが、丁度10年とは認識していませんでした。
同病院は、初診以外は予約制で、次回の診断は必ず日時を予約します。予約日には、予約確認用の診察券読取装置に、磁気カード化されたされた診察券を差し込みます。予約が確認されたら、数秒してA4大の予約確認票が出力されます。この確認票に、診察各科の直近の受診日が印字されています。耳鼻咽喉科以外にも受診した記録があれば、当然印字されます。それで、外科、整形外科で受診したことがあることが確認できました。
受診年月日からすると、整形外科が高校生の時、外科が大学生の時でした。当然、年号は昭和であり、診察券も磁気カードの時代より前で(つまり電子化前)、私の記憶にもありませんでした。自宅で確認したところ、磁気カード化される前の、紙の診察券が奇跡的に残っていて、確かに受診したようです。
これで、分かったのですが、防衛医大は診療管理システムの電子化後だけでなく、その前の少なくとも受診の記録は電子化したのですね(カルテまでは不明です)。
この記録の中には、私の住所/電話番号(受診当時の)、血液型、身長、体重、病歴、性別、診察結果、各種検査結果等が含まれている筈です。しかも、その間に進学し、就職し(親の保険から社会保険に加入)、5回ほど転居し(住所が変わり)、同じくらい転職し(すなわち社会保険組合も替わっている)、配偶者が増え(今のところ一人、親の戸籍から抜けて新しく創設)、子供ができ、身の周りの情報も変わっているのに、同一人物と確認できた訳です。
この情報が漏れ出したら、大変なことですね。職業柄、防衛医科大学校病院の個人情報の管理体制がどうなっているか、とても気になっています。
以前から、医療機関のおける個人情報の管理ということは、関心のあることでした。と言うのは、ある時、某民間医療機関の事務長から酒の席なのですが、尋ねられたことあるのです。本人から個人情報の開示請求があった場合、無条件に開示しなければいけないのでしょうかと。
というのは、病気によっては医療上の判断で本人に告知しない、もしくはタイミングをみるとうことがあるのですね。癌などでも、現在は原則として告知とのことですが、精神的な打撃を考え、近親者と相談しながら判断することは、未だあるようなのです。告知も医療行為なんだ、という事務長の一言に、
考えてしまいました。
という経緯があり、医療機関における個人情報の管理は、病歴の管理であり、場合によっては医療行為に関係するのだ言うことで、個人的に関心があったのです。
今回は、耳鼻咽喉科であり、しかも同じ中耳炎の治療なので、十年前の記録、過去の診察記録を参考にするというこは当然かなと思います。が、だとすると医療機関は、患者の記録をどの程度、保管保存しておくべきなのでしょうか。私の場合、十年前の症例とは直接関係ないと判断されたようです。
薬害肝炎等では、診療記録が残っていないために、患者の発見、特定、保障などに壁がありました。では、永久に保存すべきでしょうか。それは、医療機関毎なのでしょうか。それとも、集約すべきなのでしょうか。その場合に想定されるリスク対策は、どうするかのか、等々。
医療機関における個人情報の管理、医療行為という側面も考えての議論が必要ですね。
自分も忘れていた、受診記録を見せられて、考えてみました。
��時半頃からに点滴による抗生剤の投与に一時間、朝食と診察を終えて、外出申請をして9時頃病院を出発、所用で自宅により、勤務先には11時過ぎに到着しました。明日は、病院からクライアントに直行予定です。
出掛けに、看護婦さんから(私は個人的信念から女性の場合は看護士さんと絶対に呼びません)、入院中の仕事とは大変ですね、と言われました。会社の人使いが荒くてと、建前を言いつつ、本音は病室で一日を過ごすのは勘弁と思ってました。
ところで、入院先の防衛医科大学校病院(通称防衛医大ですが医科大学ではなく、防衛医科大学校が正式名称です)で、耳鼻咽喉科の治療を受けるのは2回目です。耳鼻咽喉科の他に外科、整形外科での治療を受けています(かなり前ですが)。何故、分かるかというと、治療を受けた記録が、防衛医大病院に残っているからです。
同病院の診察券が磁気カード化されています。また、診察記録やカルテも電子化されており、過去の診療記録も随時参照可能なのです。
今回、紹介状を貰い、同病院に最初に言って初診の申込みをした際に、過去に診療記録が参照されたのか、丁度10年前にも耳鼻咽喉科で診察を受けていますね、と言われました。これは、その通りで、勿論自分でも記憶はしていましたが、丁度10年とは認識していませんでした。
同病院は、初診以外は予約制で、次回の診断は必ず日時を予約します。予約日には、予約確認用の診察券読取装置に、磁気カード化されたされた診察券を差し込みます。予約が確認されたら、数秒してA4大の予約確認票が出力されます。この確認票に、診察各科の直近の受診日が印字されています。耳鼻咽喉科以外にも受診した記録があれば、当然印字されます。それで、外科、整形外科で受診したことがあることが確認できました。
受診年月日からすると、整形外科が高校生の時、外科が大学生の時でした。当然、年号は昭和であり、診察券も磁気カードの時代より前で(つまり電子化前)、私の記憶にもありませんでした。自宅で確認したところ、磁気カード化される前の、紙の診察券が奇跡的に残っていて、確かに受診したようです。
これで、分かったのですが、防衛医大は診療管理システムの電子化後だけでなく、その前の少なくとも受診の記録は電子化したのですね(カルテまでは不明です)。
この記録の中には、私の住所/電話番号(受診当時の)、血液型、身長、体重、病歴、性別、診察結果、各種検査結果等が含まれている筈です。しかも、その間に進学し、就職し(親の保険から社会保険に加入)、5回ほど転居し(住所が変わり)、同じくらい転職し(すなわち社会保険組合も替わっている)、配偶者が増え(今のところ一人、親の戸籍から抜けて新しく創設)、子供ができ、身の周りの情報も変わっているのに、同一人物と確認できた訳です。
この情報が漏れ出したら、大変なことですね。職業柄、防衛医科大学校病院の個人情報の管理体制がどうなっているか、とても気になっています。
以前から、医療機関のおける個人情報の管理ということは、関心のあることでした。と言うのは、ある時、某民間医療機関の事務長から酒の席なのですが、尋ねられたことあるのです。本人から個人情報の開示請求があった場合、無条件に開示しなければいけないのでしょうかと。
というのは、病気によっては医療上の判断で本人に告知しない、もしくはタイミングをみるとうことがあるのですね。癌などでも、現在は原則として告知とのことですが、精神的な打撃を考え、近親者と相談しながら判断することは、未だあるようなのです。告知も医療行為なんだ、という事務長の一言に、
考えてしまいました。
という経緯があり、医療機関における個人情報の管理は、病歴の管理であり、場合によっては医療行為に関係するのだ言うことで、個人的に関心があったのです。
今回は、耳鼻咽喉科であり、しかも同じ中耳炎の治療なので、十年前の記録、過去の診察記録を参考にするというこは当然かなと思います。が、だとすると医療機関は、患者の記録をどの程度、保管保存しておくべきなのでしょうか。私の場合、十年前の症例とは直接関係ないと判断されたようです。
薬害肝炎等では、診療記録が残っていないために、患者の発見、特定、保障などに壁がありました。では、永久に保存すべきでしょうか。それは、医療機関毎なのでしょうか。それとも、集約すべきなのでしょうか。その場合に想定されるリスク対策は、どうするかのか、等々。
医療機関における個人情報の管理、医療行為という側面も考えての議論が必要ですね。
自分も忘れていた、受診記録を見せられて、考えてみました。
2008年9月7日日曜日
入院することになりました
実は、9月8日から一週間の予定で、入院することなりました。入院先は、所沢市にある防衛医科大学校病院、診察科は耳鼻咽喉科難聴外来です。先ほどまで、入院にさ際し病院に提出する書類への記入をしておりました。
病名は慢性中耳炎、ということになっています。実際は、真珠腫性中耳炎の可能性もあるようです(というより大)。
数ヶ月前から耳垂れが酷く、時々血が混じるよういなり、自宅近くの耳鼻咽喉科のクリニックで治療を受けていました。炎症の対応として抗生剤と点耳薬の処方されていましたが、経過が思わしくなく、設備の整った病院での検査を勧められ、防衛医大病院への紹介状を書いてもらいました。
防衛医大でも、引き続き抗生剤と点耳薬を処方され、経過を観察中でした。しかし、経口剤では効果が認められないということで、入院の上で一日二回、点滴による抗生剤の投与を受けることになりました。
とはいっても、外出を許可するから出勤して仕事をしてもいいということで、勤務先とも相談した結果、病院から通勤することになりました。
夜9時消灯、禁酒の生活が一週間続きます。主治医からなダイエットになるよと言われてます。
退院後は、病院における情報セキュリティについて、記事にしようかと思います(たぶん)。
病名は慢性中耳炎、ということになっています。実際は、真珠腫性中耳炎の可能性もあるようです(というより大)。
数ヶ月前から耳垂れが酷く、時々血が混じるよういなり、自宅近くの耳鼻咽喉科のクリニックで治療を受けていました。炎症の対応として抗生剤と点耳薬の処方されていましたが、経過が思わしくなく、設備の整った病院での検査を勧められ、防衛医大病院への紹介状を書いてもらいました。
防衛医大でも、引き続き抗生剤と点耳薬を処方され、経過を観察中でした。しかし、経口剤では効果が認められないということで、入院の上で一日二回、点滴による抗生剤の投与を受けることになりました。
とはいっても、外出を許可するから出勤して仕事をしてもいいということで、勤務先とも相談した結果、病院から通勤することになりました。
夜9時消灯、禁酒の生活が一週間続きます。主治医からなダイエットになるよと言われてます。
退院後は、病院における情報セキュリティについて、記事にしようかと思います(たぶん)。
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