2010年11月14日日曜日

警視庁と海上保安庁 - 治安機関の情報漏えいに思うこと

実に久し振りの登校です。前回登校から4ヵ月半以上、音沙汰なしでしたね。

11月に入って、2件の情報漏洩事件が発生、大きな議論を呼んでいます。特に海上保安庁からのビデオ映像流出は、その行為者が告白をして、賛否両論、擁護と非難の意見が交錯していますね。

情報セキュリティを生業(なりわい)にしている企業に属している以上、情報漏洩という行為に全面的に賛同するわけにはいきません。個人的には、問題のビデオは公開されえて然るべきである、と考えています。しかし、その情報が明らかになって経緯は、情報セキュリティに携わる職業人の一人として、拍手を送る訳にはいかない、そのジレンマを感じています。

某新聞社の記者が、動画サイトに投稿するのでなく、報道機関(ようは自社にということです)に知らせて欲しかったと発言しています。その報道機関が適切であるかはともかく、一つの方法ではあると思いました。なぜなら、投稿サイトと異なり、徒な情報の拡散の可能性が低いからです。ネットに拡散すると、改竄されて、国益を損ずることに成りかねないからです。

報道によると、問題の映像は当初は海上保安庁内で共有する前提であったようです(もちろん組織外への公開は制限)。今後の展開としては、機密管理性が焦点となっていくようですね。

ビデオ映像が明らかになったことは良きことと思い、また海上保安官に同情を禁じえないのですが、職業上その行為を賞賛できないというのが、小生の思いです。


海上保安庁のビデオ映像流出に隠れてしまっていますが、警視庁公安部外事三課からの捜査情報漏洩、こちらは完全に守秘義務違反、悪質性、犯罪性も明確だと思います。その行為、結果ともに問題であり、事件が早急に明らかになることが必要ですね。何故なら、機密管理されていたことが明確な捜査情報を故意に流出させたことが明白だからです、上述のように、海上保安庁のビデオ映像は、機密管理性に議論の余地がありますが、警視庁の捜査情報は機密管理されていたことに疑問の余地はないからです。たまたま、知り得た情報と言えません。また、報道されている流出情報の内容も、非公開とされることに問題はないと思われます。

事件の性質、世論の関心がビデオ映像の流出へ傾いていることもあり、報道量が少ないのが気になります。ある意味、こちらの事件の方が、国益を損傷する可能性が大きいからです。ビデオ映像の流出が、その漏洩行為の是非は別として、映像が明らかになったことで、海上保安庁が第三国の漁船の船長を逮捕したことの正当性の証明、日本の主張の裏付けとなり、必ずしもマイナスの効果ばかりでないからです。しかし、警視庁の情報漏洩事犯は、そうではありません。国益を損傷すること甚だしいばかりだからです。一刻も早く、捜査で真相が明らかになって欲しいものです。


二つの大きな情報漏洩事件について、思うことでありました。

2010年6月30日水曜日

CGEIT

s-感謝状
頂いた感謝状です。

実に久し振りな投稿です。三ヶ月以上のご無沙汰でした。う~ん 少しばかり長すぎましたね、流石に。
ところで、昨日はISACA東京支部の2010年度総会でした。ここで、東京支部運営委員会のメンバーも交代になります。再任、留任、新任、退任の新人事がお披露目になるのですが、私は隠居することになりました。つまり、退任をすることに致しました。
1998年、東京支部に貢献することでなく、CPEの獲得を目的にして教育委員に名乗りを挙げて以来12年、長いような短いような月日でありました。最後は、CGEIT委員会委員長でしたが、一番の想い出は教育担当として携わった月例会です。最初の頃は、月例会も参加者は二十数人程度、申し込みが50人を超えたと感心していた規模から、申し込みが定員を超過して、慌てて参加申し込みを打ち切る規模に拡大、恒常的に100人を超える参加者に至るまでを経験したことが最大の思い出です。東京支部の右肩上がりの拡大を月例会の規模拡大を通して、体感していたのだとも思います。
想い出は、色々とあるのですが支部の活動に時間を割くことが難しくなってきましたので、隠居をさせていただくことに致しました。
支部活動にさして貢献した訳でもないのですが、12年やっていたので、感謝状を頂くことができました。後は若手の方に引き継ぎ、頂いた感謝状と一緒に隠居生活に入ります。支部の隅っこで活動の見守っていきます。
では!!!

2010年3月3日水曜日

CISA/CISM試験合格者説明会

本日は、CISA/CISM試験合格者説明会でした。私も、ISACA東京支部CGEIT委員会委員長として出席し、合格者の皆さんの質問に答えつつ、懇親会で交流を深めてまいりました。

(残念ながら、今回もCGEIT試験合格者はいなかったのですが。・・・・これも試験日本語化が遅れているのが原因と、CGEIT委員会委員長として反省しています)

今回は、説明会を行い懇親会に移るという前回までの手順ではなく、最初から懇親会を開催し、会場内に設けた説明コーナーで、個別に質問に答えるという方式をとりました。私もCISAのコーナーで、参加者の質問の回答させて頂きました。参加者の中には、青森県の金融機関に在籍されている方も居られ、CISA/CISMの広がりを実感しました。
CGEITも試験の日本語化を急ぎ、試験合格者説明会を開催てきるようにしなければいけませんね。

合格者のみなさん、やはりCPEに関心が高いようです。幸いというか、私は過去5年、CISAとCISMのCPE監査の対象になるという貴重な経験を有しています。その経験を踏まえ、回答させて頂きます。

また、合格者の中には、私の知人もおり、2年ぶりに再会することもできました。


ところで、支部運営会議メンバー内で衝撃的事実の発表がありました。 

以下続き

ISACA東京支部運営会議の紅一点、マドンナ、広報委員会委員長にしてN短期大学専任講師のH田K子先生のご成婚が決まったとのこと。それを聞いた瞬間、支部運営会議メンバー一同、唖然でした。
まだ、16進数20代で若いのに・・・・!
16進数22歳の乙女が、マドンナが嫁入りか・・・・!
ISACA東京支部はどうなってしまうのか・・・・!
支部設立以来の危機到来か・・・・!
��田先生の突然の発表に吃驚仰天、驚天動地、しばらくパニック状態が続いた後、その場でH田先生ご成婚祝賀会実行委員会の設立が協議されました。
ということでH田K子先生、おめでとうございます。祝賀会は、みんなで何とかしますです。 

2010年1月17日日曜日

兵庫県南部地震から15年

本日(2010年1月17日)は、気象庁命名の「兵庫県南部地震」、時の政府(自民、社会、さきがけ三党連立政権)の閣議了承された「阪神・淡路大震災」から丁度15年です。今日の報道番組は、小沢民主党幹事長の政治資金疑惑がトップニュースで、この大震災15周年は二番手の扱いでした。これも風化の流れで、致し方ないということなのでしょうか。

以下続きます。

15年前の朝、当時は横浜市でマンション住まいでした。朝のNHKニュース、関西方面で地震があり、死傷者がでた模様との報道をしていました。ああ、大変だな程度の認識で家を出て、当時勤務していた会社に出勤。すると、先に出勤していた同僚たちが、大阪営業所に連絡が取れないと大騒ぎでした。関西方面の出身者や転勤者達が、出勤後に被害の大きさを知り、家族や親戚の安否確認をするために電話連絡を試みたのですが、電話が不通であったのです。当時は、携帯電話の普及前、個人所有も珍しく、電話連絡は固定電話が主力でありました。
総務部門が大阪営業所在勤者の所在確認に追われ、各部門も独自に連絡を試みて始め、通常業務は二の次とい状態でしたね。何とか連絡がついた社員が、自転車やバイクで行方不明社員の自宅を確認に回るという手段も用いました。それでも、全員の安否が確認できたのは一週間後でした。ある社員の家が完全に倒壊、見回った社員が近所で聞きまわったのですが、所在不明。避難所から連絡がきて、ようやく無事が判り、関係者一同ようやく安心したということもありました、
当時は、既述ように携帯電話も現在のような普及状況でないので、避難所に着の身着のままで非難すると、通信手段が限られた状況では仕方のないことでしたね。
現在、企業や官庁でBCP/BCMの作成に注目が集まっているようです。朝のニュースでも埼玉県庁のBCPが取り上げられていました。ただ、当時の状況を思い出すと、BCPのようなもの存在しませんでしたが、置かれた状況の中で試行錯誤しながらも懸命に対応していたと思います。あの状況なかで、暴動や略奪が一件も発生しなかったことを驚きのニュースとして発信していた外国のメディアもありました。また、そうした被災者の有り様を、作家・評論家の堺屋太一氏は「賢民」と評されました。思い返してみて、被災者の皆さんや関係者は、悲しみ過酷な状況の中で、賢明に対処されたと思います。現在のBCP/BCMの作成の風潮が、こういった過去の貴重な経験を生かし、作成することが目的と化して即物的唯物的なものに堕すことがないようにしないといけませんね。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年



新年明けまして、おめでとうございます。本年も当Blogを宜しくお願い申し上げます。

2010年元旦

2010年になってしまいましたね。2000年代に突入して、もう10年たったということ。
あと10年でたてば、2000年代しかしらない世代が成人することなります。ますます、歳を感じます。
大晦日は、紅白歌合戦と石井対吉田戦を見てました。
石井対吉田、複雑な思いで観てました。オリンピックの金メダリスト同士の戦いと、主催者や報道関係は煽っていましたが、柔道の重量級は危機的状況、石井選手にはせめてロンドン五輪まで頑張って欲しかったと思います。
歌合戦が終わり、NHK行く年来る年を観てから近所のお寺に初詣に行きました。そのお寺は、参拝者が除夜の鐘を撞きます。鐘を撞いてから、振舞いの甘酒を飲み、近所の顔見知りと新年のご挨拶。帰宅後、朝まで生テレビを観て、4時頃に就寝しましたです。
明日が実家に行きます。で、3日は自宅でゆっくり過ごし、酒抜き。4日からの仕事に備えます。しかし、今回の年末年始休暇、前年度に比べ短いですね。