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2016年11月22日火曜日

T-33入間川墜落事故から丸17年

今日で、T-33入間川墜落事故から丸17年になりますが、勇敢な自衛官二名が殉職したこの事故のことは、今も鮮明に覚えています。
1999年11月22日、T-33A練習機が航空自衛隊入間基地を離陸、訓練終了後の帰投途中に悲劇が起こりました。

T-33入間川墜落事故
1歳の次男が緊急入院した関係で、休暇を取得した日でした。幼稚園に長男を自動車で迎えに行った日に、停電が発生、所沢市内の信号が止まってしまい一時的に混乱状態になりました。しかし、日本人は凄い。現場の警察官や道路工事にあたっていた民間の交通警備員が、臨機応変に交通整理を行い、混乱が収束しました。
(民間人が交通整理に従事するのは違法行為ですが、埼玉県警は追求しなかったようです)
この事故で航空自衛隊員二名が殉職しました。不幸なことに、二人のパイロットが搭乗するT-33Aに故障が発生、彼らは住宅地への墜落を防ぐために搭乗機を必死に操縦し、何とか入間川河川敷上空までたどり付きましたが、その間に脱出可能高度を過ぎてしまい、落下傘降下を試みましたが地上に激突死してしましました。

当時のマスコミ報道では、パイロットの操縦ミスとして散々自衛隊非難を行っていましたが、事実が判明するにつれて、二人の操縦士の命を掛けた行為に世論は好意的な反応を示し始めました。
以下の文章は、狭山ヶ丘高校の小川義男校長が、勇敢な殉職自衛官のこと授業で取り上げたものです。

自衛官の殉 職

この文章を記述しつつ、二人の搭乗員の崇高な使命感と勇敢な行為に涙が流れるのを禁じえません。

T-33A練習機
入間航空祭で、よく見かけた練習機でした。

2016年9月19日月曜日

2016横田基地友好祭に行って参りました。

2016横田基地友好祭に行って参りました。入間航空祭は、子供の時から行ったことがあるのですが、友好祭は初めてでした。
入間航空祭との違いは、観客数との違い、開催日が二日間であること等々ありますが、主観的には開放性です。よくそこまで開放したなという感じがしました。それと、観客のマナー。入間航空祭は、禁止されている脚立や三脚を持ち込む写真偏愛家、レジャーシートで場所取りする輩など昔と比べて、マナーが落ちてますね。
横田友好祭に関しては、そのようなマナー違反は少なかったです(残念ながらゼロでは無かったですが)。
横田基地に関しては、その歴史やベトナム戦争との関わりなどを含めて後日、Blogに掲載しよと思います。

2016年3月29日火曜日

安全保障関連法施行と統帥権

2016年3月29日、安全保障関連法が施行されました。これは、我が国の安全保障における歴史において、歴史的な転回点です。



今回の安全保障関連法に関しては、特に左派系の報道関係者が反対論を声高に唱えています。また、毎日新聞、朝日新聞、東京/中日新聞、沖縄タイムス、琉球新報、北海道新聞、信濃毎日新聞などの左翼系報道機関も、盛んに危機感を煽っています。

まず、自分の考えと明らかにしておきますが、今回の安全保障関連法に関しては、消極的に賛成です。何故に消極的かと言うと、本来は憲法を改正して、第九条を改めることが本道と考えるからです。しかし、大陸の某国、半島の政治勢力、中東で跋扈する宗教過激派などの脅威から我が国を守るためには、憲法改正を待つ余裕はないと考えるからです。

今回の安全保障法制に関する論議で、自衛隊が暴走するという根拠不明な意見を見かけることがありました。それは、戦前に統帥部(統帥権)が暴走したという苦い経験からきたものと思われます。
しかし、現在の法制になかで、自衛隊が暴走する危険はかなり小さいと思います。何事も可能性をゼロにすることが出来ません。だからと言って、重箱の隅をつつくようなことをして、針小棒大な主張をする野党、政治勢力、団体などに嫌悪感を抱かざるを得ません。

大日本國憲法
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二條
天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム


第三十七條
凡テ法律ハ帝國議會ノ協贊ヲ經ルヲ要ス


第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス


第六十四條
國家ノ歲出歲入ハ每年豫算ヲ以テ帝國議會ノ協贊ヲ經ヘシ
豫算ノ款項ニ超過シ又ハ豫算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝國議會ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

大日本國憲法においては、その第十一条と第十二条に天皇の統帥大権と編制大権が規定されています。この規程が、昭和初期の軍の暴走を招いたとされています。

軍の編制に関しては、帝國憲法第三十七條で議会の協賛が必要なこと、第五十五條で国務大臣の輔弼と副署が必要なこと、第六十四條で國家予算は議会の協賛が必要なことが定められ、一定の歯止めが掛けられています。

国務大臣の副署が必要ということで、軍事関係予算の執行には内閣の承認が慣例とされていました。つまり、編制大権に関しては内閣の関与が担保されていたことになります。

しかし、統帥事項に関しては、徐々に軍部が容喙するようになります。その端緒になったのが、ワシントン軍縮条約とロンドン軍縮条約です。特にロンドン軍縮条約締結に関しては、海軍軍令部が強硬に反対し、議会野党(鳩山一郎、犬養毅など)なども同調しました。その論拠は、軍の兵力量の決定は統帥事項であり、軍部の承諾無しに条約を締結したのは憲法違反であるということです。所謂、統帥権干犯問題です。

しかし、兵力量の決定は、国家の歳出歳入に密接に関係し、内閣の責任範囲という解釈も成り立ちます。実際には、兵力量の決定は、内閣の輔弼事項で陸海軍大臣も関与しており、統帥権とは異なり、大日本帝国憲法はそのように運用されてきました。

兵力量の決定が内閣の輔弼事項であり、国家の歳入歳出が帝國議会の協賛を必要とする以上、統帥部が勝手に兵力の動員や戦闘行動を起こすことは出来ず、必ず予算処置が行なわれていました。

しかし、昭和の軍部は統帥権を拡大解釈、実質的に兵力量の決定も内閣の埒外に置かれていくことになります。

安保法制反対派は、ときとして統帥権の暴走を理由にして自衛隊暴走論を持ち出すことがあります。しかし、現在の法律で自衛隊が暴走する可能性、危険はあるのでしょうか。

日本国憲法は、以下のように規定しています。

日本国憲法
第六十五条  
行政権は、内閣に属する。

第六十六条
内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
二 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
三 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ
。 

第六十六条  
内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
二 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

行政権は内閣に帰属し、内閣総理大臣並び国務大臣は文民でなければならず、国会に対して連帯責任を負います。
戦前、陸海軍大臣は、軍部大臣現役武官制のもと、現役陸海軍中大将が任じられてきました。また、参謀総長軍令部総長も、現役陸海軍中大将が定員でした。
それに比べ、防衛大臣は国会に対して連帯して責任を負う、文民が任じられています。

自衛隊法が定める自衛隊に関する指揮監督権限は以下の通りです。

自衛隊法
第二章 指揮監督

(内閣総理大臣の指揮監督権)
第七条  内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。

(防衛大臣の指揮監督権)
第八条  防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の部隊及び機関(以下「部隊等」という。)に対する防衛大臣の指揮監督は、次の各号に掲げる隊務の区分に応じ、当該各号に定める者を通じて行うものとする。


日本国憲法、内閣法、自衛隊法で、陸海空自衛隊は文民による統制が厳密に定められていることが明らかだと思います。

実は、大正時代に軍部大臣を文民とする構想を持った元総理大臣がいました。第二十一代内閣総理大臣、第二十代、二十一代、二十二代、二十三代、二十四代の海軍大臣だった加藤友三郎大将です。
加藤大将は、日本海海戦では少将の聯合艦隊参謀長として東郷平八郎大将に仕え、その後中将大将に昇進、海軍大臣になり八年弱の任期を務めました。
加藤大正は、ワシントン海軍軍縮会議では、全権として交渉をまとめ上げ、その後の批准でも指導力を発揮しました。その加藤元首相は、軍部大臣は背広組であっても良いというのが持論であった言われています。
閑話休題

自衛隊法において、自衛隊に対する指揮監督権限は以下のように定められています。

第二章 指揮監督
(内閣総理大臣の指揮監督権)
第七条  内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。

(防衛大臣の指揮監督権)
第八条  防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の部隊及び機関(以下「部隊等」という。)に対する防衛大臣の指揮監督は、次の各号に掲げる隊務の区分に応じ、当該各号に定める者を通じて行うものとする。
 
一  統合幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊務 統合幕僚長
二  陸上幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊の隊務 陸上幕僚長
三  海上幕僚監部の所掌事務に係る海上自衛隊の隊務 海上幕僚長
四  航空幕僚監部の所掌事務に係る航空自衛隊の隊務 航空幕僚長

(幕僚長の職務)
第九条  統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)は、防衛大臣の指揮監督を受け、それぞれ前条各号に掲げる隊務及び統合幕僚監部、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊員の服務を監督する。
2  幕僚長は、それぞれ前条各号に掲げる隊務に関し最高の専門的助言者として防衛大臣を補佐する。
3  幕僚長は、それぞれ、前条各号に掲げる隊務に関し、部隊等に対する防衛大臣の命令を執行する。

(統合幕僚長とその他の幕僚長との関係)
第九条の二  統合幕僚長は、前条に規定する職務を行うに当たり、部隊等の運用の円滑化を図る観点から、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長に対し、それぞれ第八条第二号から第四号までに掲げる隊務に関し必要な措置をとらせることができる。

自衛隊は災害派遣を除き、総理大臣、防衛大臣の指示無しに行動できません。つまり、帝國陸海軍が、統帥権の名の下に独走した仕組みにはなっていません。安全保障関連法に反対する政党、政治勢力などが唱える反論は、全く杞憂と言っても過言ではないのです。

そどころか、公明党に譲歩したために限定的な集団的自衛権の行使に際して。国会における例外なき事前承認が必要となりました。これは、有事における自衛隊の即応体制の足枷になり兼ねないものです。

今回の安全保障関連法の施行に満足するのでなく、日本国憲法改正に踏み込むべきと信じます。

2016年3月10日木曜日

奉天会戦と東京大空襲

1905年3月1日、元帥大山巌陸軍大将率いる大日本帝國陸軍の満洲軍が、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキン陸軍大将率いる露西亜帝國満州軍に対して、乾坤一擲の決戦を挑みました。

それまで、日本満州軍は露軍にたいして戦術的な勝利を収めていましたが、豊富な予備兵力を持つ敵軍と後備兵まで動員し、兵力が枯渇しつつあった日本軍。
そこで、児玉源太郎大将を擁する満州軍総司令部は最後の決戦で、陸戦における勝敗を明らかにし国際社会に喧伝することを狙った、政略的な要素の兼ね備えた戦いでした。

陸軍は、3月1日から10日にかけての決戦に辛勝し、露西亜側に敗北を認めさせることに成功しました。しかし、損害も日本側が多く、完勝とは言い難いものであったことが、正しく国内に伝わらなかったことが、瑕瑾なったと考えています。

ただ、そうは言っても苦戦したなかでも、辛勝した英霊に感謝することが必要と思います。

3月10日、日本軍は奉天城に入城、乾坤一擲の決戦が勝利に終わりました。その後、3月10日を以て陸軍記念日とし、1945年まで栄誉を讃えました。


1945年、米陸軍航空軍はカーチス・ルメイ陸軍少将が東京の下町地域に残虐極まりない大空襲を実施しました。この大空襲により、民間人被害は警視庁調査で以下の如くでした。

死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸

しかし、実際の被害はそれ以上で、死者だけでも10万を突破したと言われています。この東京大空襲は、時として広島と長崎に対して実施された原爆攻撃の陰に隠れているような気がします。
それは、左翼勢力の暗躍により、原爆攻撃が殊更に強調される一方、東京大空襲の非人間性、民間人に対する戦争犯罪の疑いなどが蔑ろにされる傾向にある気がします。

この東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ陸軍少将は、その後空軍大将に昇進、航空自衛隊の育成に協力した功績があるとして、勲一等旭日章を受勲しています。その事実に、疑問が拭えないのは、筆者だけでしょうか。

同大将に勲章を授与を決定したのは、当時の佐藤栄作政権です。日本国憲法は、栄典の授与に関しては、以下のように定めています。

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと



先帝陛下は、ルメイ大将に勲章を親授しなかったと伝えられています。

東京大空襲の犠牲者のご冥福をお祈りします。
合掌

2016年1月21日木曜日

零式艦上戦闘、母国の空を飛ぶ

産経新聞の記事によりますと、帝國海軍の零式艦上戦闘機が我が国の空を飛ぶそうです。
以下は、産経新聞記事の抜粋です。

零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、おもいをはせるきっかけにしてほしい」と語った。
戦後初 零戦、再び日本の空を舞う 「先人が築いた技術をみよ」 1月27日、鹿児島県鹿屋市 
零戦、日本の空に復活なるか 国内での動態保存に向け初飛行まもなく

2012年11月、我が故郷で埼玉県所沢市にある航空発祥記念館に、オリジナルエンジンを搭載した世界で唯一飛行可能な零式艦上戦闘機が到来、数カ月間展示されました。当然、期間中の見学に行きました。


所沢航空発祥記念で展示された零式艦上戦闘機五十二型





特徴は何といっても、発動機が栄二十一型。世界で唯一現存しているオリジナルのエンジンであることでした。
今回は、エンジンは換装されているようです。おそらくはP&W製である可能性が高いです。

小学生の頃、入間航空祭で帝国陸軍の四式戦闘機疾風の飛行を見に行ったことがあります。帝國陸海軍の戦闘機が、我が国の空を舞う貴重な機会でした。
その疾風、所有者の米国人から日本人の手に渡りましたが、その後の保守作業がいい加減で、残念ながら現在は不可能とのことです。

疾風の現存機

発動機がオリジナルでないにしても、零式艦上戦闘機が日本の空で舞う姿を想像するだけでワクワクします。そして、願わくば疾風が入間基地上空で舞ったように、零戦も同じように故郷の空を飛び回って欲しいです。

疾風は残念な結果になり飛行不可能ですが、今回の零戦は、飛行可能な状態を維持して欲しいですね。また、一般社団法人日本機械学会も、機械遺産として認定することを望みます。

機械遺産




2015年11月3日火曜日

2015入間航空祭に行ってきました。

本日11月3日は文化の日。昨年に引き続き入間航空祭に行ってきました。晴天に恵まれたせいか、昨年により観客が多かったように思えました。また、女性の姿が目立ちました。これも写真家 宮嶋 茂樹の写真集「国防男子」、「国防女子」の影響かと思えます。また、災害時などにおける陸海空自衛隊の活躍に感謝の思いを持つ方々が増えたのも原因と思いました。

青い衝撃、ブルーインパルスの演技は相変わらず見事はものでありました。多くの観客も、その見事なエアショーの酔いしれていました。

その日本最大のエアショーに関して、全く苦虫を噛み潰していた政党があり、個人が存在していたことは想像に難く有りません。また、自衛隊の存在そのものを否定する政党、団体、人士もそうでありましょう。

日本共産党、民主党左派、落合恵子、大江健三郎、山口二郎、佐高信、田中優子、福島みずほ、辻元清美、関口宏、古舘伊知郎、吉永小百合、岸井成格、寺島実郎、河野洋平などなど諸氏にとっては、誠に苦々しい日であったでしょうね。


自衛隊の皆さん、素晴らしい日を有難うございました。