2009年7月20日月曜日

大いなるフロンティア - 宇宙

 今日は、海の日で祝日。横浜港では、大花火大会が開催されます。横浜には、6年ほど住んでいましたので、この花火大会、三回ほど見に行きました。
 その海の日の祝日、朝のニュースから昼過ぎのワイドショーまで、話題は数日後に迫った、世紀の天文ショー、皆既日食についての話題一色でした。天文現象が、ここまで話題になるのは、1994年のシューメーカー・レヴィ第9彗星の木星への衝突以来ではないでしょうか。
 私も天体望遠鏡を持つ身(といっても、ここ数年は仕舞ったままですが)、大いに興味があるところです。

 数日後に迫った一大天文ショー、興味深いのは確かなのですが、本日はアポロ11号の月面着陸から40周年であり、個人的にはこちらの関心があります。人類が、初めて地球以外の天体に降り立った、あの快挙から40年の月日が流れたことになりますね。
 いまから40年前、ニール・アルデン・アームストロング海軍大佐、マイケル・コリンズ空軍大佐、エドウィン・E・オルドリンJr.空軍大佐の三人が搭乗したアポロ11号が地球を飛び立ちました。そして、月周回軌道上から、アームストロング大佐とオルドリン大佐が月着陸船イーグル号で月面に降り立ってから40年の月日が流れました。これは、1961年のソ連のユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン空軍少佐による世界で初めての有人宇宙飛行から、僅か八年での偉業でありました。
 アームストロング海軍大佐の「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という地球への通信は、一躍歴史的名言となった感がありますね。
 米国は、このアポロ11号から1972年の17号まで、6機の月着陸船を月面に着陸させ(アポロ13号は、’最も偉大なる失敗’のため、月着陸せず)、12名の宇宙飛行士(殆どが軍人)が月面活動を行いました。人類は、数百名の宇宙飛行士を宇宙空間に送り込みましたが、月面に降り立ったのは、この12名だけです。17号から37年、地球の周回軌道上から離れた有人飛行は実現してません。
 以前、NASAの話題で宇宙開発とコンピュータの関係を取り上げました。宇宙開発とコンピュータ、切手も切れない関係にあり、IBMの貢献は大きいものでした(当時は、マイクロソフトもサンマイクロシステムもHPも存在しませんでした)。それから40年、コンピュータは家庭に中に入り込み、しかも40年前、政府の機関、軍、大企業のみで使用された大型コンピュータを遥かに凌ぐ、高性能です。
 人類は、火星への足がかりとして、また資源の獲得のため、再び月を目指しています。日本の月観測機、「かぐや」が画期的な成果挙げたのは、記憶に新しいところです。当然、この観測計画にコンピュータの果たした役割は小さくないのでしょう。再び月を目指し、火星をも視野にいれた宇宙開発計画において、コンピュータも新たな飛躍を遂げることでしょうね。アポロ計画が、そうであったように。

2009年7月13日月曜日

インターネットの明と暗

ここのところ、土日曜日や休日に自宅で時間を費やす潰す時は、PCに向かい、とあるキーワードでの検索に夢中になっていることが少なくありません。そのキーワードとは‘所沢 八国山 トトロ’です。私は、現在埼玉県所沢市に居住していまして、実は故郷でもあります。自分の居住地、故郷をネットで調べることに熱中している、ということです。

所沢 八国山’ですが、スタジオジブリ制作のアニメーション映画、「となりのトトロ」の舞台とされています。宮崎監督が、実際にそうだと明言されたことはないようですが、所沢市内の地名が出てくることもあり、巷ではそのように認知されています。そのためでしょうか、‘所沢 八国山 トトロ’で検索すると、かなりのヒット数になります。そこで、検索対象になったHPやblogを鑑賞するのが、ここのところの楽しみとなっています。営利を目的とせず、無名の個人や団体が、様々な情報発信をしていて、興味深い内容のものが少なくないのです。
 
 八国山というのは、東京都と埼玉県の都県境にある東西1.5キロメートル、標高90メートル弱の緑地です。その昔、山の頂から上野・下野・常盤・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の八カ国が展望できたから八国山となったという謂れがあります。でも、駿河、いまの静岡県まで見えたのでしょうかね。現在からはとても信じられません。まあ、明治維新の廃藩置県の際に、所沢一帯は一時期、伊豆韮山県に編入されたこともあるので、事実だったのかもしれません(その後、品川県、入間県、熊谷県を経て埼玉県)。この八国山の稜線が都県境になっており、北側が埼玉県所沢市、南側が東京都東村山市となっています。所沢市は所ジョージ、東村山市は志村ケンという、大スター(?) の出身地でもあります。
この八国山、自宅から歩いて10分、自転車で5分という距離にあるので、たまに散歩に行きます。それで、インターネットで検索を始めたのですが、記述の通り結構な数のHPやblogがあるのです。解説した個人や団体/組織、それぞれ写真や動画を掲載、個々の感想や地誌など、色々な書き込みがあって決して飽きさせません。皆さん、良く調べていますね。自分の故郷であるにもかかわらず、初めて知ることも少なくなく、感心すること頻りです。インターネットの普及以前であれば、考えられないことです。インターネットの功であり明の側面ですね。
話が変わりまして、ISACA東京支部設立25周年記念講演会、盛会のうちに無事に終了しました。この後援会の冒頭、司会の女性より講演の録音、ビデオ撮影など御遠慮願いたいとのアナウンスがあったはずです。後援会の準備委員会の討議で、講演中の録音撮影を禁止とし、講演冒頭でそのことをアナウンスすることに決まっていました。その理由は、講演者の権利保護のためです。最近は、月例会においても、講演資料を配布しないとか、配布は会場限り、電子データの提供はしないということ条件とする講師の方も珍しくありません。また、配布資料と投影する内容に敢えて差異をつけることもあります。東京支部では、著作権者たる講師の皆さんの判断なので、それを尊重しています。
では、何故このような事態になっているのか。これは、インターネットの罪であり、暗の側面です。他人の著作物を引用の範囲を超え、もしくは断りなく自分のHPやblogに掲載する、画像や音声を動画サイトに投稿するという事が珍しくなくなっています。自ずと著作権者の方が知的財産権の防衛を図る、これ自体は致し方ないと思います。
ISACA東京支部でも、著作権の保護のため、月例会の後援資料は更新本人の承認が得られた場合のみ、支部会員に限ってPDF形式のファイルでダウンロード可能にしています。
配布資料の事は、支部会員のからの批判を有るのですが、著作権の保護という観点からご理解を頂くしかないと考えています。
インターネットの登場と普及により、一個人が情報を手軽に且つ素早く発信できることになった利点は小さくありません。しかし、そのことによる権利の侵害の可能性があることも事実として理解しておくことも必要です。
そこで、気になることがあります。余暇に楽しませてもらっている善意の皆さんのHPやblog、開設者の皆さんが撮影した画像など、右クリックでダウンロード可能であることも珍しくありません。まあ、木々の写真など、犯罪に悪用されることなど無いと思いますが、余計なお節介ながら気になる次第です(職業病かな)。