「埼玉都民」という言葉があります。「千葉都民」という言葉もあるようです。いずれにしても、肯定的な表現ではありません。今回の文章は、「埼玉都民」の憂鬱です。
埼玉都民
自分は、生まれも育ちも埼玉県所沢市です。仕事の関係などで、都合7年半ほど県外(神奈川県、千葉県)に居住したことがありますが、自らの意識では生粋の埼玉県民、所沢市民と考えていいます。
しかし、憂鬱なのです。東京の皆さんからは、「ダ埼玉」と揶揄され、埼玉県民や所沢市民からは、東京都内で働いて、地元意識がない、貢献しないと散々扱き下ろされ、どちらを見ても良きことなし。
就職してから、ほぼ東京都内で就労、働いてきました。その間、地元で働いていた皆さんと異なり、お祭りや町内会活動、防犯活動、地域活性化、町興しなど殆ど参加してません。参加したい気持ちはあるのですが、仕事のことを考えると定年になるまで無理でしょう。
最近、地元の町興し、即ち所沢の活性化を頑張ろうなどという話を聞くと、陰ながら応援させていただきます、としか考えなくなりました。
地域貢献などの活動しようと考えても、大概は「埼玉都民」たる我々の勤務時間外なんですね。それでいて、地元に貢献しない、意識が低いと言われた暁には、「埼玉都民」は立つ瀬がありません。
FBなどのSNSで、各種活動への参加募集や結果の報告が掲載されることがありますが、「埼玉都民」の勤務中に行われても、頑張っているねと、斜に構えるのみ。
殊更に地域の一体化、所沢市全体の町興しと言われても、鼻白むばかりです。と言うか、所沢市の特定の地域、地区に関ることしか考えてないような気がしてなりません。
「埼玉都民」も、地元に貢献したい気持はあります。しかし、青年会議所や商工会、商店会、自治会、町内会などには、こうした活動に参加が難しい我々には、とても敷居が高くて。というか、疎外感で一杯です。
地元で働いている人、自営業などある程度時間が自由になる人などは宜しいのでしょうが、「埼玉都民」にも都合というものがありますからね。
SNSによる情報交換が盛んです。それを否定しませんが、SNSのコミュニティ主催者の自画自賛になっていませんかね。俺って、地元に貢献してるぜ、お前らも頑張れよとね。
所沢文化フェア、所沢祭り、所沢市民フェスティバルなど観光協会や市も参画した行事があります。また、市内の社寺などの例大祭や伝統的な行事もあります。それらは、SNS主催者だけが企画したものでなく、実行委員会や氏子さん、檀家の方などが、SNSなどが存在しない時代から継承してきたものです。SNS主催者の自画自賛には、食傷気味です。
我々もビジネス関係や業界団体、公官庁との人的繋がり、専門知識と経験などで貢献できることがあると思うのです。
自慢ではありませんが、先祖代々の地元民。地域に関した歴史、謂れ、伝承、風習、頭のなかに入っています。
所沢市は、川越藩全体が川越市となったのと異なり、幕府領と旗本領が散在し、そうした歴史を持つ村落、町方が合併して成立しました。従って、地元固有の風習、伝統、歴史があり、それが所沢市の特徴でもあります。
例えば、10月に行なわれる所沢祭り、盛大ですね。同じ日に山口の中氷川神社の例大祭が行なわれます。開催日が被っていますので、両方を見ることが難しいでしょうね。事実、自分も中氷川神社の例大祭は見学したことはありません。
その他にも、市内各地の社寺が起源となる行事があります。夏などは殆ど重なりますが、それで良いと思います。それが、所沢市の歴史、成り立ちなのですから。
SNSで飛び交う話題では、所沢市の各地域の歴史、伝統、風習などにも目を向けて良いと思いますがね。何故かというと、市の人口の減少がどうの、川越がこうだ、再開発がどうだ、活性化がどうだという話題に偏りすぎている気がします。
7月から10月末にかけて、様々な行事が開催されます。楽しもうと思うのですが、「埼玉都民」は、勤務時間の関係で参加が難しく、歯痒い思いで一杯なのです。
以上、埼玉都民の愚痴でした。
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